第3部-4、人扱いされなかった妻の激白
2009/05/28(Thu) Category : 仮面の家
第3部 りょう先生が選んだ「生きる方法」
■4、人扱いされなかった妻の激白-------------------------
絵に描いたような良妻賢母の裏側で、あけみさんがどれほど自分を抑え込んでいたのかがわかる作文があります。『主人の強引なる命令』により書かされ、『(まったくしつこいのだ)』という書き出しでいやいや書いたことが分かりますが、その作文の中で、彼女はこう述べています。
『結婚とはいろいろな意味において足を引っ張る道具』
『特に女性で強い意志のもとに私はこういうことをやりたい、進みたいと思う人は、結婚すべきではないと思います』
『男性に従っていかれる人、男性を立てられる人、自分はバカなんだと思える人でないと、とても結婚生活に耐えられないでしょう』
『結婚なんて女にとって掃除、洗濯、食事作り、人とのつきあい、これが大体を占めているようなもので、その上で何かをしようと思ったら二人分働かなければどっかで破綻が来ると思います』
『私のように何の取得もない女は結婚してもどうにかやっていけるでしょうけれど何か取り得のある人よ、結婚などしないで共同生活をなさいませ。』
ここに全てが現れていますね。
結婚を全否定しています。
結婚=女中+夫に従うこと+人付き合い→これがすべてなので、バカにならないとやっていけないと言っているのです。あけみさんが、人ではなく「機能」として生きていたことがよく分かりますね。結婚生活が、自分という人格を全否定する非人間的なものであったことが伺われます。
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そのあけみさんも、一度だけ姑に怒ったことがあります。
この家では、『食事もテレビも祖父母の部屋』でした。しかし、長男が中学に入り部活をはじめて祖父母と食事の時間が合わなくなったので、あけみさんがちゃぶ台を台所に置いたところ、「もう私たちといっしょに食べないつもりでしょう」と姑に言われたのです。その時、あけみさんは、
『私は13年、ずっと我慢してきたのに、こんなふうに言われるんだったら、里に帰らせていただきますと言って怒ったんです』。
すぐに祖父が飛び出してきて、土下座をして謝り解決しました。
このエピソードは、日常においても並々ならぬ確執が隠れていたこと、そして、尋常ならぬ精神力であけみさんが耐え抜いていたことを示していますね。本当に大変だったと思います。
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ところで、このエピソードはもっと根深い意味をはらんでいます。
私が家族カウンセリングで訪問を大切に考えているのは、「地域」「家」「部屋」のそれぞれに「心」がすべて表れているからです。家の造りや部屋の配置、部屋の使い方や様子、色合い、テーブルでの座る位置など、そのすべてにその家の権力構造や心が現れているのです。
りょう先生が両親と同居することは、自分が自律できていないこと、「親の子」であり続けることを示していると書きましたが、『食事もテレビも祖父母の部屋』でずっとしていたことにそれが表れていますね。
そして、姑が文句を言ったことからわかるように、そのようにしていた理由は姑のためです。りょう先生は母親(姑)を背負い続けている子どもなのです。
これを孫の立場から見るとどうでしょうか。
例えば、長男から見ると、生まれて以来、家族水入らずの食卓もテレビを見る団らんも、ただの一度もないのです。子どもは親と一緒にノビノビしたいものですが、そういう「居間」(家族が集う核)がありません。
時間も、祖父母のペースに合わせた時間であり、母親がそれに『13年、ずっと我慢』しているわけですから、子どもも我慢せざるを得ません。
つまり、父親が
「源家族の子ども」のままでいるということは、
「現家族の大黒柱」にはなり得ないということなのです。
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ですから、長男の部活により時間のペースが合わなくなったとき、実はあけみさんが“枠”から人間に戻るチャンスでした。子ども(現家族)をとるのか、祖父母(義源家族)をとるのか、あけみさんは選択できたのです。
しかし、あけみさんはそのどちらでもなく“里に帰る”ことを選択しました。これは、どういう事を意味しているでしょうか?
我慢する人
■4、人扱いされなかった妻の激白-------------------------
絵に描いたような良妻賢母の裏側で、あけみさんがどれほど自分を抑え込んでいたのかがわかる作文があります。『主人の強引なる命令』により書かされ、『(まったくしつこいのだ)』という書き出しでいやいや書いたことが分かりますが、その作文の中で、彼女はこう述べています。
『結婚とはいろいろな意味において足を引っ張る道具』
『特に女性で強い意志のもとに私はこういうことをやりたい、進みたいと思う人は、結婚すべきではないと思います』
『男性に従っていかれる人、男性を立てられる人、自分はバカなんだと思える人でないと、とても結婚生活に耐えられないでしょう』
『結婚なんて女にとって掃除、洗濯、食事作り、人とのつきあい、これが大体を占めているようなもので、その上で何かをしようと思ったら二人分働かなければどっかで破綻が来ると思います』
『私のように何の取得もない女は結婚してもどうにかやっていけるでしょうけれど何か取り得のある人よ、結婚などしないで共同生活をなさいませ。』
ここに全てが現れていますね。
結婚を全否定しています。
結婚=女中+夫に従うこと+人付き合い→これがすべてなので、バカにならないとやっていけないと言っているのです。あけみさんが、人ではなく「機能」として生きていたことがよく分かりますね。結婚生活が、自分という人格を全否定する非人間的なものであったことが伺われます。
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そのあけみさんも、一度だけ姑に怒ったことがあります。
この家では、『食事もテレビも祖父母の部屋』でした。しかし、長男が中学に入り部活をはじめて祖父母と食事の時間が合わなくなったので、あけみさんがちゃぶ台を台所に置いたところ、「もう私たちといっしょに食べないつもりでしょう」と姑に言われたのです。その時、あけみさんは、
『私は13年、ずっと我慢してきたのに、こんなふうに言われるんだったら、里に帰らせていただきますと言って怒ったんです』。
すぐに祖父が飛び出してきて、土下座をして謝り解決しました。
このエピソードは、日常においても並々ならぬ確執が隠れていたこと、そして、尋常ならぬ精神力であけみさんが耐え抜いていたことを示していますね。本当に大変だったと思います。
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ところで、このエピソードはもっと根深い意味をはらんでいます。
私が家族カウンセリングで訪問を大切に考えているのは、「地域」「家」「部屋」のそれぞれに「心」がすべて表れているからです。家の造りや部屋の配置、部屋の使い方や様子、色合い、テーブルでの座る位置など、そのすべてにその家の権力構造や心が現れているのです。
りょう先生が両親と同居することは、自分が自律できていないこと、「親の子」であり続けることを示していると書きましたが、『食事もテレビも祖父母の部屋』でずっとしていたことにそれが表れていますね。
そして、姑が文句を言ったことからわかるように、そのようにしていた理由は姑のためです。りょう先生は母親(姑)を背負い続けている子どもなのです。
これを孫の立場から見るとどうでしょうか。
例えば、長男から見ると、生まれて以来、家族水入らずの食卓もテレビを見る団らんも、ただの一度もないのです。子どもは親と一緒にノビノビしたいものですが、そういう「居間」(家族が集う核)がありません。
時間も、祖父母のペースに合わせた時間であり、母親がそれに『13年、ずっと我慢』しているわけですから、子どもも我慢せざるを得ません。
つまり、父親が
「源家族の子ども」のままでいるということは、
「現家族の大黒柱」にはなり得ないということなのです。
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ですから、長男の部活により時間のペースが合わなくなったとき、実はあけみさんが“枠”から人間に戻るチャンスでした。子ども(現家族)をとるのか、祖父母(義源家族)をとるのか、あけみさんは選択できたのです。
しかし、あけみさんはそのどちらでもなく“里に帰る”ことを選択しました。これは、どういう事を意味しているでしょうか?
我慢する人