第7部-3、時限を決めた両親
■3、時限を決めた両親-----------------------------------
ところで、タイマーには当然ながら時限があります。
その爆発時刻をセットするのは、タイマーにスイッチを入れた人です。
そして、実はタイマーをセットした時点で爆発させることを決めているのです。爆発もさせないのにタイマーをセットする人はいません。
父親は、最終的なスイッチを押す時限を決めました。
それは、「祖父の納骨の日」でした。
なぜ、それがわかるでしょうか。
それは、次の言葉に現れています。
『祖父にかわいがられていた長男が、納骨をきっかけに暴力を止めてくれるのではと期待していた』
勝手な言い分です。しかし、スイッチを入れる側の常として、自分に都合のいい勝手な言い分を持ち出します。祖父が亡くなったら、家族の分離独立案を提示したら、納骨がきっかけとなったら……。
親が子ときちんと向き合うことこそがエスカレートを止める唯一の方法なのですが、りょう先生は決して向き合おうとせず、いえ、向き合うことができないために“外”に頼り続けているのです。しかし、当然のことながらそのどれもが歯止めにならず、家庭内暴力はますます加速していきました(と言っても、モノに当たっているだけで、両親に直接暴力を振るっているわけではありません)。
もはや打つ手がなくなったと思ったとき、何を考えるでしょう。
ここで、心を持って生きている人と“心亡く”生きている人の違いが出てきます。心亡く生きている人は、モノに当たるという行動の背景にある心を汲み取ることができません。ただただ、その行動をやめさせるための禁止令を出すばかり。それが通用しなければ、なだめ、すかし、脅し…やくざの世界です。それでもダメなとき。そのときは
「肉体そのものを止めるしかない」―これが、“心亡く”生きている人の考えつくことなのではないでしょうか。そして、肉体を止めるために、
病気にさせるか、
障害を負わせるか、
監獄(精神病院)に閉じこめるか、
肉体機能を停止させるか
……その、いずれかに行き着くのです。
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疲れ果てていた妻のあけみさんも、『納骨日である五月三十一日の前日か、その前あたりに長男を殺さなくてはという考えを起こしたのです』と言っています。なぜ、納骨の日の「前」なのでしょうか。
親の面倒を見ることを条件にスタートしたりょう夫妻の結婚生活は、両親の面倒を見ることを核に営まれてきました。その親から完全に解放されるのが「納骨の日」なのです。それまで我慢に我慢を重ねて生きてきたすべての我慢を、もはやする必要がなくなる日なのです。
もう我慢をしなくてよいとわかったとき、人の中でどのような変化が起こるでしょうか。そう、厚い岩盤の下に封印していた感情が、止めようもなく噴出してくるのです。『考えを起こした』というあけみさんの言葉に、もう我慢ならないという怒りが湧き上がってきたのだなと感じました。
道具となって生きている人は、誰しも怒りを封印して生きています。その怒りは常に出所を伺っていますので、常に吐き出す対象を探しています。本来その怒りは、自分の親及び、自分を見捨ててきた自分自身に向けられるべきものです。が、親に愛されたいためにその怒りは自覚されません。無自覚なままに、それらすべての怒りを長男に向けたのでした。
りょう先生の空虚な人生脚本。それを“現実化”したのはあけみさんでした。このすべての虚構を支えてきたのは、他でもないあけみさんだったのです。あけみさんの支えなくしてこの虚構は成り立たなかったのです。つまり、自分の持てる全エネルギーを賭して虚構を支え続けてきたあけみさんこそが、諒君を敵と見なしたのでした。
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その納骨日を過ぎてしまえば、もはや怒りを吐き出すきっかけがなくなる。あけみさんの中にマグマのように溜まっている「怒り」は、そのチャンスを逃すわけにはいきませんでした。
「納骨の日」にしたりょう先生。
「納骨の日の前」にしたあけみさん。
―わずか一日の差。
しかし、この一日の差は、はるかにはるかに遠いのです。
『あぁ、私の知らないところで、ずいぶん長いあいだ、妻は苦しんでいたんだなぁ』と、公判の場で初めて妻の気持ちを知ったりょう先生。もし彼が、ただの一度でも妻の気持ちを聴くことができていたら…。この一日の差はなかったかもしれません。そして、殺人を止められたと思うのです。
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ところで、なぜ、あけみさんの怒りは長男に向けられたのか。
それは、長男が自分たちに突きつけてくるもの。それが、「あなた方は裸の王様だ!」という真実だからです。
気持ちで生きることこそが人生。気持ちで生きていない自分たちは人生を一歩たりとも生きてはいないのです。しかし、今更そのことを暴露されたくありません。自分たちが虚構の人生を歩んでいたなど認めたくないのです。特にあけみさんは、認めてしまえば、舅姑を抱え、感情の交流もできない夫を抱え、ただ一人我慢に我慢を重ねて生きてきた自分の人生は一体何だったのかと、絶望してしまうでしょう。
『第3部-4、人扱いされなかった妻の激白』で見た、結婚を全否定したあけみさんの激しい感情を思い出してください。
『感情のない人間はいません。内面の相当な葛藤が想像されます。まして、人に合わせて行動するということは大変なエネルギーを必要とします。それを押さえ込んで忠実に“良妻賢母”を遂行し続けるわけですから、相当のエネルギーを持って自分を抑え込んでいることが分かります(このことが、あとで意味を持ってきます)』【第3部-3、枠の一部となった妻】と書きました。
これだけの思いをして、自分を殺し続けて、維持し続けてきた「枠」。今更、それが虚構だったなど知りたくもない、気づきたくもないのです。自分の血の滲むような、これまでのすべての努力を無にされたくなどありません。息子が自分たちに真実を突きつける前に息子の口を封じなければなりませんでした。そう、あけみさんは、諒君の口を閉ざしたかったのだと思います。
そのため、あけみさんが『自分の方から殺すということを話した旨供述』しているように、この後はあけみさん主導で事が進んでいきます。
【感情爆発の時限設定の事例】
元グラドル木村衣里DV殺人事件(1)-犯罪臨界は10年