第5部-3、「ディスカウント」vs「傲慢」
■3、「ディスカウント」vs「傲慢」---------------------------
枠に従っていい親を演じ続けている親は、自分たちが心を亡くしたロボットになっていることにも、そのため子供の気持ちを聴いていないことにも気づいていません。
また、野球チーム探しのエピソードに見たように、子のためと思って親がやっていることは、実は自分が子や世間に認めてもらうための押しつけでした。
このような親の下で、子供は次のような状況に置かれます。
1,気持ちを聴いてもらえない→人として認めてもらえない
2,押しつけを受ける→親の受け皿として道具にされる
つまり、ディスカウントされているのです。
ディスカウントとは「価値を値引くこと」(ディスカウントセールという言葉でおなじみですね)。つまり、人を人扱いしないと言うこと。具体的には次のようなものを言います。
・精神的ディスカウント
皮肉、嫌味、けなす、仲間はずれ、無視(精神的殺人)
・肉体的ディスカウント
突き飛ばす、殴る、蹴る、殺す
一見、諒君はディスカウントされているようには見えません。しかし、前項で見たように「心理的ネグレクト」をされています。肉体はあるけれど、心はなきものとして扱われているのです。心が殺されているのと同じですね。
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このように、日常的にディスカウント状態に置かれている人間は崖っぷちに立たされてしまいます。もうこれ以上非難や卑下をされたら、もはや人間ではなくなってしまうというギリギリの精神状態に追い込まれてしまうのです。追い込まれていない人にとっては何でもない一言でも、地獄に突き落とされてしまうのです。
そのため、諒君は、自分が居場所を確保するためだけではなく、人間を保ち、地獄に堕ちないためにも1番を走り続けなければなりませんでした。ですから、高校に進学して成績が下がったとき、「限界だ」と言うようになったのです。
勉強しようにも、もはやクタクタでやる気も起きません。心のコップも一杯で集中力もありません。それでも、一番でなければ人間でなくなってしまう―この苦しさが分かるでしょうか。
彼は、かろうじてテストの1週間前に勉強しました。それでも十分すぎるくらいですが、りょう先生は注意します。
『私が“高校は中学と違って試験前の勉強だけじゃ、こぼれるよ”って注意したところ、“おれがこぼれるわけないだろう”という答えが返ってきたんです』
―“おれがこぼれるわけないだろう”…これは、悲鳴ですね。本人こそが、最も落ちたくないのです。
しかし、その言葉を親は次のように聞きます。
『私は背筋が寒くなるような思いがしました。何という傲慢なと思って。この傲慢さは、このままいけば、いいことないだろうというふうに思いました』(りょう先生)
『大先輩なのですから、父親は。そして教職にもついてますし、よくわかっている。そういう親から聞いた言葉に対して、たいへん、傲岸不遜だと思いました』(あけみさん←母親の方が強く非難していますね)
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親がディスカウントし、
子は落ちれば地獄の崖っぷちに立たされました。
その落ちることができない子供の悲鳴を、
親は傲慢ととらえました。
弟は、証言で次のように言っています。
『兄は小さい頃から優秀で、(略)自分の優秀さをひけらかすような人間ではありませんでした』