第7部-4、殺す準備を始めた母親
2009/06/27(Sat) Category : 仮面の家
第7部 完結した人生脚本
■4、殺す準備を始めた母親-------------------------------
納骨の日当日、まだあけみさんは自分の殺意を夫には話していません。
ところが、一読してとても不自然に思ったことがあります。この日の状況を『あけみさんは警察で次のように詳しく説明している』―そう、とても詳しいのです。時刻とか、長男の振るまい、様子など、実に子細に観察しているのです。
『長男もビールをコップ二杯くらい飲んで、暴言を吐くことなく、ごく普通のふるまいをして途中から自分の部屋に行ったのです』―私は、この一文を読んだ瞬間にゾッとしました。ああ、このお母さんは、息子を殺すための口実探しをしている―そう、感じました。
さて、五月三十日納骨の日、長男は普通でした。
しかし、その夜(翌日の六月一日未明)『恋人との電話が終わると長男は荒れ』ました。なんというタイミングでしょうか。唯一の命綱である恋人との別れ話。荒れるのも無理はありませんでした。午前二時ごろのことで、両親は『また始まったか。医者に行くように忠告しても聞く耳を持たないのだからしょうがない』と放置しています。
午前六時ごろ、あけみさんは『主人より先に起きて降りて』詳しく見ています。いつものように親二人で片付けるのではなく、その破壊の危険性をりょう先生に印象づけるために先に観察したのではないかと思うのです。そして、「ガスレンジの下の扉」に穴が開いているのを見つけます。それをりょう先生に「ガスレンジに穴を開けられた」と説明しています。まぁ無意識かもしれませんが、ガスが噴出するところだったと印象づけることができれば、この危険性を放置できないと思わせることができるでしょう。しかし、この時りょう先生は、『あとでガムテープでも貼っておけばよい』と殺意には至っていません。
午前七時ごろ、長男に飲み会代1万円を要求されて渡し、その後パジェロに乗って出ていく様子を夫と一緒に見ています。焼酎を飲んだ形跡を確認し、『ああ酒を飲んで車で行っちゃった』と思いつつ“黙認”しているのです。そして、午後一時過ぎに帰ってきた長男の様子を見て、『事故など起こした様子はありませんでした』とチェックしています。
その長男から、明日屋形船に乗るから今日仕事に行くことを確認し、言われたとおりに午後4時ごろ起こして、4時半に長男は出かけました。明日の朝まで帰ってきません。そこへ5時ごろ夫が帰ってきました。
その夜。あけみさんは切り出しました。
『きょうは酒を飲んで車を運転し、もしあれで事故でも起こされたら、世間に迷惑をかける。もうわたしも長男のことで疲れ切った。来年退職のとき、長男と次男を独立させる予定だったが、もう待てない。なんとかしなくては、もう我慢ができない、七日の姪の結婚式が終わったら殺しちゃおう』
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私のイヤな予感は当たってしまいました。
そう、あけみさんから切り出したのです。
殺意を「もう待てない」「もう我慢できない」のは、暴れていた諒君ではなく、あけみさんでした。ですから、殺す理由を探すため、この日の様子をこんなにも詳細に観察し、記憶していたのだと思います。これだけ詳細に供述できること―そのこと自体が、自分が“犯人”であると語っているようなものでした(そうではないですか?刑事さん)。
大体、自ら黙認をしておいて、『酒を飲んで車を運転し、もしあれで事故でも起こされたら、世間に迷惑をかける』というのはおかしいでしょう。しかもそれが、殺害の理由に直結するのはもっとおかしいでしょう。
しかし、りょう先生は妻の計略に乗りました。
『もう、そうしよう。紐じゃ首に巻くのが難しいから、出刃包丁なら心臓に刺しやすいだろう』
『家には出刃包丁がないよ』
『それじゃあ買っておかなければ』
『退職願は殺す日が決まったら前日に学校に持って行き机の上に置いてくるよ』
『これらの話を終えた後に寝たのです』
―よく寝られたものだと思われた読者もいたのではないでしょうか。むしろ…、自分を脅かす敵を殺すことが決まって、安心して寝たのではないかと思います。
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妻に同意したりょう先生は次のように言っています。
『親というのは、こんなに踏みにじられてもいいということを長男の親に対するふるまいを見て育つことが怖かった。(略)二人の弟たちまでだめになっては絶対いけないと思いました』
車のハンドルは放っておけば真っ直ぐ行くように作られています。子どもも同じ。親があれこれと操作していじくらなければ、まっすぐに進むのです。
兄と両親との確執を見て育った次男が、自分なりに距離を置いて家族を見ているように、兄の振る舞いを見て下がおかしくなるということはありません。なぜなら、人間関係のトラブルというのは、すべて“関係性のトラブル”だからです。長男と両親の関係性に問題があっても、次男と両親の間になければ、次男が長男と同じようにおかしくなることはないのです(但し、子どもはそれぞれ違う形で両親を背負っていますが…)。
しかし、鋳型成形されて心で生きていない人は、自分が型枠に従って生きているために、他の人も枠をはめればその枠に従って生きると思っています。最初の子に枠をはめれば、後の子はそれに習う―そういう「金太郎飴」的発想になりがちです。少年Aの母親もそうでしたね。子それぞれの個性や、それぞれが親子の関係性を持つことなど考えも及びません。
りょう先生は、まだ高校生である三男が、長男のように自分の道を模索し始めたらとんでもない―それを恐れたかもしれません。なぜなら、彼は、自分の枠を支える役割を既に長男から三男に切り替えていたからです。長男は枠にし損ねましたし、次男はもう独立しかかっています。が、りょう先生から見ると三男は枠にできる望みがまだあるのです。
りょう先生は、いみじくも自らこう述べています。
『もし長男が一人っ子であったならば、他にも取るべき道があったでしょう』
無意識は怖いですね。彼は、自分で自分の言っている意味の本質がわからなかったかもしれません。が、彼は、長男を殺しても、枠を支えるパーツはまだ一人残っている、と無意識に言っていたのです…。
(参考:第7部-2、代替パーツの用意)
■4、殺す準備を始めた母親-------------------------------
納骨の日当日、まだあけみさんは自分の殺意を夫には話していません。
ところが、一読してとても不自然に思ったことがあります。この日の状況を『あけみさんは警察で次のように詳しく説明している』―そう、とても詳しいのです。時刻とか、長男の振るまい、様子など、実に子細に観察しているのです。
『長男もビールをコップ二杯くらい飲んで、暴言を吐くことなく、ごく普通のふるまいをして途中から自分の部屋に行ったのです』―私は、この一文を読んだ瞬間にゾッとしました。ああ、このお母さんは、息子を殺すための口実探しをしている―そう、感じました。
さて、五月三十日納骨の日、長男は普通でした。
しかし、その夜(翌日の六月一日未明)『恋人との電話が終わると長男は荒れ』ました。なんというタイミングでしょうか。唯一の命綱である恋人との別れ話。荒れるのも無理はありませんでした。午前二時ごろのことで、両親は『また始まったか。医者に行くように忠告しても聞く耳を持たないのだからしょうがない』と放置しています。
午前六時ごろ、あけみさんは『主人より先に起きて降りて』詳しく見ています。いつものように親二人で片付けるのではなく、その破壊の危険性をりょう先生に印象づけるために先に観察したのではないかと思うのです。そして、「ガスレンジの下の扉」に穴が開いているのを見つけます。それをりょう先生に「ガスレンジに穴を開けられた」と説明しています。まぁ無意識かもしれませんが、ガスが噴出するところだったと印象づけることができれば、この危険性を放置できないと思わせることができるでしょう。しかし、この時りょう先生は、『あとでガムテープでも貼っておけばよい』と殺意には至っていません。
午前七時ごろ、長男に飲み会代1万円を要求されて渡し、その後パジェロに乗って出ていく様子を夫と一緒に見ています。焼酎を飲んだ形跡を確認し、『ああ酒を飲んで車で行っちゃった』と思いつつ“黙認”しているのです。そして、午後一時過ぎに帰ってきた長男の様子を見て、『事故など起こした様子はありませんでした』とチェックしています。
その長男から、明日屋形船に乗るから今日仕事に行くことを確認し、言われたとおりに午後4時ごろ起こして、4時半に長男は出かけました。明日の朝まで帰ってきません。そこへ5時ごろ夫が帰ってきました。
その夜。あけみさんは切り出しました。
『きょうは酒を飲んで車を運転し、もしあれで事故でも起こされたら、世間に迷惑をかける。もうわたしも長男のことで疲れ切った。来年退職のとき、長男と次男を独立させる予定だったが、もう待てない。なんとかしなくては、もう我慢ができない、七日の姪の結婚式が終わったら殺しちゃおう』
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私のイヤな予感は当たってしまいました。
そう、あけみさんから切り出したのです。
殺意を「もう待てない」「もう我慢できない」のは、暴れていた諒君ではなく、あけみさんでした。ですから、殺す理由を探すため、この日の様子をこんなにも詳細に観察し、記憶していたのだと思います。これだけ詳細に供述できること―そのこと自体が、自分が“犯人”であると語っているようなものでした(そうではないですか?刑事さん)。
大体、自ら黙認をしておいて、『酒を飲んで車を運転し、もしあれで事故でも起こされたら、世間に迷惑をかける』というのはおかしいでしょう。しかもそれが、殺害の理由に直結するのはもっとおかしいでしょう。
しかし、りょう先生は妻の計略に乗りました。
『もう、そうしよう。紐じゃ首に巻くのが難しいから、出刃包丁なら心臓に刺しやすいだろう』
『家には出刃包丁がないよ』
『それじゃあ買っておかなければ』
『退職願は殺す日が決まったら前日に学校に持って行き机の上に置いてくるよ』
『これらの話を終えた後に寝たのです』
―よく寝られたものだと思われた読者もいたのではないでしょうか。むしろ…、自分を脅かす敵を殺すことが決まって、安心して寝たのではないかと思います。
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妻に同意したりょう先生は次のように言っています。
『親というのは、こんなに踏みにじられてもいいということを長男の親に対するふるまいを見て育つことが怖かった。(略)二人の弟たちまでだめになっては絶対いけないと思いました』
車のハンドルは放っておけば真っ直ぐ行くように作られています。子どもも同じ。親があれこれと操作していじくらなければ、まっすぐに進むのです。
兄と両親との確執を見て育った次男が、自分なりに距離を置いて家族を見ているように、兄の振る舞いを見て下がおかしくなるということはありません。なぜなら、人間関係のトラブルというのは、すべて“関係性のトラブル”だからです。長男と両親の関係性に問題があっても、次男と両親の間になければ、次男が長男と同じようにおかしくなることはないのです(但し、子どもはそれぞれ違う形で両親を背負っていますが…)。
しかし、鋳型成形されて心で生きていない人は、自分が型枠に従って生きているために、他の人も枠をはめればその枠に従って生きると思っています。最初の子に枠をはめれば、後の子はそれに習う―そういう「金太郎飴」的発想になりがちです。少年Aの母親もそうでしたね。子それぞれの個性や、それぞれが親子の関係性を持つことなど考えも及びません。
りょう先生は、まだ高校生である三男が、長男のように自分の道を模索し始めたらとんでもない―それを恐れたかもしれません。なぜなら、彼は、自分の枠を支える役割を既に長男から三男に切り替えていたからです。長男は枠にし損ねましたし、次男はもう独立しかかっています。が、りょう先生から見ると三男は枠にできる望みがまだあるのです。
りょう先生は、いみじくも自らこう述べています。
『もし長男が一人っ子であったならば、他にも取るべき道があったでしょう』
無意識は怖いですね。彼は、自分で自分の言っている意味の本質がわからなかったかもしれません。が、彼は、長男を殺しても、枠を支えるパーツはまだ一人残っている、と無意識に言っていたのです…。
(参考:第7部-2、代替パーツの用意)