第3部-2、「感情を出すな」という禁止令
2009/05/27(Wed) Category : 仮面の家
第3部 りょう先生が選んだ「生きる方法」
■2、「感情を出すな」という禁止令--------------------------
気持ちで行動しなかったため背骨ができなかったりょう青年。
そのため、気持ちを切り捨て甲殻類として生きることを選びました。
このように自分の気持ちを見捨てて生きる人は、人の気持ちを受け止めることができません。人の気持ちを聴こうとすると、見捨てられているIC(インナーチャイルド)が激怒するからです。
しかし、人間関係の基本は気持ちの受け止め合いです。自分の「心のコップ」に溜まっている感情を相手に受け止めてもらい、相手の気持ちをこちらが聴く―こうして心を軽くし合うことが、すべての人間関係の基本なのです。でも、人の気持ちを聴くことはできない。このようなときに人はどうするでしょうか。
…そう、聴かなくてよい大義名分を掲げるのです。
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対外的には「生涯平教員」という大義名分を掲げました。
これは、自分を支える枠(甲羅)の一つです。と同時に、自分が変化に対応しなくてすむための大義名分にもなっています。
というのも、管理職になると人のマネジメントをしなければなりません。マネジメントの本質は、モチベーションの管理。
つまり、気持ちの面倒を見なければならないということです。
自分の気持ちを無意識にコントロールすることだけでも手一杯のりょう先生にとって、それは手に余ることだったでしょう。
ですから、「生涯平教員」という大義名分を掲げることによって、将来人をマネジメントする立場になることを前もって回避しているわけです。
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『怒るのでも叱るのでもなく、"教え諭す"』
『こんこんと言って聞かせる』
というスタイルも、ケンカは絶対にしないという誓いからきた枠です。が、自らこのスタイルをとることによってわが子の感情を封じ込めることができます。
なぜなら、親が感情を見せないことは、子どもにとって「感情を出すな」という「禁止令」になるからです。禁止令は、態度で示されます。親がしないことは、子に対してもやってはいけないという禁止令として働くのです。
親も人間、感情的になって怒ることもあります。夫婦喧嘩がないほうがおかしい。あって当然なのです。そして、謝る姿をきちんと見せること。されば、喧嘩が人間を成長させ、また謝るという行為が人間関係をつむぎ直す行為であることもわかるでしょう。
尚、『こんこんと言って聞かせる』のは子育てにおいては最悪のやり方で、子どもにとっては地獄です。気持ちは率直に、叱るときは短くが鉄則です。
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絶対に『夫婦喧嘩をしない』というのも、前項で見たように幼少時の体験からきた信念です。体験に裏打ちされた信念であるだけに、自他共に認めさせることのできる、いわば錦の御旗となることができます。この錦の御旗を掲げることが、妻の感情をかわすための盾となるのです。
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こうして、人の気持ちを受け止める余裕のないりょう先生は、対外的にも対内的にも、自分が人の感情を受け取らなくてすむよう、巧妙に防御壁(バリア)を張りました。
このように自分にはめる枠(ルール、規律、信念、信仰、主義、思想、世間体、学歴、地位、名誉、等々…)は、多くの場合、自己防衛のためにしがみつくもの(鎧)であることが多いのです。
自律できている人は、そのようなものにしがみつく必要はありませんから、身も軽く自由なのです。
【躾に名を借りた自己防衛の事例】
ロザンナさんへ-母親は父親にならなくてよいのです
(参考)「心のコップ」のメカニズム
■2、「感情を出すな」という禁止令--------------------------
気持ちで行動しなかったため背骨ができなかったりょう青年。
そのため、気持ちを切り捨て甲殻類として生きることを選びました。
このように自分の気持ちを見捨てて生きる人は、人の気持ちを受け止めることができません。人の気持ちを聴こうとすると、見捨てられているIC(インナーチャイルド)が激怒するからです。
しかし、人間関係の基本は気持ちの受け止め合いです。自分の「心のコップ」に溜まっている感情を相手に受け止めてもらい、相手の気持ちをこちらが聴く―こうして心を軽くし合うことが、すべての人間関係の基本なのです。でも、人の気持ちを聴くことはできない。このようなときに人はどうするでしょうか。
…そう、聴かなくてよい大義名分を掲げるのです。
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対外的には「生涯平教員」という大義名分を掲げました。
これは、自分を支える枠(甲羅)の一つです。と同時に、自分が変化に対応しなくてすむための大義名分にもなっています。
というのも、管理職になると人のマネジメントをしなければなりません。マネジメントの本質は、モチベーションの管理。
つまり、気持ちの面倒を見なければならないということです。
自分の気持ちを無意識にコントロールすることだけでも手一杯のりょう先生にとって、それは手に余ることだったでしょう。
ですから、「生涯平教員」という大義名分を掲げることによって、将来人をマネジメントする立場になることを前もって回避しているわけです。
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『怒るのでも叱るのでもなく、"教え諭す"』
『こんこんと言って聞かせる』
というスタイルも、ケンカは絶対にしないという誓いからきた枠です。が、自らこのスタイルをとることによってわが子の感情を封じ込めることができます。
なぜなら、親が感情を見せないことは、子どもにとって「感情を出すな」という「禁止令」になるからです。禁止令は、態度で示されます。親がしないことは、子に対してもやってはいけないという禁止令として働くのです。
親も人間、感情的になって怒ることもあります。夫婦喧嘩がないほうがおかしい。あって当然なのです。そして、謝る姿をきちんと見せること。されば、喧嘩が人間を成長させ、また謝るという行為が人間関係をつむぎ直す行為であることもわかるでしょう。
尚、『こんこんと言って聞かせる』のは子育てにおいては最悪のやり方で、子どもにとっては地獄です。気持ちは率直に、叱るときは短くが鉄則です。
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絶対に『夫婦喧嘩をしない』というのも、前項で見たように幼少時の体験からきた信念です。体験に裏打ちされた信念であるだけに、自他共に認めさせることのできる、いわば錦の御旗となることができます。この錦の御旗を掲げることが、妻の感情をかわすための盾となるのです。
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こうして、人の気持ちを受け止める余裕のないりょう先生は、対外的にも対内的にも、自分が人の感情を受け取らなくてすむよう、巧妙に防御壁(バリア)を張りました。
このように自分にはめる枠(ルール、規律、信念、信仰、主義、思想、世間体、学歴、地位、名誉、等々…)は、多くの場合、自己防衛のためにしがみつくもの(鎧)であることが多いのです。
自律できている人は、そのようなものにしがみつく必要はありませんから、身も軽く自由なのです。
【躾に名を借りた自己防衛の事例】
ロザンナさんへ-母親は父親にならなくてよいのです
(参考)「心のコップ」のメカニズム