第2部-6、りょう先生の人生脚本
2009/05/22(Fri) Category : 仮面の家
第2部 生き方モデルがいなかったりょう先生
■6、りょう先生の人生脚本------------------------------
りょう青年は、「雪」というショートストーリーを書いています。
雪深い温泉へ心中に向かった二人が、三日三晩話し合った末、どのように生きていくのか具体的な方法は見つからないものの、ともあれひっそりと生きていこうと思い定め、明るい気持ちで帰る途中に雪崩に巻き込まれて谷底に消えていく、というストーリーです。
死ねないから生きていかなければならない。
しかし、方法論は見つからないままに。
結局は、雪崩のような“現実”に飲み込まれてしまう…暗示的な小説ですね。
尊敬する父親は現実から理解されないどころか、徹底して現実から叩かれ疎外されていきます。その父親をモデルとし、なかんずく母親が評価する記憶力に頼って生きてきたりょう青年に将来は見えません。ただなす術もなく、圧倒的な現実の前に飲み込まれていくしかない…これが、彼の人生脚本だったのかもしれません。
この小説の結末が異なっていれば…と、思います。
(自分の将来を見通すときは、決して自分を粗末に扱うようなゴールは書かないことです←脚注参照のこと)
彼は、破滅を感じながらも、生きていかなければなりませんから、この小説で2つのことを自分に課したかもしれません。
一つは、それまでの自分をここで殺しました。
そして、もう一つは、方法論を持たなければ生きていけないことを肝に銘じたのではないでしょうか。
ここから、生き方モデルを持たないりょう先生の、生きるための模索が始まります。
*尚、会社に父親を“徴兵”され、家庭に大黒柱がいない(家庭が骨抜きになっている)現代社会では、父親モデル、夫婦モデル、親子モデル、家族モデル、そして生き方モデルを持つことができず苦しんでいる若者達であふれています。
戦争及び企業戦争が奪い去ったのは、「人としての生き方」。
そして、押し付けたのは「ロボットとしての生き方」なのです。
今、私たちは「人としての生き方」と「ロボットとしての生き方」の狭間で苦しんでいます。
生き方モデルを持たないりょう先生の苦悩は、私たちの苦悩に他なりません。そのりょう先生はどのように生きていこうとするのでしょうか。
【自分の将来を見通す際のご参考】
・「自分への弔辞」を書く
・自分への弔辞
■6、りょう先生の人生脚本------------------------------
りょう青年は、「雪」というショートストーリーを書いています。
雪深い温泉へ心中に向かった二人が、三日三晩話し合った末、どのように生きていくのか具体的な方法は見つからないものの、ともあれひっそりと生きていこうと思い定め、明るい気持ちで帰る途中に雪崩に巻き込まれて谷底に消えていく、というストーリーです。
死ねないから生きていかなければならない。
しかし、方法論は見つからないままに。
結局は、雪崩のような“現実”に飲み込まれてしまう…暗示的な小説ですね。
尊敬する父親は現実から理解されないどころか、徹底して現実から叩かれ疎外されていきます。その父親をモデルとし、なかんずく母親が評価する記憶力に頼って生きてきたりょう青年に将来は見えません。ただなす術もなく、圧倒的な現実の前に飲み込まれていくしかない…これが、彼の人生脚本だったのかもしれません。
この小説の結末が異なっていれば…と、思います。
(自分の将来を見通すときは、決して自分を粗末に扱うようなゴールは書かないことです←脚注参照のこと)
彼は、破滅を感じながらも、生きていかなければなりませんから、この小説で2つのことを自分に課したかもしれません。
一つは、それまでの自分をここで殺しました。
そして、もう一つは、方法論を持たなければ生きていけないことを肝に銘じたのではないでしょうか。
ここから、生き方モデルを持たないりょう先生の、生きるための模索が始まります。
*尚、会社に父親を“徴兵”され、家庭に大黒柱がいない(家庭が骨抜きになっている)現代社会では、父親モデル、夫婦モデル、親子モデル、家族モデル、そして生き方モデルを持つことができず苦しんでいる若者達であふれています。
戦争及び企業戦争が奪い去ったのは、「人としての生き方」。
そして、押し付けたのは「ロボットとしての生き方」なのです。
今、私たちは「人としての生き方」と「ロボットとしての生き方」の狭間で苦しんでいます。
生き方モデルを持たないりょう先生の苦悩は、私たちの苦悩に他なりません。そのりょう先生はどのように生きていこうとするのでしょうか。
【自分の将来を見通す際のご参考】
・「自分への弔辞」を書く
・自分への弔辞