第5部-2、諒少年のストローク飢餓
2009/06/10(Wed) Category : 仮面の家
第5部 帝国vsレジスタンス
■2、諒少年のストローク飢餓-----------------------------
ところで、成績トップ+人気者+キャプテンという頑張りの裏には、単に親から馬車馬みたいに走らされただけではなく、諒君自身の“飢え”がありました。
『あけみさんによると、浦和高校に進学した長男は、成績が下がったのを気にしていた』そうです。『何でも一番でないと気がすまない、非常に才能を気にする子だったため、“限界だ”と口にするのを聞いたことがあります』と、あけみさんは言います。
なぜ、『何でも一番でないと気がすまない』のでしょうか。
「第4部-4、幼児期に現れていたサイン」で見たように、諒君は生まれてから親に受け止めてもらったことがありません。結果、親と同様に強烈なストローク飢餓を持つに至りました。
親からストローク(自分の存在を認める働きかけ)をもらえなかった人は、親の代わりに他人からストロークを得ようとします。ストロークをもらうためには自分が目立たなければなりません。2番ではダメ。ナンバー1でなければならないのです。
その背景には、学校を自分の居場所にしようとする無意識があります。家はりょう先生という大きな赤ちゃんの子宮ですから、そこに自分の居場所はありません。赤ちゃんにとって、子宮は自分だけが安心していられる安全基地です。それ以外の人は、“道具”なのです。
生まれてこの方安全基地がない不安の中を漂っている諒君にとって、子宮(安全基地)を確保することは人生の大命題でした。学校を安全基地とするためには、そこでナンバー1にならなければ自分が中心になれないのです。2番では、“赤ちゃん”の位置に座ることができず、その赤ちゃんを支える道具の位置になってしまうのです―それが、りょう先生が教えたことでもありました。
このように、ストローク飢餓を持ち、自分の居場所を探している人は、どこにその居場所を求めるかで行動が変わってきます。
家庭に求めれば、家庭の中を支配します。
自分の担当の仕事をブラックボックスにして、そこに安住しようとする人もいれば、誰よりも長い時間職場にいることで自分の存在を意義づけようとする人もいます。
自分で事業を興して、社長という赤ちゃんの座につく人はたくさんいます。地域活動に精を出して地域の顔になる人もいれば、その業界で一目置かれる存在になることもあります。
いろいろな形がありますが、ナンバー1でなければ意味がないため、その目標設定次第で上記のように偉業を達成する人も出てくるのです(尚、偉業を達成したからと言って、その人は幸福ではありません)。
こうしてみると、今の欠乏欲求型文明は何と哀しいあり方かと思ってしまいます。親から十分に愛されて育てば、人はあくせく、がつがつと生きなくてもすむのです。
★心理的ネグレクト-------------------------------------------
私は、「あなたの子どもを加害者にしないために」の中で、次のように提唱しました。
『私は、自分が無意識にやっているかもしれないことに気づくきっかけとなるためにも、ネグレクトの項目に「無意識裡の心理的ネグレクト」を入れるべきだと思います。
意味は、「無意識のうちになされる心理的放置」「心の食物であるストロークを与えないこと」。
行動としては、「相手の気持ちを聴こうとしないこと」です。』
親は子のためにあれもやったこれもやった、厳しく躾けた、マナーもたたき込んだ、塾にも行かせた、習い事もさせた、金をかけた、うんぬんかんぬん……やったこと、やらせたことをあれこれあげつらいます。ですから、子どものために頑張っている意識はあっても、子どもをネグレクト(育児放棄)しているなど思ってもいません。
一方、やっていないことは言いません。それは、子どもの気持ちを聴くことです。そして、子どもの気持ちを聴かずに押し付けることはすべてハラスメントであることに気づきはしません。
相手の気持ちを聴かない=相手の気持ちを無視する=相手の存在を無視する=相手をディスカウントすることです。
つまり、それがたとえ何であろうと、子どもの気持ちを聴かないで押し付けることは、子どもをディスカウントし道具として扱うことなのです。
【心理的ネグレクトの例】
子を放置する親
【“環境”のあり方】
・地球環境-『テラとガイア』
・国環境-『「富士山大噴火」に見る望ましい国のあり方』
・家庭環境-『「親」という字」』
■2、諒少年のストローク飢餓-----------------------------
ところで、成績トップ+人気者+キャプテンという頑張りの裏には、単に親から馬車馬みたいに走らされただけではなく、諒君自身の“飢え”がありました。
『あけみさんによると、浦和高校に進学した長男は、成績が下がったのを気にしていた』そうです。『何でも一番でないと気がすまない、非常に才能を気にする子だったため、“限界だ”と口にするのを聞いたことがあります』と、あけみさんは言います。
なぜ、『何でも一番でないと気がすまない』のでしょうか。
「第4部-4、幼児期に現れていたサイン」で見たように、諒君は生まれてから親に受け止めてもらったことがありません。結果、親と同様に強烈なストローク飢餓を持つに至りました。
親からストローク(自分の存在を認める働きかけ)をもらえなかった人は、親の代わりに他人からストロークを得ようとします。ストロークをもらうためには自分が目立たなければなりません。2番ではダメ。ナンバー1でなければならないのです。
その背景には、学校を自分の居場所にしようとする無意識があります。家はりょう先生という大きな赤ちゃんの子宮ですから、そこに自分の居場所はありません。赤ちゃんにとって、子宮は自分だけが安心していられる安全基地です。それ以外の人は、“道具”なのです。
生まれてこの方安全基地がない不安の中を漂っている諒君にとって、子宮(安全基地)を確保することは人生の大命題でした。学校を安全基地とするためには、そこでナンバー1にならなければ自分が中心になれないのです。2番では、“赤ちゃん”の位置に座ることができず、その赤ちゃんを支える道具の位置になってしまうのです―それが、りょう先生が教えたことでもありました。
このように、ストローク飢餓を持ち、自分の居場所を探している人は、どこにその居場所を求めるかで行動が変わってきます。
家庭に求めれば、家庭の中を支配します。
自分の担当の仕事をブラックボックスにして、そこに安住しようとする人もいれば、誰よりも長い時間職場にいることで自分の存在を意義づけようとする人もいます。
自分で事業を興して、社長という赤ちゃんの座につく人はたくさんいます。地域活動に精を出して地域の顔になる人もいれば、その業界で一目置かれる存在になることもあります。
いろいろな形がありますが、ナンバー1でなければ意味がないため、その目標設定次第で上記のように偉業を達成する人も出てくるのです(尚、偉業を達成したからと言って、その人は幸福ではありません)。
こうしてみると、今の欠乏欲求型文明は何と哀しいあり方かと思ってしまいます。親から十分に愛されて育てば、人はあくせく、がつがつと生きなくてもすむのです。
★心理的ネグレクト-------------------------------------------
私は、「あなたの子どもを加害者にしないために」の中で、次のように提唱しました。
『私は、自分が無意識にやっているかもしれないことに気づくきっかけとなるためにも、ネグレクトの項目に「無意識裡の心理的ネグレクト」を入れるべきだと思います。
意味は、「無意識のうちになされる心理的放置」「心の食物であるストロークを与えないこと」。
行動としては、「相手の気持ちを聴こうとしないこと」です。』
親は子のためにあれもやったこれもやった、厳しく躾けた、マナーもたたき込んだ、塾にも行かせた、習い事もさせた、金をかけた、うんぬんかんぬん……やったこと、やらせたことをあれこれあげつらいます。ですから、子どものために頑張っている意識はあっても、子どもをネグレクト(育児放棄)しているなど思ってもいません。
一方、やっていないことは言いません。それは、子どもの気持ちを聴くことです。そして、子どもの気持ちを聴かずに押し付けることはすべてハラスメントであることに気づきはしません。
相手の気持ちを聴かない=相手の気持ちを無視する=相手の存在を無視する=相手をディスカウントすることです。
つまり、それがたとえ何であろうと、子どもの気持ちを聴かないで押し付けることは、子どもをディスカウントし道具として扱うことなのです。
【心理的ネグレクトの例】
子を放置する親
【“環境”のあり方】
・地球環境-『テラとガイア』
・国環境-『「富士山大噴火」に見る望ましい国のあり方』
・家庭環境-『「親」という字」』