第6部-3、親が正当化される背景
2009/06/18(Thu) Category : 仮面の家
第6部 制圧
■3、親が正当化される背景--------------------------------
ところで……
『“何だと!これだけ親が苦労して学費を出しているのに”と言ってやりました。しかし長男は“おれは大学生活を楽しもうと思った”と言ったので、私は“親をだましたな”と。長男の自己弁護だと思いました。自己正当化が強かったのです』
このようにりょう先生の証言を通り一遍に聞いた裁判員は、その通りと思うかもしれませんね。りょう先生の視点で語られるストーリーにはあけみさんも同意して一貫性があるように見えるでしょう。夫婦が揃えば強い説得力を持ちます。
りょう先生自らも理解していない無意識の自分の行動。そして、その行動に追い詰められている諒君の心のメカニズムを洞察することは、“世間の常識”を基に臨む裁判員にはそう簡単なことではないと思います。
私は、親の言うことを近所の人が真に受けたり、一族郎党が親の味方について、孤立無援に追い込まれている人々をたくさん見てきました。言わば、親が「原告」で“常識ある”近所の人や親族が「裁判員」です。何かがおかしいと感じつつ、そのおかしさを言葉にできない子(被告)に勝つ術はありません。
その曰く言い難いもどかしさは、「それでも地球は動いている」とつぶやいたガリレオの悔しさにどこか似ています。真実を語っているのに、すべての人が「おまえがおかしい!」と断罪してくる苦しさ、悔しさ…。
-----------------------------------------------------
一方で、周囲の人々はガリレオを断罪しなければ“ならない”のです。なぜなら、すべて社会システムというものは理念に則って作られているため(←詳しい説明は省きますが)、天動説が常識である世において、ガリレオの発言は社会の変革を導いてしまうからです。
既得権益者、体制維持者はもとより、一般の人々もすべて、「現」社会体制の「中」で生きているわけです。その人々にとって、今の生活が変わることは一大事。ですから、暗黙の連携でよってたかってガリレオを罪人に仕立て上げ、葬り去るわけです。
現代の人は、ガリレオを有罪とした宗教裁判を笑いますが、当時の人は皆妥当な判決と思っていたでしょう。その当時の人々を笑う資格は私たちにはありません。私たちもまた、時代の価値観や常識に縛られているからです。
先祖を大切に、目上を敬え、親の言うことを聞け…このようなことが無前提に正しいとされている現代において、子が問題を起こせば、それは無前提に子が悪いことになってしまいがちです。その中で、親に問題があると発言することは異端なのです。
しかし、当たり前の話ですが親は聖人ではありません。むしろ、自律した人間など稀少になり、死ぬまで「大人になれない大人」のままに生き、ストロークを得るためのゲームをし続け、真の人生を歩めないままに終えていくのが現代社会の悲劇であり、親もまたその一人なのです。
が、いずれこの時代も終わるでしょう。
これだけ苦しんでいる人が増えた現代は、産みの苦しみの時代です。そのうち新たな社会の価値観が生み出されることでしょう。その時代を先導するのは、今苦しまれている人々です。そして、天動説などあったことも知らない時代が訪れたように、「子は親の鏡」「子に導かれよ」ということが当たり前の常識となっている時代が訪れるのでしょう。
【閑話休題】--------------------------------------------
この世で誰も自分のことを分かってくれる人がいない、それどころか、すべて自分一人が悪いと白眼視される―それは地獄の苦しみです。私は、そういう人々にお会いする度に、よくぞ生き延びてきたと驚嘆すると同時に、自分も親族も他人も殺さずに生き延びてこられたことに心から感謝します。健全な魂とへこたれずにここまで導いてきた健気なインナーチャイルドに感謝するのです。
しかし、なんらかの「受け止められ体験」もないままに追い詰められ、そして事件を起こし、このような裁判においてさえも親のストーリーで裁かれてしまうとしたら……私は、やりきれない思いです。
裁判員制度は、現社会システムを延命するために利用されるかもしれません。
あなたが、時代や社会、地域、親の価値観を相対化できなければ、
あるいは思考で相対化できても、内在化しているインナーペアレンツに気づかなければ、
あるいは、自分を衝動的に突き動かしたり、相手に自己投影してしまったりするインナーチャイルドに気づかなければ、
さらには、その最下層から自分を無意識に支配している存在不安に気づかなければ、
あなたは正しい判断を下すことはできません。
自分は、これだけの無意識に四重にも五重にも取り巻かれているのです。そして、私の相談者の方々は、これだけの内的世界と闘っているのです。おそらく、事件に至る人々も…。そういう人々を裁くとき、あなた自身も裁かれているのです。
現代社会における裁判員制度は、社会のイネイブラー(悪しき状態の維持者)となる可能性もあります。
裁判の目的が真実を究明することであるならば、自白を強要する取り調べではなくカウンセラーが必要かもしれません(それも、システムズアプローチを実践できる家族カウンセラーが。まだまだ陽の当たっていない家族相談士を活用してはどうでしょうね)。
また、ひいては社会から犯罪をなくすことが目的であるのならば、その目的に最も早く到達できるのは、小学校の教育に「心のコップ」や「システムズアプローチ」の教育を取り入れること、そのものの見方をいろいろな手段を使って日本全国に広げることだと思います。
【法曹界と心理学界の連携の必要性】
離婚裁判の現状
【イネイブラー】
第2部 信楽高原鉄道事故の教訓 (4)イネイブラーとなった裁判所
第4部 「日勤教育」に見る洗脳の仕方 (6)イネイブラーとなった裁判所Part2
■3、親が正当化される背景--------------------------------
ところで……
『“何だと!これだけ親が苦労して学費を出しているのに”と言ってやりました。しかし長男は“おれは大学生活を楽しもうと思った”と言ったので、私は“親をだましたな”と。長男の自己弁護だと思いました。自己正当化が強かったのです』
このようにりょう先生の証言を通り一遍に聞いた裁判員は、その通りと思うかもしれませんね。りょう先生の視点で語られるストーリーにはあけみさんも同意して一貫性があるように見えるでしょう。夫婦が揃えば強い説得力を持ちます。
りょう先生自らも理解していない無意識の自分の行動。そして、その行動に追い詰められている諒君の心のメカニズムを洞察することは、“世間の常識”を基に臨む裁判員にはそう簡単なことではないと思います。
私は、親の言うことを近所の人が真に受けたり、一族郎党が親の味方について、孤立無援に追い込まれている人々をたくさん見てきました。言わば、親が「原告」で“常識ある”近所の人や親族が「裁判員」です。何かがおかしいと感じつつ、そのおかしさを言葉にできない子(被告)に勝つ術はありません。
その曰く言い難いもどかしさは、「それでも地球は動いている」とつぶやいたガリレオの悔しさにどこか似ています。真実を語っているのに、すべての人が「おまえがおかしい!」と断罪してくる苦しさ、悔しさ…。
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一方で、周囲の人々はガリレオを断罪しなければ“ならない”のです。なぜなら、すべて社会システムというものは理念に則って作られているため(←詳しい説明は省きますが)、天動説が常識である世において、ガリレオの発言は社会の変革を導いてしまうからです。
既得権益者、体制維持者はもとより、一般の人々もすべて、「現」社会体制の「中」で生きているわけです。その人々にとって、今の生活が変わることは一大事。ですから、暗黙の連携でよってたかってガリレオを罪人に仕立て上げ、葬り去るわけです。
現代の人は、ガリレオを有罪とした宗教裁判を笑いますが、当時の人は皆妥当な判決と思っていたでしょう。その当時の人々を笑う資格は私たちにはありません。私たちもまた、時代の価値観や常識に縛られているからです。
先祖を大切に、目上を敬え、親の言うことを聞け…このようなことが無前提に正しいとされている現代において、子が問題を起こせば、それは無前提に子が悪いことになってしまいがちです。その中で、親に問題があると発言することは異端なのです。
しかし、当たり前の話ですが親は聖人ではありません。むしろ、自律した人間など稀少になり、死ぬまで「大人になれない大人」のままに生き、ストロークを得るためのゲームをし続け、真の人生を歩めないままに終えていくのが現代社会の悲劇であり、親もまたその一人なのです。
が、いずれこの時代も終わるでしょう。
これだけ苦しんでいる人が増えた現代は、産みの苦しみの時代です。そのうち新たな社会の価値観が生み出されることでしょう。その時代を先導するのは、今苦しまれている人々です。そして、天動説などあったことも知らない時代が訪れたように、「子は親の鏡」「子に導かれよ」ということが当たり前の常識となっている時代が訪れるのでしょう。
【閑話休題】--------------------------------------------
この世で誰も自分のことを分かってくれる人がいない、それどころか、すべて自分一人が悪いと白眼視される―それは地獄の苦しみです。私は、そういう人々にお会いする度に、よくぞ生き延びてきたと驚嘆すると同時に、自分も親族も他人も殺さずに生き延びてこられたことに心から感謝します。健全な魂とへこたれずにここまで導いてきた健気なインナーチャイルドに感謝するのです。
しかし、なんらかの「受け止められ体験」もないままに追い詰められ、そして事件を起こし、このような裁判においてさえも親のストーリーで裁かれてしまうとしたら……私は、やりきれない思いです。
裁判員制度は、現社会システムを延命するために利用されるかもしれません。
あなたが、時代や社会、地域、親の価値観を相対化できなければ、
あるいは思考で相対化できても、内在化しているインナーペアレンツに気づかなければ、
あるいは、自分を衝動的に突き動かしたり、相手に自己投影してしまったりするインナーチャイルドに気づかなければ、
さらには、その最下層から自分を無意識に支配している存在不安に気づかなければ、
あなたは正しい判断を下すことはできません。
自分は、これだけの無意識に四重にも五重にも取り巻かれているのです。そして、私の相談者の方々は、これだけの内的世界と闘っているのです。おそらく、事件に至る人々も…。そういう人々を裁くとき、あなた自身も裁かれているのです。
現代社会における裁判員制度は、社会のイネイブラー(悪しき状態の維持者)となる可能性もあります。
裁判の目的が真実を究明することであるならば、自白を強要する取り調べではなくカウンセラーが必要かもしれません(それも、システムズアプローチを実践できる家族カウンセラーが。まだまだ陽の当たっていない家族相談士を活用してはどうでしょうね)。
また、ひいては社会から犯罪をなくすことが目的であるのならば、その目的に最も早く到達できるのは、小学校の教育に「心のコップ」や「システムズアプローチ」の教育を取り入れること、そのものの見方をいろいろな手段を使って日本全国に広げることだと思います。
【法曹界と心理学界の連携の必要性】
離婚裁判の現状
【イネイブラー】
第2部 信楽高原鉄道事故の教訓 (4)イネイブラーとなった裁判所
第4部 「日勤教育」に見る洗脳の仕方 (6)イネイブラーとなった裁判所Part2