第4部-2、借りてきた「男性モデル」と「父親モデル」
■2、借りてきた「男性モデル」と「父親モデル」----------------
最初に生まれてきたのが女の子だったら、もしかすると運命は変わっていたかもしれないと思います。しかし、生まれてきたのは“男の子”でした。自分が生き方を教えなくてはなりません。また、いずれ対峙しなくてはなりません。
男性像、父親像を内在化していないりょう先生にとって、男の子は潜在的な脅威だったのではないでしょうか。薄っぺらな自分の化けの皮を剥がしかねない敵―それが長男のポジションでした。ですから、無意識に自分に同化させるために同じ音の名前をつけたのかもしれません。
いずれにせよ彼は、男性像、父親像を早急に確立する必要に迫られました。そのために、まず自分の中の女性性を切り捨てようとしました。
『小学校に上がるまで「アタチ」「アタチ」と言っていたそうで、遊び事も年子の姉といつもママゴトやお人形さん遊びをしていた』
『性格も二人の姉よりもむしろ優しく、内気で、神経質で、細かいところによく気がついたが、年頃になると自分のそういう女性的性格がいやでいやでたまらなかった』
りょう先生は、自分で苦闘して自分の生き様を創り上げるのではなく、外からモデルを借りてきてそれに自分を合わせるという鋳型成形の道を選択しています。男性モデル、父親モデルも借りてくるしかありません。そのモデルはテレビや小説が提供してくれました。「人生劇場」や「巨人の星」、あるいは太宰治の「父」という短編です。
『義のために、わが子を犠牲にするということは、人類が始まって、すぐその直後に起こった』で始まり、『義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている』と終わるそうです。
「バカ言ってんじゃねぇよ」と突っ込みたくなりますが、りょう先生は、義に生きるということが人類の歴史とともに古い権威のあるものであること、同時に男性特有のものであること、の二つに惹かれたのでしょう。なぜなら、仮に人類の歴史とともにあるとするなら一つのスタンダードとなりますし、男性特有ということなら、これに従うことで自分の女性性を切り捨てることができるからです。
さらに、この言葉はわが子を道具にして生きようとしているりょう先生に、そのことを肯定する大義名分を与えることができます。
実はこのようにして、人は自分の人生脚本を固めていくのです。
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彼は、「男について」という文章の中で次のように書いています。
①『間違いなく(子より)自分の信条を選ぶ』
②『儀のために、わが子を犠牲にする』
③『儀のために無理して酒をのんでいる自分に男意気を感じる』
私は、そのあまりの薄っぺらさに、悲しくなりました。
なんと情けない、幼く自己陶酔的な発想でしょうか。
同時に、それ以上に怖いと思いました。
上から順に見てみましょう。
①彼は、いざとなったらわが子ではなく自分をとると宣言しているのです(信条とは、自分を支えるものです)。
②また、自分の信じるもののためには、わが子を道具にすると言っているのです。
③そして、自分自身も自分を支えるもののために道具になってよいと言っているのです。
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第1に、とんでもない本末転倒が起こっています。
彼は、自分が生き延びるために「男性モデル」を創り上げました。しかし、そのモデルを全うするために自分は犠牲になってもよい=生きられなくてもよい、と言っているのです。その男性モデルにしがみつくあまり、自分をすら道具にしていることがよくわかります。
ここに、自己矛盾が起こっている事に、なぜ気づかなかったのか?
それは、“何のために生きているのか”というもっとも本質的な問いが自分になされていないからです。自分と格闘していないからです。生き方を外から安易に手に入れようとしているからです。
第2に、りょう先生は自ら父親になる道を断ちました。
ここに父親像はありません。あるのは、薄っぺらい男性像のみです。
男は、妻や子どもと格闘することによって段々と父親になってきます。格闘し、妻子から教えられて、謙虚になってようやく父親になれるのです。
しかし、りょう先生は自らその道を断ちました。
生まれてくる子さえも、自分の男性モデルを支えるための道具にすると言っているのです。そこから、子を支配し従える意思は働いても、子から学ぶという謙虚さは生まれようがありません。
あけみさんが、一人の人間として夫と感情をぶつけ合っていれば、その格闘の中で、その夫婦オリジナルの「男性像」が出来上がっていたことでしょう。しかし、りょう先生同様、りょう先生の世界観の一部を構築する道具となっていたあけみさんに、それは望むべくもありませんでした。
そして、それがなされなかったゆえに、りょう先生はテレビや小説から借り物を借りてこざるをえず、それにすがりつき、今度は生まれてくる子までを道具にする体制を整えたのでした。
『古い日本の女性は願いごとを立てて茶断ちなどをしたが、私はそういう発想に今でも非常に心惹かれるのである』―りょう先生が、そういう自分を認めることができていれば悲劇は起こらなかったでしょう。
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