第7部-5、踊らされた二人の男
2009/06/28(Sun) Category : 仮面の家
第7部 完結した人生脚本
■5、踊らされた二人の男---------------------------------
あけみさんがりょう先生に諒君の殺害をもちかけ、夫婦で話し合ったのが一日夜。
その翌日二日の夜から三日の朝にかけて、諒君は彼女に6時間もの電話をします。諒君の方から「別れよう」と切り出し、友達として付き合っていくことにしたのでした。そして、恋人として付き合い始めた一周年になる十二日を「さよならパーティ」にすることにしました。諒君にとっても、新たなスタートとなるはずでした。
しかし、その三日の朝、二男三男も出かけ母親と二人きりになると、「彼女と別れた」と言って母親に当たりました。
『てめえら四国に逃げようたって、そうはさせないぞ。あいつの退職金だって、みんな使わせてやるからな、一生苦しめてやるから、そのつもりでいろ。おまえらは塩飯でも食え。その浮いた金をおれによこせ。あいつに、よく言っておけ』
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その日、あけみさんは新聞に折り込みに入っていたチラシを見せて、霊障鑑定に行ってみたらと話しています。そして、『おれは仕事があるから寝なくてはならない。お母さん行ってみれば』という返事を得てあけみさんは宗教団体を訪れます。(まともな会話をしていますね)
これも、諒君が行かないことを想定した上で、息子に対してやるだけの事はやったと自分に思わせるための、思いにケリをつけるための行動のように思えます。そして、鑑定では次のように言われました。
『このままにしておいたらたいへんなことになる。ご主人が殺されてしまう。あなたには水子の霊が取りついている。それが長男についている。ちゃんと供養しないとだめだ。治すには百万円かかる。ご主人には内緒でなければだめだ』
あけみさんは65万円で八日に祈願してもらうとで話をつけて帰宅します。65万円は、『ご主人が殺されてしまう』『それが長男についている』という言質を得たことへのお礼でしょうか。あけみさんは、夫を守るためには長男を殺さなければいけないという大義を得ました。
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午後4時半、帰宅したりょう先生に、あけみさんは諒君の暴言と霊障鑑定のことをすべて細かく話します。あけみさんは、りょう先生が言葉遣いにカッと来ることを知っていました。
案の定、りょう先生は諒君の暴言に反応しました。
『これを聞いて私は、もうこの状態では殺すしかない、こんな状態では退職するまで待てない、殺すしかない』とあけみさんに話しています。そして、『八日から三日間の水子供養祈願が終わっても長男が暴れたら殺す』ことを話し合い、りょう先生は居間で酒を飲み始めました。つまり、まだこの時点ではかろうじて様子を見ようという気持ちが残っているのです。
りょう先生の証言によれば、居間に行っている間に『妻は長男の部屋で何か話していました』。この時あけみさんは諒君を起こし、水子供養の話だけをしています。私は、もはや供養祈願が終わることなど待ちきれないあけみさんが、もう一押しをしに行ったのではないかと思うのです。なぜなら、鑑定自体が思いに踏ん切りをつけるためのものであり、決意はついていたからです。そして、諒君は操られるように動きました。
『妻が長男の部屋から出てくると、すぐに長男も出てきて私のいる居間の椅子に座り、“きょう、母親から聞いた新興宗教の話について私の意見を聞きたい”と言ってきたのです』『“おろした子どもがたたっているらしい。どうなんだ”と詰問するような言い方で言ってきました』。―一体、あけみさんがどのように諒君に話をしたのか疑ってしまいます。
りょう先生は、福翁自伝を引用しながら迷信だと説明しようとしました。
私はこのくだりを読んで絶望的になりました。諒君の問いの本質は、自分のことをどう思っているのか、自分がこうなってしまったことをどう思っているのか、ということです。もしくは、「なぜ、そういうことを聞くんだ」と問いかけて欲しかったのかもしれません。
諒君は、私が心の中で言った同じ台詞を吐いていました。
『“本の話などきいてんじゃあねえんだよ。てめえの考えを聞いてんだよ”と親をなめきった態度で言ったことから、私はこのままの状態を許すことはできないと決意したのです』
諒君は、借りものや権威を持ち出すことしかできず、どこまでも自分の言葉でものを言えないりょう先生の虚構を鋭く突き刺しました。りょう先生が半生に渡って営々と維持してきたはずの甲羅は、『てめえの考えを聞いてんだよ』のたった一言でもろくも崩壊してしまったのです。
りょう先生が築き上げたはずの世界は、それほど脆くはかないものでした。まさに砂上の楼閣。虚ろの城でした。息子から初めて“てめえ”呼ばわりされたショックは、薄っぺらい自分が暴かれたショックだったのです。
自分が潜在的に脅威を持ったが故に自分と同じ名前をつけた息子。その脅威が、今や現実のものとなったのです。長男は、その名の通り自分の鏡だったのです。りょう先生に自分の弱さを直視する勇気があれば事態は変わったでしょう。しかし、自分自身から逃げ続けてきた彼は鏡を直視できませんでした。
そこに鏡がある限り、自分の姿が映し出される。
そこに見えるのは見たくない自分の弱さです。
見たくないのであれば、叩き壊すしかありません。
この時、殺意が決定的となりました。りょう先生は次のように言っています。
『長男を殺すことを決意したときですが、それは六月三日午後六時半です』
この殺意の時刻までを覚えている不自然さ。そこに仕組まれたものを感じるのです。その時刻は、諒君が導かれるように部屋から出てきてりょう先生と口論した時間でした。この時間、父子二人の男は、あけみさんの手の平の上で踊っていたのです。
■5、踊らされた二人の男---------------------------------
あけみさんがりょう先生に諒君の殺害をもちかけ、夫婦で話し合ったのが一日夜。
その翌日二日の夜から三日の朝にかけて、諒君は彼女に6時間もの電話をします。諒君の方から「別れよう」と切り出し、友達として付き合っていくことにしたのでした。そして、恋人として付き合い始めた一周年になる十二日を「さよならパーティ」にすることにしました。諒君にとっても、新たなスタートとなるはずでした。
しかし、その三日の朝、二男三男も出かけ母親と二人きりになると、「彼女と別れた」と言って母親に当たりました。
『てめえら四国に逃げようたって、そうはさせないぞ。あいつの退職金だって、みんな使わせてやるからな、一生苦しめてやるから、そのつもりでいろ。おまえらは塩飯でも食え。その浮いた金をおれによこせ。あいつに、よく言っておけ』
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その日、あけみさんは新聞に折り込みに入っていたチラシを見せて、霊障鑑定に行ってみたらと話しています。そして、『おれは仕事があるから寝なくてはならない。お母さん行ってみれば』という返事を得てあけみさんは宗教団体を訪れます。(まともな会話をしていますね)
これも、諒君が行かないことを想定した上で、息子に対してやるだけの事はやったと自分に思わせるための、思いにケリをつけるための行動のように思えます。そして、鑑定では次のように言われました。
『このままにしておいたらたいへんなことになる。ご主人が殺されてしまう。あなたには水子の霊が取りついている。それが長男についている。ちゃんと供養しないとだめだ。治すには百万円かかる。ご主人には内緒でなければだめだ』
あけみさんは65万円で八日に祈願してもらうとで話をつけて帰宅します。65万円は、『ご主人が殺されてしまう』『それが長男についている』という言質を得たことへのお礼でしょうか。あけみさんは、夫を守るためには長男を殺さなければいけないという大義を得ました。
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午後4時半、帰宅したりょう先生に、あけみさんは諒君の暴言と霊障鑑定のことをすべて細かく話します。あけみさんは、りょう先生が言葉遣いにカッと来ることを知っていました。
案の定、りょう先生は諒君の暴言に反応しました。
『これを聞いて私は、もうこの状態では殺すしかない、こんな状態では退職するまで待てない、殺すしかない』とあけみさんに話しています。そして、『八日から三日間の水子供養祈願が終わっても長男が暴れたら殺す』ことを話し合い、りょう先生は居間で酒を飲み始めました。つまり、まだこの時点ではかろうじて様子を見ようという気持ちが残っているのです。
りょう先生の証言によれば、居間に行っている間に『妻は長男の部屋で何か話していました』。この時あけみさんは諒君を起こし、水子供養の話だけをしています。私は、もはや供養祈願が終わることなど待ちきれないあけみさんが、もう一押しをしに行ったのではないかと思うのです。なぜなら、鑑定自体が思いに踏ん切りをつけるためのものであり、決意はついていたからです。そして、諒君は操られるように動きました。
『妻が長男の部屋から出てくると、すぐに長男も出てきて私のいる居間の椅子に座り、“きょう、母親から聞いた新興宗教の話について私の意見を聞きたい”と言ってきたのです』『“おろした子どもがたたっているらしい。どうなんだ”と詰問するような言い方で言ってきました』。―一体、あけみさんがどのように諒君に話をしたのか疑ってしまいます。
りょう先生は、福翁自伝を引用しながら迷信だと説明しようとしました。
私はこのくだりを読んで絶望的になりました。諒君の問いの本質は、自分のことをどう思っているのか、自分がこうなってしまったことをどう思っているのか、ということです。もしくは、「なぜ、そういうことを聞くんだ」と問いかけて欲しかったのかもしれません。
諒君は、私が心の中で言った同じ台詞を吐いていました。
『“本の話などきいてんじゃあねえんだよ。てめえの考えを聞いてんだよ”と親をなめきった態度で言ったことから、私はこのままの状態を許すことはできないと決意したのです』
諒君は、借りものや権威を持ち出すことしかできず、どこまでも自分の言葉でものを言えないりょう先生の虚構を鋭く突き刺しました。りょう先生が半生に渡って営々と維持してきたはずの甲羅は、『てめえの考えを聞いてんだよ』のたった一言でもろくも崩壊してしまったのです。
りょう先生が築き上げたはずの世界は、それほど脆くはかないものでした。まさに砂上の楼閣。虚ろの城でした。息子から初めて“てめえ”呼ばわりされたショックは、薄っぺらい自分が暴かれたショックだったのです。
自分が潜在的に脅威を持ったが故に自分と同じ名前をつけた息子。その脅威が、今や現実のものとなったのです。長男は、その名の通り自分の鏡だったのです。りょう先生に自分の弱さを直視する勇気があれば事態は変わったでしょう。しかし、自分自身から逃げ続けてきた彼は鏡を直視できませんでした。
そこに鏡がある限り、自分の姿が映し出される。
そこに見えるのは見たくない自分の弱さです。
見たくないのであれば、叩き壊すしかありません。
この時、殺意が決定的となりました。りょう先生は次のように言っています。
『長男を殺すことを決意したときですが、それは六月三日午後六時半です』
この殺意の時刻までを覚えている不自然さ。そこに仕組まれたものを感じるのです。その時刻は、諒君が導かれるように部屋から出てきてりょう先生と口論した時間でした。この時間、父子二人の男は、あけみさんの手の平の上で踊っていたのです。