第4部-3、蒔かれた事件のタネ
■3、蒔かれた事件のタネ--------------------------------
文字というものは怖いものです。
漠然と思っていたことを左脳が文字に置きなおした時、その思いは明確化され決意に変わります。それを右脳が認識して右脳は四六時中そのゴールに向かって動き始めます。あたかもキーボードで打ち込んだ命令によってコンピューターが動き始めるように。つまり、文字に書いて決意することは、巨大なエネルギーを持った右脳を働かせるためのトリガー(引き金)なのです(←これは、私の解釈です)。
「男について」を書いた時、りょう先生は生まれてくる子までを道具にすることを宣言しました。つまり、この文章を書いた時、事件に至るタネはまかれたのです。
生まれてくる子どもは、人間である以上、思春期になればアイデンティティの模索を始めます。自分の道を歩き始めようとします。が、枠が意思を持っては困るのです。りょう先生は、自分のレールを押し付けてくるはずです。そこに大きな葛藤が巻き起こるでしょう。
りょう先生がおさえこめば子は引きこもるでしょう。あるいは、自分の感情を押さえ込んだ挙句、統合失調症などの心の病を発症するかも知れません。また、子に力があれば、家を飛び出すでしょう(どのような形で出るかはともかく)。
その一方で、子どもは親に愛されたいのです。親に見離されたくないのです。親から無条件に認めてほしい存在です。ですから、子どもは引き裂かれるようなジレンマの中に苦しむことになります。それが、心身症状や家庭内暴力、逸脱行動として表れることになります。…
いずれにせよ、我が子を自分の人生を支えるための道具にすることを決めたこの時点で、事件の種は蒔かれたのです。