足利事件―虚偽自白だれにも起きる監獄社会
2009/06/24(Wed) Category : 社会事件簿
以下、【週刊朝日20090626号+朝日新聞20090624記事よりメモ】
■1,17年の人生を奪った足利事件概要-----------------------
足利市では79年と84年に起こった幼女殺害事件が未解決のまま、90年に3度目の幼女殺害事件が発生。警察の威信がかかっていた。
栃木県警は、週末に単身借家暮らしをする管家氏を不審人物としてマークし、91年に手に入れたゴミ袋の精液からDNA鑑定。殺害された女児についていた精液と「DNAの型」が同じということから任意同行に踏み切った。
その日の夜10時過ぎに供述を始め、逮捕。
DNA鑑定は一躍脚光を浴び、大蔵省との復活折衝で92年度に鑑定用機器の全国への配備が決定。
しかし、当時のDNA鑑定精度は1000人に1.2人。当時の足利市の人口比率では該当者が市内に50人いる計算(現在では、当時の精度は1000人に5.4人と修正されている。とすれば、250人近い該当者がいることになる)。
菅家氏は一審で否認するも、無期懲役。宇都宮地裁に控訴するも棄却。最高裁に上告するも棄却。
02年。弁護団は菅家氏の毛髪からDNA鑑定。押田教授(日大)により真犯人のものとは異なると証明され、再審請求したが、最高裁も宇都宮地裁も応ぜず。08年東京高裁が再審を認め、管家氏と犯人のDNAが一致しないことが証明され、17年間にわたる拘留からようやく解放された。
*結局、小児性愛者が行きつけのパチンコ店で見かけた女児を誘い出して殺害したという“架空のストーリー”を菅家氏は押し付けられて投獄された。警察側は、自白+氏が小児性愛者だと印象づける周辺の証言という心許ないもの。一方の弁護団は、ゴルフの練習をしていた男性から、管家氏と容姿が異なる男が女児を連れて歩いていたという決定的証言を得ている。
これだけの決定的証拠があったにもかかわらず、なぜ罪なき被害者を創り出し、真犯人を放置するという結果になってしまったのか。いろいろと周辺事情もあるが、最も大きな背後要因は「ウソの自白はない」という一般社会通念であろう。
■2,自白はこうして作られる--------------------------------
浜田寿美男教授(奈良女子大 法心理学)によると、「虚偽自白はだれにも起きる」と言う。理由は「捜査側が、犯人と決めつけていること」に尽きる。
●捜査員の姿勢
1,やってないかもしれないという思考を排除している(冤罪の可能性を排除している)
2,被疑者を落とすという方針で追究し続ける
3,シロかもしれないと主張する捜査員は外される
4,自分は捕まえただけ、有罪にしたのは検事という無責任体系
5,そもそも「頑強に否認する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取り調べてはならない」(00年度警察官向けテキスト)と指導されているそうだ
●裁判官の姿勢
1,無罪判決をかきたくない(現在有罪率99.9%)
2,出世に響く
3,同じ官僚である検察を批判したくない
もっとも不思議なのは、なぜウソの自白をするのか、ということだろう。浜田教授は次のように言う。
●虚偽自白の3パターン。
1,身代わり自白―大事な人をかばって嘘をつく
2,強制迎合型自白―取り調べが辛くて嘘をつく(最も多い)
3,自己同化型自白―自分が犯人と思いこむ
●強制迎合型自白の心理
1,社会から隔離・遮断される孤立感、不安、絶望
2,一人取調室で警官に取り囲まれる恐怖
3,懸命に説明するが聞いてもらえない無力感
4,長時間拘束され、決めつけられ、罵倒され、植え付けられる無価値感
5,期間の見通しがつかない無間地獄(忍耐力の剥奪)
6,嘘をついてでも楽になりたいと願う倒錯の心理
7,この世界で生き延びるためには、“犯人”役をやるしかないという生きる方針の転換(環境適応、ストックホルム症候群)
*ストックホルム症候群とは、1973年、ストックホルムでの1週間に及ぶ銀行強盗人質立てこもり事件において、人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったという事件から名付けられた被害者の心理や行動。恐怖で支配された閉塞状況の中では、犯人に対して協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応と説明されている。
■3,自白に至る心理過程----------------------------------
この自白に至る心理過程はよく理解できる。以下、『』内は浜田氏談。
いきなり世の中から隔絶された不安と恐怖のストレス。しかも、相手は巨大な国家機関。国が敵という重圧は想像を絶する。『世の中から遮断され、一人で取調室で警官に取り囲まれたとき、人は冷静ではいられません』
その極度の緊張の中、懸命に身の潔白を説明するのだが聞く耳を持たない。『無力感に打ちひしがれます』。どころか、罵倒される。『1時間でも罵倒されるのは耐えがたい。十分に拷問なのです』。鎌田慧氏によれば、『取り調べから逃れて「留置場に帰って横になりたい」とさえ思うようになるようです』とのこと。
また、『期間の見通しがつきさえすれば、人はその苦痛を我慢できます。しかし、いつまで続くかわからない状況で耐えるのは困難です』。
『ウソの自白は、その異常な状況下で精神を正常に保つための判断だと言った方がいいんじゃないか』―そう、この環境から逃れられないと思ったとき、人はその環境で生き延びるための方法論を模索し始める。
隔絶した舞台。そこにいきなり「犯人役」として登場させられてしまった。舞台上の人物達は、自分に「犯人」以外の役を期待してはいない。犯人として与えられた台詞以外の言葉をいくら紡いでも、誰も応じてくれない。その自分の存在を無視される苦痛の中で悟るのだ。自分を認めてもらうためには犯人役をやる以外にない、と。そして、“落ちる”のだ。「私がやりました」と―。
実際、『たまたま録音テープが残っていた冤罪事件では、無実の人が取調中に「よし犯人になったろ、俺がやったんや」とつぶやいています』。
そして、役になることを決めた後は、『犯人になったつもりで、想像して犯行の筋書きを語る以外に選択肢はない』。
『犯行を知らないのだから、証拠と合わないことも言ってしまう。だが、「違うだろう」「まだそんなことを言っているのか」といった取調官の反応を見ながら、徐々に物証に合う供述ができるようになる。そして、無実の人と捜査官という犯行を知らない者同士で、詳細で迫真性のある調書を作り上げてしまうのです』……恐るべし、だ。
■4,菅家氏の手紙に見る苛酷-------------------------------
94年5月13日の菅家氏から支える会に宛てられた手紙にはこう書かれている。
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/tegami.htm
『私は平成3年12月1日の朝、私は借家から刑事にいきなり警察へ連行されました。そして12月1日朝から夜おそくまで調べられました。
1日の日に刑事に「お前がやったんだな」と私にゆうのです。それで私はやっていないと話しましたが、刑事はまったくうけつけませんでした。そして刑事がお前は現場に行っているんだよとゆうのです。しかし私は現場には行っていないのです。刑事に私は現場には、行っていませんと話しました。それでも刑事はまったく受けつけません。
そしてまた刑事が、お前がやったはずだとまた私を責めたてるのです。私はやっていませんと何度も何度も刑事に話すのですが、それでもまったく受け付けられませんでした。時間が進むにつれて、刑事の声がだんだんと大きくなるのです。そして刑事が机をたたいたりして、早くしゃべって楽になれと言うのです。
それから私が下をむいた時、刑事に私はかみの毛をひっぱられました。私は刑事に机をたたかれたり、大きな声でいわれたり、だんだん刑事がこわくなり、疲れと、眠さとで私はもうつかれてしまい、やってもいない事件をやったと言えば休ませてくれると思い、それで私はやったと言ってしまいました。それで私は夜おそくなって逮捕されました。』
……最も輝く人生の17年間を不意に奪われてしまった菅家利和氏の無念は計り知れない。これで、警察官向けテキストが書き直されなければ菅家氏の17年は報われない。恨みも復讐心もあっただろう。が、本部長から謝罪を受けた菅家さんは「許そうと思いました」―これからの幸せを切にお祈り申し上げます。
ところで、このように人を追い詰めていく構図は、実は日本の至る所にはびこっている。
○先ずは、企業―日勤教育の現場を見てほしい----------------
JR福知山線脱線事故の深層-第4部「日勤教育」に見る洗脳の仕方
(1)「日勤教育」の現場
(2)「精神の背骨」の折り方
いかがだろうか。JR西日本の設置した日勤教育の部屋は、まるで被疑者を自白に追い込む取調室そのものだということがわかるだろう。
服部運転士がなぜ自殺に追い込まれたのか、高見運転士がなぜ強迫的にスピードを上げ事故を起こしたのか。2人の若者を追い詰めた背景にある雪隠詰め地獄がわかれば、日勤教育の是非は問うまでもないはずだ。
○次に、学校という現場を見てほしい------------------------
「ハラスメント・スクール」
いかがだろうか。反吐が出るようなおぞましい学校が現存しているのだ。
○そして、家庭という現場を見てほしい-----------------------
「モラルハラスメントとは-その定義とやり方」
ある日突然、身におぼえのないことで鬼のように怒られ、自分の主張はフルシカト(完全無視)される。いかがだろうか。人がモラハラに遭って自己を喪失していく過程と、取調官の言うがままに落ちていく過程は、とてもよく似ている。そして、次のような心理状況になっていくのだ。
「衝撃のモラハラ・ダメージ!~配偶者はどうなっていくのか?」
また、上記で見た「強制迎合型自白の心理」は、実に親に支配されている子どもの心理そのものなのである。我が身を振り返ってみてください。家庭において、あのような心理を体験された方も多いだろう。
さらに、「自己同化型」で源家族に従属して生きている人はごまんといる。そういう親族の中で、心を持った人々がどれほど“非国民”扱いされ、孤立無援の孤独の中で苦しんでいるか……。
私たちは北朝鮮を、生きる自由のない管理国家と見ている。が、自分の気持ちで動けない人々が、どれほどコントロールされやすいか。私の目から見ると、日本もまた北朝鮮とよく似た監獄国家なのだ。(まったく日本はどうなってしまったのか……)
私が家族カウンセリングで飛び回っているのは、ひとえに心ある人々を増やすためだ。
のびのびと生きたい。
楽しくワクワクと、存分に生を謳歌したい。
愛し合い、笑顔と感動を分かち合いたい。
菅家さんの望みも、私の望みも……この世に生を受けたすべての人の、それが望みだろう。
そのためには、仲間を増やすしかない。
それは、生き方を変えるという痛みを伴う。
それに挑戦できる人は、今苦しんでいる人だ。
なぜなら、土壇場に追い詰められない限り、人は自分を変えようとはしないからである。まして、逃げ場がある限り、人は自分自身から逃げ続けようとする。自分と向き合う覚悟ができるのは、追い詰められた人だけなのだ。
今の社会を変えていけるのは、今追い詰められている人々である。
だから、決して自棄にならないで。
自分を見捨てないで。
菅家利和さんの闘いに感謝します。
■1,17年の人生を奪った足利事件概要-----------------------
足利市では79年と84年に起こった幼女殺害事件が未解決のまま、90年に3度目の幼女殺害事件が発生。警察の威信がかかっていた。
栃木県警は、週末に単身借家暮らしをする管家氏を不審人物としてマークし、91年に手に入れたゴミ袋の精液からDNA鑑定。殺害された女児についていた精液と「DNAの型」が同じということから任意同行に踏み切った。
その日の夜10時過ぎに供述を始め、逮捕。
DNA鑑定は一躍脚光を浴び、大蔵省との復活折衝で92年度に鑑定用機器の全国への配備が決定。
しかし、当時のDNA鑑定精度は1000人に1.2人。当時の足利市の人口比率では該当者が市内に50人いる計算(現在では、当時の精度は1000人に5.4人と修正されている。とすれば、250人近い該当者がいることになる)。
菅家氏は一審で否認するも、無期懲役。宇都宮地裁に控訴するも棄却。最高裁に上告するも棄却。
02年。弁護団は菅家氏の毛髪からDNA鑑定。押田教授(日大)により真犯人のものとは異なると証明され、再審請求したが、最高裁も宇都宮地裁も応ぜず。08年東京高裁が再審を認め、管家氏と犯人のDNAが一致しないことが証明され、17年間にわたる拘留からようやく解放された。
*結局、小児性愛者が行きつけのパチンコ店で見かけた女児を誘い出して殺害したという“架空のストーリー”を菅家氏は押し付けられて投獄された。警察側は、自白+氏が小児性愛者だと印象づける周辺の証言という心許ないもの。一方の弁護団は、ゴルフの練習をしていた男性から、管家氏と容姿が異なる男が女児を連れて歩いていたという決定的証言を得ている。
これだけの決定的証拠があったにもかかわらず、なぜ罪なき被害者を創り出し、真犯人を放置するという結果になってしまったのか。いろいろと周辺事情もあるが、最も大きな背後要因は「ウソの自白はない」という一般社会通念であろう。
■2,自白はこうして作られる--------------------------------
浜田寿美男教授(奈良女子大 法心理学)によると、「虚偽自白はだれにも起きる」と言う。理由は「捜査側が、犯人と決めつけていること」に尽きる。
●捜査員の姿勢
1,やってないかもしれないという思考を排除している(冤罪の可能性を排除している)
2,被疑者を落とすという方針で追究し続ける
3,シロかもしれないと主張する捜査員は外される
4,自分は捕まえただけ、有罪にしたのは検事という無責任体系
5,そもそも「頑強に否認する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取り調べてはならない」(00年度警察官向けテキスト)と指導されているそうだ
●裁判官の姿勢
1,無罪判決をかきたくない(現在有罪率99.9%)
2,出世に響く
3,同じ官僚である検察を批判したくない
もっとも不思議なのは、なぜウソの自白をするのか、ということだろう。浜田教授は次のように言う。
●虚偽自白の3パターン。
1,身代わり自白―大事な人をかばって嘘をつく
2,強制迎合型自白―取り調べが辛くて嘘をつく(最も多い)
3,自己同化型自白―自分が犯人と思いこむ
●強制迎合型自白の心理
1,社会から隔離・遮断される孤立感、不安、絶望
2,一人取調室で警官に取り囲まれる恐怖
3,懸命に説明するが聞いてもらえない無力感
4,長時間拘束され、決めつけられ、罵倒され、植え付けられる無価値感
5,期間の見通しがつかない無間地獄(忍耐力の剥奪)
6,嘘をついてでも楽になりたいと願う倒錯の心理
7,この世界で生き延びるためには、“犯人”役をやるしかないという生きる方針の転換(環境適応、ストックホルム症候群)
*ストックホルム症候群とは、1973年、ストックホルムでの1週間に及ぶ銀行強盗人質立てこもり事件において、人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったという事件から名付けられた被害者の心理や行動。恐怖で支配された閉塞状況の中では、犯人に対して協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応と説明されている。
■3,自白に至る心理過程----------------------------------
この自白に至る心理過程はよく理解できる。以下、『』内は浜田氏談。
いきなり世の中から隔絶された不安と恐怖のストレス。しかも、相手は巨大な国家機関。国が敵という重圧は想像を絶する。『世の中から遮断され、一人で取調室で警官に取り囲まれたとき、人は冷静ではいられません』
その極度の緊張の中、懸命に身の潔白を説明するのだが聞く耳を持たない。『無力感に打ちひしがれます』。どころか、罵倒される。『1時間でも罵倒されるのは耐えがたい。十分に拷問なのです』。鎌田慧氏によれば、『取り調べから逃れて「留置場に帰って横になりたい」とさえ思うようになるようです』とのこと。
また、『期間の見通しがつきさえすれば、人はその苦痛を我慢できます。しかし、いつまで続くかわからない状況で耐えるのは困難です』。
『ウソの自白は、その異常な状況下で精神を正常に保つための判断だと言った方がいいんじゃないか』―そう、この環境から逃れられないと思ったとき、人はその環境で生き延びるための方法論を模索し始める。
隔絶した舞台。そこにいきなり「犯人役」として登場させられてしまった。舞台上の人物達は、自分に「犯人」以外の役を期待してはいない。犯人として与えられた台詞以外の言葉をいくら紡いでも、誰も応じてくれない。その自分の存在を無視される苦痛の中で悟るのだ。自分を認めてもらうためには犯人役をやる以外にない、と。そして、“落ちる”のだ。「私がやりました」と―。
実際、『たまたま録音テープが残っていた冤罪事件では、無実の人が取調中に「よし犯人になったろ、俺がやったんや」とつぶやいています』。
そして、役になることを決めた後は、『犯人になったつもりで、想像して犯行の筋書きを語る以外に選択肢はない』。
『犯行を知らないのだから、証拠と合わないことも言ってしまう。だが、「違うだろう」「まだそんなことを言っているのか」といった取調官の反応を見ながら、徐々に物証に合う供述ができるようになる。そして、無実の人と捜査官という犯行を知らない者同士で、詳細で迫真性のある調書を作り上げてしまうのです』……恐るべし、だ。
■4,菅家氏の手紙に見る苛酷-------------------------------
94年5月13日の菅家氏から支える会に宛てられた手紙にはこう書かれている。
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/tegami.htm
『私は平成3年12月1日の朝、私は借家から刑事にいきなり警察へ連行されました。そして12月1日朝から夜おそくまで調べられました。
1日の日に刑事に「お前がやったんだな」と私にゆうのです。それで私はやっていないと話しましたが、刑事はまったくうけつけませんでした。そして刑事がお前は現場に行っているんだよとゆうのです。しかし私は現場には行っていないのです。刑事に私は現場には、行っていませんと話しました。それでも刑事はまったく受けつけません。
そしてまた刑事が、お前がやったはずだとまた私を責めたてるのです。私はやっていませんと何度も何度も刑事に話すのですが、それでもまったく受け付けられませんでした。時間が進むにつれて、刑事の声がだんだんと大きくなるのです。そして刑事が机をたたいたりして、早くしゃべって楽になれと言うのです。
それから私が下をむいた時、刑事に私はかみの毛をひっぱられました。私は刑事に机をたたかれたり、大きな声でいわれたり、だんだん刑事がこわくなり、疲れと、眠さとで私はもうつかれてしまい、やってもいない事件をやったと言えば休ませてくれると思い、それで私はやったと言ってしまいました。それで私は夜おそくなって逮捕されました。』
……最も輝く人生の17年間を不意に奪われてしまった菅家利和氏の無念は計り知れない。これで、警察官向けテキストが書き直されなければ菅家氏の17年は報われない。恨みも復讐心もあっただろう。が、本部長から謝罪を受けた菅家さんは「許そうと思いました」―これからの幸せを切にお祈り申し上げます。
ところで、このように人を追い詰めていく構図は、実は日本の至る所にはびこっている。
○先ずは、企業―日勤教育の現場を見てほしい----------------
JR福知山線脱線事故の深層-第4部「日勤教育」に見る洗脳の仕方
(1)「日勤教育」の現場
(2)「精神の背骨」の折り方
いかがだろうか。JR西日本の設置した日勤教育の部屋は、まるで被疑者を自白に追い込む取調室そのものだということがわかるだろう。
服部運転士がなぜ自殺に追い込まれたのか、高見運転士がなぜ強迫的にスピードを上げ事故を起こしたのか。2人の若者を追い詰めた背景にある雪隠詰め地獄がわかれば、日勤教育の是非は問うまでもないはずだ。
○次に、学校という現場を見てほしい------------------------
「ハラスメント・スクール」
いかがだろうか。反吐が出るようなおぞましい学校が現存しているのだ。
○そして、家庭という現場を見てほしい-----------------------
「モラルハラスメントとは-その定義とやり方」
ある日突然、身におぼえのないことで鬼のように怒られ、自分の主張はフルシカト(完全無視)される。いかがだろうか。人がモラハラに遭って自己を喪失していく過程と、取調官の言うがままに落ちていく過程は、とてもよく似ている。そして、次のような心理状況になっていくのだ。
「衝撃のモラハラ・ダメージ!~配偶者はどうなっていくのか?」
また、上記で見た「強制迎合型自白の心理」は、実に親に支配されている子どもの心理そのものなのである。我が身を振り返ってみてください。家庭において、あのような心理を体験された方も多いだろう。
さらに、「自己同化型」で源家族に従属して生きている人はごまんといる。そういう親族の中で、心を持った人々がどれほど“非国民”扱いされ、孤立無援の孤独の中で苦しんでいるか……。
私たちは北朝鮮を、生きる自由のない管理国家と見ている。が、自分の気持ちで動けない人々が、どれほどコントロールされやすいか。私の目から見ると、日本もまた北朝鮮とよく似た監獄国家なのだ。(まったく日本はどうなってしまったのか……)
私が家族カウンセリングで飛び回っているのは、ひとえに心ある人々を増やすためだ。
のびのびと生きたい。
楽しくワクワクと、存分に生を謳歌したい。
愛し合い、笑顔と感動を分かち合いたい。
菅家さんの望みも、私の望みも……この世に生を受けたすべての人の、それが望みだろう。
そのためには、仲間を増やすしかない。
それは、生き方を変えるという痛みを伴う。
それに挑戦できる人は、今苦しんでいる人だ。
なぜなら、土壇場に追い詰められない限り、人は自分を変えようとはしないからである。まして、逃げ場がある限り、人は自分自身から逃げ続けようとする。自分と向き合う覚悟ができるのは、追い詰められた人だけなのだ。
今の社会を変えていけるのは、今追い詰められている人々である。
だから、決して自棄にならないで。
自分を見捨てないで。
菅家利和さんの闘いに感謝します。
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