第6部-4、親の責任逃れの方法
■4、親の責任逃れの方法--------------------------------
大学中退前、諒青年は友人に『弁護士の資格を持ったミュージシャン』という話しをしています。才能があっても音楽で食べていくのは難しいための“付加価値”でした。そのような人生設計も友達としていたのです。
ところが、中退後、まさにりょう先生に言われるのです。
『食べられる方法として司法試験を受けてみたらどうか』
またしても!です。ドッと疲労が襲ってくる気がしました。
またかよ。また、お前は邪魔をするのかよ。
どこまでいっても、どこまでいっても、お前は邪魔をしてくる。
一体、どこまでお前は俺の邪魔をし続けるのだ…。
『自分の人生にどこまでも介入してくる両親を亡き者にする以外に、自分の生きる道はない』と、両親を鉄アレイで撲殺した少年のことが思い出されます(下欄参照)。
『第5部-7、閉ざされた「人」への道』を思い出してください。親の一言が子供の生きる道を奪っているのです。諒君の勉強は、数ヶ月しか続きませんでした。その時の様子をりょう先生はこう言います。
『そのときは理由はわかりませんでしたが、長男は受験勉強の途中、酒を飲んでは泣いておりました。また長男は自分の部屋に霊がいるなどといって、鳥肌を立てて震えていたことがありました』
息子を追い詰めている張本人であるりょう先生に“理由”などわかるはずもありません。次から次への道を閉ざされる長男の無念の涙もわからないでしょう。何と孤独で、辛く、苦しい涙でしょうか…。
諒君はこの頃付き合っていた女性とセックスができなかったためとりょう先生には言っています。『そういうことがあったために、とても勉強する気にならなくなったと言いました。酒を飲んで泣いていたのも、そのためだったとのことでした』
―確かにセックスができなかったことが引き金になったでしょう。しかし、できなくなったこともまた追い詰められた結果なのです。もう、疲れ果てているのです。力尽きそうなのです。ギリギリで生きていた彼に一撃を加えたのがセックス不全だったと言うだけのことなのです。
もはやこの監獄から出られないのではないか。人として日の目を見て生きることはできないのではないか。その恐れと不安を象徴したのが“霊”です。“霊”とは、取りも直さず息子に取り憑いて離れない両親のことなのです。
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そして、この頃から、諒青年は「親のせいだ」とあけみさんを責めるようになります。親のせいなのですから、親のせいだと悪態をつくのは当たり前でした。親が違えば、彼は違う人生を歩んでいたでしょう。
しかし、“親のせい”を突き詰めていくと、帝国の虚構が暴かれてしまいます。それは回避しなければなりません。そこで、あけみさんは諒君を精神科に連れて行こうとします(無意識です)。
『何事も自分の思うようにならなかったことについて、全部、親のせいにしました。このままではいけないと思いまして、精神科のお医者さんへ行ったんですが……』
そうですね。係累が他に及ばないように、あくまでも本人の問題として閉じこめておくために用いられるのが、精神科(事件で言えば精神鑑定)です。そして、親は医者から「病名」というアリバイを得ることで自分の責任逃れを果たし、その病気を治すという名分で閉じこめようとするわけです。
巧妙なのは、『グズグズしていて、予約時間に間に合わなくなりましたので、仕方がなく私一人で行ったのでした』と、諒君のせいにしつつ自分一人で行っていることです。本人が行かなければ意味がないのであれば、予約をキャンセルして別の日に変えることもできたでしょう。結局あけみさん一人が行って『長男の生い立ちや、これまでの生活などをかなり詳しく話し』、『退却神経症』というアリバイを得て帰ります。
この時、『治療が難しく、このままいけば、お気の毒ですが、悲惨な生涯になります』と言われた言葉は、あけみさんの中に残りました。そして、『そういうふうに言われたからには、そういうふうにならないようにしてやらなければ』とあけみさんは思い、『これを読むように』と医師に勧められた本を諒君に渡しています。
このように、専門家から言質を取って専門家に責任を負わせ、言われたことを実行して自分の肩の荷を降ろし、あとそれをするもしないも本人次第と責任を投げてしまうのがドゥーイングペアレント(Doing Parent)の典型的なパターンです。
『結局、長男は読みませんでした』―そう、あとは諒君のせいにしてしまえるのです。
「親のせい」と子供に責められたときに、精神科医に行き、アリバイを作ってきちんと責任回避を果たしていますね。私は、少年A(酒鬼薔薇)の母親を思い出しました。
水戸両親鉄アレイ殺害事件