第3部 りょう先生が選んだ「生きる方法」-1、鋳型成形の道を選んだ男
2009/05/22(Fri) Category : 仮面の家
第3部 りょう先生が選んだ「生きる方法」
■1、鋳型成形の道を選んだ男-----------------------------
ここで、人がどのように生き方を身につけていくのか男性を例に見ておきましょう。
子どもは生活の中で接する両親の姿を通して「男性モデル」「父親モデル」「夫婦モデル」「親子モデル」「家族モデル」などを内在化していきます。
学ぶとは、まねぶ=真似ることです。
ままごとも生活のシュミレーションです。
そうやって、子どもは遊びながら生活の仕方を身につけていきます。
やがて、父親の背中を見て内在化したモデルと、それもを元に行動してそのフィードバックを得て軌道修正し(自己修正フィードバック)、自分なりの生き方を身につけていきます。
次に、自分の持つ夫婦モデルと配偶者の持つ夫婦モデルの間で格闘しながら、その夫婦オリジナルの夫婦モデルを創り上げるわけです。
以降も同じで、子が生まれたり、成長したりする中で、「親子モデル」「家族モデル」を配偶者と格闘し、あるいは子どもに教えられながら父親になっていきます。
つまり、人が成熟していくためには、密に接する人間関係の中で自分に内在化したモデルを修正していくことが必要であるということです。完璧な人間はいませんから、当然親も完璧ではありません。その親から学んだ生き方モデルにもおかしな所があります。それを人と接しフィードバックを得て修正していくこと―それが成熟なのです。
成熟のために最も必要な資質は、柔軟性と素直さであることが分かると思います。
また、このように見ると、人は一生をかけて自分というアイデンティティを完成させていくといってもよいかもしれません。死ぬまで成長が続くのですから、楽しいですね。
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さて、りょう先生の父親が見せたモデルは裕福の上に成り立つ趣味人としての生き方であって、生活者としての生き方ではありませんでした。また、その父親と家族との相克は、「趣味人としての生き方」を変えることができない父親と“現実”との相克でした。
結局、りょう先生の父親は、現実の上に立つ「男性モデル」「父親モデル」を示すことができませんでした。つまり、りょう先生には背骨(内骨格)が一本通っていないわけです。どのように自分の身体を支えてよいのかが分かりません。その生きにくさが自殺未遂を招きました。
背骨がなくとも家族の中ではプラケーター(なだめ役)という機能で存在できたりょう青年でしたが、家族システムを離れたとき、嫌でも現実に立たなければなりません。では、背骨のない彼が、一体どうやって現実に立つことができるでしょうか?
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生物が、その柔らかい身体を支える方法は次の2通りしかありません。
内骨格(背骨)で、内側から支える方法。そして、もう一つは
外骨格(甲殻)で、外側を固める方法です。
背骨は、自分の気持ちで行動して初めてできてきます。家族内戦争の中で自分の気持ちを封印して生きてきたりょう青年に背骨はありません。自分の気持ちを大事にして生きることを決意すれば背骨は育ち始めるのですが、りょう先生は”外”から自分を補強する道を選びました。
それは、自分の理想とする「男性モデル」「父親モデル」を打ちたて、それに自分を合わせて行くというやり方です。“男性たるもの”“父親たるもの”という「観念的な枠」をこしらえ、その枠に自分をはめ込んでいくというやり方です。
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その生き方を選ぶに当たって、彼には理由が用意されていました。
彼は、夫婦喧嘩を見た時の思いを次のように語っています。
『幼い子どもにとって夫婦喧嘩がどんなにみじめな気持ちを抱かせるかは私自身の実感であり、辛かった体験である』
そして、『自分が結婚したら絶対ああはならないぞ』と決意します。ここまではいいでしょう。しかし、夫婦喧嘩をしないために、すぐれた相手と結婚すること-と、おかしな方向にそれていきます。
そして、そのおかしさに気づかないまま、『すぐれた配偶者に出会うためには、まず自らをその配偶者にふさわしい人間に高めなくてはならない』―りょう先生はそう決意しました。
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彼は、かくあるべしという「あるべきモデル(鋳型)」に自分を合わせて生きる道を選んだのです。気持ちで行動するのではなく、鋳型に合わせて自分を成形していく「鋳型成形」の道です。
気持ちではなく機能として生きてきた上に、『5、気持ちを切り捨てたりょう青年』で見たように、既に自分の感情を切り捨てる決意をしていますから、りょう青年のとるべき道は「鋳型成形」の道しかありませんでした。
それは、自分の体を「あるべきモデル(鋳型)」に沿って行動させる=自分が自分の体を道具にする=自分が「命」を道具にする道を選んでしまったということです。
このことは、自分の人生に関わる者すべて―配偶者や子供なども道具にし、自らの目指す枠にはめ込んでいくということを意味します。そうやって、外枠(甲羅)を強化することにより自分を守るわけです。
気持ちを大事にし、柔軟性を持ったしなやかで強い「人」として生きるのではなく、自分に枠(甲羅)をまとって、その甲羅に守られて生きる。この生き方(スタイル)を決めたことが、悲劇のスタートでした。
【外骨格についてのご参考】
・「鋳型成形」が子を追いつめる
・ハラッサーとは、「甲殻類」
・「大人になれない大人」の構造
■1、鋳型成形の道を選んだ男-----------------------------
ここで、人がどのように生き方を身につけていくのか男性を例に見ておきましょう。
子どもは生活の中で接する両親の姿を通して「男性モデル」「父親モデル」「夫婦モデル」「親子モデル」「家族モデル」などを内在化していきます。
学ぶとは、まねぶ=真似ることです。
ままごとも生活のシュミレーションです。
そうやって、子どもは遊びながら生活の仕方を身につけていきます。
やがて、父親の背中を見て内在化したモデルと、それもを元に行動してそのフィードバックを得て軌道修正し(自己修正フィードバック)、自分なりの生き方を身につけていきます。
次に、自分の持つ夫婦モデルと配偶者の持つ夫婦モデルの間で格闘しながら、その夫婦オリジナルの夫婦モデルを創り上げるわけです。
以降も同じで、子が生まれたり、成長したりする中で、「親子モデル」「家族モデル」を配偶者と格闘し、あるいは子どもに教えられながら父親になっていきます。
つまり、人が成熟していくためには、密に接する人間関係の中で自分に内在化したモデルを修正していくことが必要であるということです。完璧な人間はいませんから、当然親も完璧ではありません。その親から学んだ生き方モデルにもおかしな所があります。それを人と接しフィードバックを得て修正していくこと―それが成熟なのです。
成熟のために最も必要な資質は、柔軟性と素直さであることが分かると思います。
また、このように見ると、人は一生をかけて自分というアイデンティティを完成させていくといってもよいかもしれません。死ぬまで成長が続くのですから、楽しいですね。
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さて、りょう先生の父親が見せたモデルは裕福の上に成り立つ趣味人としての生き方であって、生活者としての生き方ではありませんでした。また、その父親と家族との相克は、「趣味人としての生き方」を変えることができない父親と“現実”との相克でした。
結局、りょう先生の父親は、現実の上に立つ「男性モデル」「父親モデル」を示すことができませんでした。つまり、りょう先生には背骨(内骨格)が一本通っていないわけです。どのように自分の身体を支えてよいのかが分かりません。その生きにくさが自殺未遂を招きました。
背骨がなくとも家族の中ではプラケーター(なだめ役)という機能で存在できたりょう青年でしたが、家族システムを離れたとき、嫌でも現実に立たなければなりません。では、背骨のない彼が、一体どうやって現実に立つことができるでしょうか?
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生物が、その柔らかい身体を支える方法は次の2通りしかありません。
内骨格(背骨)で、内側から支える方法。そして、もう一つは
外骨格(甲殻)で、外側を固める方法です。
背骨は、自分の気持ちで行動して初めてできてきます。家族内戦争の中で自分の気持ちを封印して生きてきたりょう青年に背骨はありません。自分の気持ちを大事にして生きることを決意すれば背骨は育ち始めるのですが、りょう先生は”外”から自分を補強する道を選びました。
それは、自分の理想とする「男性モデル」「父親モデル」を打ちたて、それに自分を合わせて行くというやり方です。“男性たるもの”“父親たるもの”という「観念的な枠」をこしらえ、その枠に自分をはめ込んでいくというやり方です。
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その生き方を選ぶに当たって、彼には理由が用意されていました。
彼は、夫婦喧嘩を見た時の思いを次のように語っています。
『幼い子どもにとって夫婦喧嘩がどんなにみじめな気持ちを抱かせるかは私自身の実感であり、辛かった体験である』
そして、『自分が結婚したら絶対ああはならないぞ』と決意します。ここまではいいでしょう。しかし、夫婦喧嘩をしないために、すぐれた相手と結婚すること-と、おかしな方向にそれていきます。
そして、そのおかしさに気づかないまま、『すぐれた配偶者に出会うためには、まず自らをその配偶者にふさわしい人間に高めなくてはならない』―りょう先生はそう決意しました。
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彼は、かくあるべしという「あるべきモデル(鋳型)」に自分を合わせて生きる道を選んだのです。気持ちで行動するのではなく、鋳型に合わせて自分を成形していく「鋳型成形」の道です。
気持ちではなく機能として生きてきた上に、『5、気持ちを切り捨てたりょう青年』で見たように、既に自分の感情を切り捨てる決意をしていますから、りょう青年のとるべき道は「鋳型成形」の道しかありませんでした。
それは、自分の体を「あるべきモデル(鋳型)」に沿って行動させる=自分が自分の体を道具にする=自分が「命」を道具にする道を選んでしまったということです。
このことは、自分の人生に関わる者すべて―配偶者や子供なども道具にし、自らの目指す枠にはめ込んでいくということを意味します。そうやって、外枠(甲羅)を強化することにより自分を守るわけです。
気持ちを大事にし、柔軟性を持ったしなやかで強い「人」として生きるのではなく、自分に枠(甲羅)をまとって、その甲羅に守られて生きる。この生き方(スタイル)を決めたことが、悲劇のスタートでした。
【外骨格についてのご参考】
・「鋳型成形」が子を追いつめる
・ハラッサーとは、「甲殻類」
・「大人になれない大人」の構造