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第6部 制圧-1、叩く正義を得るためのレッテル貼り

2009/06/16(Tue) Category : 仮面の家
第6部 制圧

■1、叩く正義を得るためのレッテル貼り-----------------------

『私は高校中退したときに、あの傲岸不遜な性格を直すのには、どこかで挫折を味わうしかない。(略)高校中退が結局、その後、とんとん拍子にいってしまって、挫折の役割を果たさなかったんじゃないかということで、大学へ入って中退というのが、はじめて本人にとって本当の挫折だったんじゃないかと思いました』とりょう先生は言います。

この両親は一致して諒君を「傲慢」「傲岸不遜」とレッテル貼りしていますね。それを聞いた裁判員は、諒君にそういう印象を持つでしょう。なにしろ、両親がともに言っているのですから。

しかし、たとえば『第5部-3、「ディスカウント」vs「傲慢」』で見たとおり、『おれがこぼれるわけないだろう』と言ったのは、落ちるわけにはいかない崖っぷちに立たされた諒君の悲鳴でした。崖っぷちに追い詰めたのは、生まれて以来ディスカウントし続けている親です。

日々、人間から心なき操り人形へと引きずり下ろそうとする圧力がかかっているからこそ、
日々人以上の位置に自分を置いておかなければならないのです。
その姿を見て、親は「傲慢」「傲岸不遜」と捉えます。


気持ちを封印して生きている親から見ると、気持ちを言うという当たり前のことさえ「わがまま」なのです。わが子が気持ちを言っている姿を見ると、「俺(私)だって、気持ちを我慢しているのに」と親のインナーチャイルドがわが子に嫉妬するのです。

自分の気持ちに我慢をさせて形に合わせて生きていますから、学校に行かないなどの“形からの逸脱”は、“我慢が足りない”“わがまま”という見方しかできせん。

そういう思いがあるところへ、売り言葉に買い言葉のようにでてきた『おれがこぼれるわけないだろう』という言葉。りょう夫妻は、その言葉をこれ幸いと言質にとりました。そういう言葉を吐く本人を「傲慢」とレッテル貼りしたのです。

つまり、以前も見たとおり、諒君本人が傲慢な人間なのではなく、諒君を制圧する大義を得るために、自分を正当化する“理由”がほしかったのです。すなわち、夫婦が共通して諒君に「傲慢」とレッテル貼りした高2の時点で諒君制圧への準備が整ったと言うことです。





*親にいろいろとレッテル貼りされて苦しまれている方へ―。

あなたが気持ちで生きようとする普通の人間だからこそ型にはまらず、型から見ると逸脱した部分が出てくるのです。その逸脱した部分が目障りで、親はそこにレッテル貼りするのです。そのレッテルは、むしろ自分が人間らしい人間であることの証。勲章です。

もう“レッテルの名札”に嘆くことはやめましょう。
名札は一人歩きしますが、あなたがそういう人間なのではなく、その名札をつけた人間から見るとそう見えるというだけのこと。つまり、レッテルは、それを貼った人の立場を表しているものなのです。

親や親戚や周囲の人間が、怒りや妬みや恨みや憎しみを込めてレッテルを使ったとすれば、それはそれだけその人々が苦しみの中に生きているということ。同じ地獄に落としたいので攻撃してくるのです。
ですから、自分に自信を持って下さい。

そして、レッテルが“それを貼った人の立場を表明するものに過ぎない”ことがわかったならば、今すぐにそのレッテルを剥がしましょう。

「私は○○ではない。自分の気持ちを大事にして生きる愛情豊かな普通の人間だ」

ほら、もう剥がれたでしょう(^^)。
なんだ、こんな馬鹿馬鹿しい薄っぺらいものに私は囚われ振り回されていたのか……レッテルなんて、そんな吹けば飛ぶようなちっぽけなものです。

私は、あるがままのあなたが大好きです。







「レッテル貼り」が不幸を呼ぶ




 
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はじめまして。
昔から人前に立つことや何かを発表することが大の苦手で、人前で低能さ無知さをさらけ出すことに強い恐怖を感じて思考が止まってしまいます。
博士論文を書く段階になり、どうしてもこの恐怖から書く事ができなくなり、睡眠障害も出るようになったことから、思い切ってテラピーを受け始めました。
毎回のように私がこの恐怖心に触れると、「今までに大きな失敗をしたことがあるのか、成績がひどく悪かった経験があるのか」と質問されます。そう問われて、改めて考えてみると、まったくと言っていいほど無いということに驚きを覚えました。
「それではその恐怖心はどこから来るのか」と問われると、子供の頃に母から繰り返し言われてきた言葉が浮かんできました。「愚図」、「遅い」、「だらしない」、「ボケーッとしてて反応がない」、「イライラする」、「馬鹿だとは思わないけど、頭がイイとも思えない」とか。これらの言葉が私の頭を支配していて、ストレスを感じたりプレッシャーを感じると、その時の情けない気持ちや、母に「ダメな子」だと思われてしまうという恐怖心にとらわれて、頭が働かなくなり、身動きできなくなってしまうようです。
何の目的もなく海外へ来て12年経ちました。本当は一年遊学して帰るつもりだったのに、偶然から修士課程へ進み、そのまま研究室にいついて博士論文をはじめ、その間に出会ったこの国の人と結婚しました。親に相談することもなく、いつも決めた後に報告するだけでした。友人にも親戚にも、精神的に自立していると言われます。
ついこの間のテラピーの時に、私は結局母から逃げてここまで来たのだという考えが突然降りてきて、涙が止まりませんでした。母のところに帰りたくないから、彼女の支配下に戻りたくないから、帰らなくてもいい理由を探し続け、大学に居続け、こちらの人と結婚までしてしまったんですね。幸い夫は自律的でとても朗らかで包容力のある人で、今の生活が幸せだと感じることができます。
こちらのブログをあちこちから読ませていただいています。ストンと胸に落ちてくるような説明がたくさんあります。ゆっくり時間を掛けて勉強させていただきたいと思います。
長々とすみません。イイ歳をして、親のせいにしていると言われるのがコワくて、友達にも話せませんので、こちらで吐き出させていただきました。

 

親を捨てる覚悟

我儘、我が強い、細木数子のようだ。などなどレッテルを貼られて不満に思っていました。
レッテルって、そういう原理だったのですね。

不幸中の幸いと言いますか、私は嫌がらせを受けていたときに、どんなに親に助けを求めても、なぐさめるだけで助ける行動をしてくれなかった親に絶望しました。

絶望し、一人で生きる決意を固めました。

親を見捨てる、ひどい子供だなと自分で思っていたので
こういった原因の解明はとってもありがたいです。ほっとしました。
ありがとうございます。

 

憑き物が落ちました^^

母親によく「頑固」だと言われて、小さい頃から訳も分からずいらいらとその言葉を受け止めてきました。「私には私の意志がある、それを通したいと思えば頑固と言われる、意志を殺してあなたの言うなりになれということか、そうでなければ私は悪い子になるのか」と、今言葉にしてみるとこんな感じでしょうか。あんたの意志はいらない、と言われることに対して怒りと、母親に受け入れられなくなる不安を感じていたんですね。今まで読ませて頂いてきて、これまで私にとって絶対的存在だった親がずいぶん小さく思えるようになってきました。そしてこのヒトたちが私に貼るレッテルは、不安定な自分たちを支えるためのもの。そうでもしないと自分たちが崩れてしまうからだったんですね。私はこのままでよかったんだ。最高のプラスストローク、ありがとうございます、中尾先生!!そして嬉しいことがもう一つ。今まですっかり無くしてしまったと思っていたんですが、なんだ、あったんじゃん、私の意志。発見できて、ものすごく嬉しいです。

 

父の言うことに度々反抗していた私は、「気の強い子・人の話を素直に聞かない性格の悪い子・とんでもない子」として父から非難されてきました。
 なので、人から見ると私は性格が悪いのだと思い込んでいました。
 今は「なーんだレッテル貼りだったのか!こんちくしょう!」
 って思います。

 

すごいです、こんなに心から納得できる話は他で読んだことがありません。

 

ありがとうございました

いじめにあったトラウマから今でも立ち直れませんでしたが、私が苦しめられたことと、私の価値は無関係なんですね。
私は私を好きでいていいし、苦しいと言っていいし、怒っていいし、気持ちのまま生きて良いのですね。
そう気がつきつづけています。気がつくたび涙が出てきます。

 

これを読んでいて、確かに私もレッテルを貼られていたなあと思うと同時に、私も親にレッテルを貼っていたなあと思いました。
どちらももう私には必要ないものでした。
だから捨てました♪
親、先祖の属する世界から離れて、今どんどん自分が解放されていっています。
それは未体験のことの連続で、怖くもありますが、とてもワクワクしています。
こちらのブログに出会えて本当にきっかけになりました。
ありがとうございます。

 
    
 
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