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第5部-3、「ディスカウント」vs「傲慢」

2009/06/11(Thu) Category : 仮面の家
第5部 帝国vsレジスタンス

■3、「ディスカウント」vs「傲慢」---------------------------

枠に従っていい親を演じ続けている親は、自分たちが心を亡くしたロボットになっていることにも、そのため子供の気持ちを聴いていないことにも気づいていません。
また、野球チーム探しのエピソードに見たように、子のためと思って親がやっていることは、実は自分が子や世間に認めてもらうための押しつけでした。

このような親の下で、子供は次のような状況に置かれます。
1,気持ちを聴いてもらえない→人として認めてもらえない
2,押しつけを受ける→親の受け皿として道具にされる

つまり、ディスカウントされているのです。
ディスカウントとは「価値を値引くこと」(ディスカウントセールという言葉でおなじみですね)。つまり、人を人扱いしないと言うこと。具体的には次のようなものを言います。

・精神的ディスカウント
 皮肉、嫌味、けなす、仲間はずれ、無視(精神的殺人)
・肉体的ディスカウント
 突き飛ばす、殴る、蹴る、殺す

一見、諒君はディスカウントされているようには見えません。しかし、前項で見たように「心理的ネグレクト」をされています。肉体はあるけれど、心はなきものとして扱われているのです。心が殺されているのと同じですね。



-----------------------------------------------------
このように、日常的にディスカウント状態に置かれている人間は崖っぷちに立たされてしまいます。もうこれ以上非難や卑下をされたら、もはや人間ではなくなってしまうというギリギリの精神状態に追い込まれてしまうのです。追い込まれていない人にとっては何でもない一言でも、地獄に突き落とされてしまうのです。

そのため、諒君は、自分が居場所を確保するためだけではなく、人間を保ち、地獄に堕ちないためにも1番を走り続けなければなりませんでした。ですから、高校に進学して成績が下がったとき、「限界だ」と言うようになったのです。

勉強しようにも、もはやクタクタでやる気も起きません。心のコップも一杯で集中力もありません。それでも、一番でなければ人間でなくなってしまう―この苦しさが分かるでしょうか。
彼は、かろうじてテストの1週間前に勉強しました。それでも十分すぎるくらいですが、りょう先生は注意します。

『私が“高校は中学と違って試験前の勉強だけじゃ、こぼれるよ”って注意したところ、“おれがこぼれるわけないだろう”という答えが返ってきたんです』
―“おれがこぼれるわけないだろう”…これは、悲鳴ですね。本人こそが、最も落ちたくないのです。


しかし、その言葉を親は次のように聞きます。
『私は背筋が寒くなるような思いがしました。何という傲慢なと思って。この傲慢さは、このままいけば、いいことないだろうというふうに思いました』(りょう先生)

『大先輩なのですから、父親は。そして教職にもついてますし、よくわかっている。そういう親から聞いた言葉に対して、たいへん、傲岸不遜だと思いました』(あけみさん←母親の方が強く非難していますね)



-----------------------------------------------------
親がディスカウントし、
子は落ちれば地獄の崖っぷちに立たされました。
その落ちることができない子供の悲鳴を、
親は傲慢ととらえました。

弟は、証言で次のように言っています。
『兄は小さい頃から優秀で、(略)自分の優秀さをひけらかすような人間ではありませんでした』




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米の奴隷制を廃止する合衆国憲法修正13条が成立したのは1865年。
日本が韓国を併合して朝鮮王公貴族以外の身分制を撤廃し従母奴婢法が廃止されたのは1910年。
それまで、女奴隷に産ませた自分の子を奴隷として使役し売買してた国の圧力で開国して、制度文化価値観を取り入れたり、併合して内鮮一体を目指したり、占領されて価値観や制度を強制されたり、特別永住資格を認めたり、民族文化を国内で普及させたりしているわけ。
これが、日本の社会や親の子供観に影響を与えていないわけがありません。

常識的であることを鼻にかける、世間体を気にする気の小さい親でも、子供に対して支配的になれるような変化があったのでしょう。

影響を受けて、日本の何が変わり何が壊れたか見るべきでしょう。

 

どちらが傲慢なのか…

親は子に何をしても何を言ってもいいと思うのは、なぜ?
私の親も親にいいように扱われ、気持ちを聞いてもらえず、ディスカウントされてきた。
だからって、なぜ、子に対して、同じことをできるのか、10年前に連鎖を止める決意をし、子を生していない私には理解できません。
親になってみれば、親の気持ちがわかると彼らは言います。
それって、子を親の道具にしている気持ちがわかるってこと?
12~3歳の子供を家政婦扱いし、やり方が悪いといつも怒鳴り散らし、こんな奴らに私の気持ちなんか言ってやるもんかと食事時は一切口を開かなくなった私へ、ドラマのヒロインを指差し、お前もこんな風に明るくしたらと言った親の気持ちがわかるということなんでしょうか?

親ってなんですか?
お前を生んでやった、偉いんだぞ、俺らは。だから何しても何言ってもいいんだ、ですか?
たかが子の上に君臨してどうだっていうんだろ。
愚かしい。

 

「一見、ディスカウントしているように見えない」

これが一番恐ろしいところですよね。

私の家は割と裕福な家庭で、欲しいものは大抵買ってもらえたし、休みには海や山、遊園地、動物園、水族館、テーマパーク・・・etcに連れて行ってくれていた。

これのどこがディスカウントしているように見えるでしょうか。
外からは幸せに見える家庭。
でもその家庭内では何が行われているのかは外から絶対に見えません。
そして子供が目に見えておかしくなっても、世間の目には
「あんなに恵まれた子がなんであーなっちゃうのかしら。親不孝者ね。」
で終わってしまいます。

子供が欲しがる物を欲しがるままに与える馬鹿親。(うちの場合は子供たちが母親にばかりなつくのがおもしろくなかったらしく、物や菓子で釣っていた)
本来、楽しい場所であるはずのレジャーも「俺様がせっかく連れてきてやったんだから喜べ!」と言わんばかりの態度。そして旅の恥は書き捨てとばかりに、大勢の前で母親のミスとも言えないミスを、血管が切れるほどに怒鳴り散らす。
それを子供にぶつける母親。

家の中に居ようと外に居ようと親と居る限り、ディスカウント地獄です。

 
    
 
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