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第4部 予め失われた人生-1、生まれながらに人生を奪われた子ども

2009/05/30(Sat) Category : 仮面の家
第4部 予め失われた人生

■1、生まれながらに人生を奪われた子ども------------------

背骨がないフニャフニャした自分が生きていくために、観念的な型枠に自分をはめ込むことで生きようとしたりょう先生。

「すぐれた配偶者に出会うためには、まず自らをその配偶者にふさわしい人間に高めなくてはならない」という大義名分の元に、「生涯平教員」で「両親の面倒を見る」ことを自分に課し、あけみさんとの結婚も「絶対に夫婦喧嘩はせず」理想的な家庭。

その本質は、「心のコップ」が一杯だから人のマネジメントはせず、妻の気持ちも聴かず、両親に吐き出すチャンスを得るために両親と同居し、「親の子」のままでいて夫にも父にもなれないけれど、それに同意できる人を妻にする―そういうことでした。

人は、このように自分の心の欲求に従いつつ、それを実行するに当たっては世間が納得できる大義名分や理屈をつけて生きています。つまり、立派な大義名分の裏には、IC(インナーチャイルド)の衝動が隠れていることが多いのです。


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そして、そういうりょう先生と一心同体になったあけみさん。存在不安のあるあけみさんも、自分を支えるため、また意識を外に向けるために「枠」を必要とした人でした。そのため、枠を押し付けてくるりょう先生を選んだのです。

このように互いを道具にしあう人間関係を「共依存」と言います。それが自律した人間関係なのか、共依存なのかの違いはただ一つです。自律した人間関係であれば、一緒になって以降成長・成熟していきますが、共依存であれば一緒になった時点で成長はストップします。なぜなら、自分の現状を維持強化するために“道具(相手)”を選んでいるからです。

人を道具にすることができるのは、まず自分が自分を道具にしているからです。その行為のすべては、自分が自分の気持ちに直面化したくないが故の行動。つまり、自分の人生上に現れるすべての“対象”は、自分が自分から逃げ続けるために意識を外に向けさせる“手段”なのです。

命を道具(手段)にする両親。
その両親の下に男の子が生まれました。



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りょう先生は長男に自分と同じ名前をつけました。
同じ読みで「諒」という漢字です。そして、こう書いています。

『この子が大きくなったときに、あんなお父さんと同じ名前でいやだなと思われないような父親としての生き方をしたいと、自分の悲願を込めてつけた』

『三十年の半生をふり返ってみて愚考と悔恨の連続であった。つくづく自分がいやであった。しかしこうして一人の子どもの父親となったからには今度こそしっかりしなければいけない。』

『立派な父親になろう、子供が父親と同名であることを誇りに感じられるような、そういう父親になろうと心に誓ったのである。』

『子供のためよりも自分のために悲願をこめた名前であると言ってもよい』



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りょう先生は自己矛盾に気づきませんでした。
『父親としての生き方をしたい』と書いています。

誰のために? 
子どものためでしょう。

しかし、
『自分のために』と書いているのです。


『愚考と悔恨の連続』の重荷を子どもにまで背負わせるんじゃねぇよ!と思いました。が、気づくすべはなかったと思われます。

妻と同様にわが子もまた、『愚考と悔恨の連続』で背骨のない自分の生をしっかりとさせるための“人柱”だったのです。子どもという外枠(パーツ)を自分にはめ込むことによって、父親としての自分を成り立たせようとする―それが、『父親としての生き方をしたい』という言葉に表れています。

妻がそうであったのと同様、わが子もまた弱い自分を外から覆って支えてくれる枠(甲羅)の一部でした。子どもは、りょう先生の一部となるべく名前をつけられたのです。
 


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わが子に自分と同じ名前をつけたりょう先生。
彼は、わが子の名前を呼ぶ度に、自分に「立派であれ」という枠を認識させることができるのです。つまり、わが子は自分に対する戒めとして存在させられているのです。

ということは、自分が『立派な父親』であり続けるためには、長男は枠としてあり続けなければなりません。あるがままの存在として認められるのではなく、りょう先生の枠としての役割を生まれながらに担わされてしまったのです。

また、その枠が曲がれば、りょう先生も曲がってしまいます。だから、赤ちゃんもまた、「立派」でなければならない運命におかれました。

父親と同じ名前をつけられた赤ちゃんは、自分の人生を生きるのではなく、生まれたときからりょう先生のアイデンティティ構築の「道具」となる運命を背負ってしまったのです。



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世代間連鎖と自分が抱えている
「自己認知飢餓」と「存在不安」にもっともっと早く気づきたかったと
私も何度思ったことだろう・・・

結婚して、子どもをもうけ、
その子どもたちに重荷を背負わせてしまった。

今わたしは贖罪の日々を送っています。
中尾さんは「自分の敵」というブログの中で
「贖罪の日々の本質は、自分の弱さと闘い続けることである。断つべき連鎖を断固として断つことをすることである」と書いています。

わたしは思うのです。
結婚はするべきじゃなかったのかと問われれば、
わたしも結婚前に親からの離脱を図り、自律してから結婚したかったと。そうしたかった。
だけど、わたしはできなかった。
でも、結婚して子どもがいるからこそ、「自分の存在不安」にも向き合え、「愛」を知ることができた。
今まで愛を伝えなかった流れに、
愛の連鎖をもたらせ、子どもたちに手渡せているのも事実。

子どもがいなければ、わたしはできなかったと思う。
こどもが導いてくれたからこそ、連鎖が断ち切れた。
それほど、連鎖の力は強大で、
みんなでタッグを組まないとやれなかった。
だから、結婚して、子どもがいて
それだからこそ、やれたんじゃないかと思っている

子どもたちの傷は深い
でも、間違いなく今は癒され、
元気になり、お日様に一途に向う若芽のように伸びている。

自分と同じ「不幸な子」に子どもたちがなっても不思議じゃなかった
その道を子どもたちも間違いなく歩んでいた

自分が苦しんでいた時は
そんな親なら結婚なんかして欲しくなかった!と思った

子どもたちが深い傷を負っているのがわかった時は
結婚してしまったわたしの弱さを呪った

今は、それらすべてがあったから、
やれたとも思える

わたしには答えは出せない

でも、わたしが知りえたことを
今苦しみの中にいる人たちが、自律できるために支援したい
自律して生きることはすばらしいことだから
そんな人たちがこの町に溢れたらいいと思っています

 

>やはり連鎖を絶つには結婚や出産をしないようにすべきなのでしょう。

結婚や出産をする前に連鎖に気付けた人は幸いだと思います。
自分は普通だと思い込んで結婚、子育てをし、問題が現れた時点でそれと気付くよりは。

自分が親の自己満足のための道具でしかなかったこと、自分で自分を道具扱いしていたこと、好きだと思って結婚した相手にも依存していただけだったし、生まれた子供もやはり知らない間に道具扱いしていました。

気付くのが遅すぎたかもしれません、でも後悔して泣いてばかりいても仕方がないので今から少しずつでも前に進みたいです。

 

オーウェン

無意識下だとしても自分の子まで道具にしてしまう事の恐ろしさ。
恐らく彼だけではなく、世の中に結構数そのような人間は存在するでしょう。
また自分が親の道具であるという概念を持つ人も少なくないでしょうね。

やはり連鎖を絶つには結婚や出産をしないようにすべきなのでしょう。
解決など、選ばれた人間にのみ許されたものであるとすら思えます。

気付いた人間からやらなければ。
自分が子を道具にしないためにも。
不幸な子を世に送り出さない為にも。

 

どこまでも自分本位だ

自分が立派に存在していれば、自ずと周りも立派になる、という自分本位な“イメージに囚われた”人間ですね。
同じ自分本位でも、自分の気持ちのままではないので気持ちが悪いです。全てが彼の理想でしかない、その理想も満たされぬ気持ちを埋める張りぼて。
寂しさとか悔しさとか、そんなものと向き合わなければ幸せになんかなれないのに。愛情乞食は結婚してはいけないですね。

 
    
 
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