第7部-6、枠に飲み込まれた男
■6、枠に飲み込まれた男---------------------------------
『その日の午後九時ごろ二階の部屋で六月七日以降に出刃包丁で殺そうということを確認しました』
三日の夜、両親が自分を殺す決意をしたのも知らぬまま、諒君は四日の朝に帰宅します。ただ、この仕事明けのときバイト先のマネージャーは諒君の最後の言葉を聞いています。
『彼はビールを飲みながらひと言“家がまずい。出ないとまずい”と、笑いながら話していました。(略)彼はアルバイトの中でも年長ですし、柱になってもらうつもりでいました』
しかし、帰宅すると長男は『いつものように「ビール買ってこい」「こんなからだにしたのは親のせいだ」などとわめき、冷蔵庫を倒し、電灯のかさをたたき割った』
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あけみさんは『「これが最後」という思い』で水子供養の話をします。私は不思議に思いました。昨日既に話していることで、諒君がはねつけることは予測できるはずです。そう、つまり、予測できるからこそ、話をしているのです。
「これが最後」というのは、「これが最後」の念押しなのです。あなたを救おうとしたんだからね、でもそれを蹴ったのはあなたなんだからね、悪いのはあなた、私は悪くない、精一杯の努力をした―そう、自分に対しての言い訳づくりであり、踏ん切りをつけるためのものだったと思います。
なぜなら、『もう待てない。なんとかしなくては、もう我慢ができない、七日の姪の結婚式が終わったら殺しちゃおう』と一日の夜に持ちかけたのはあけみさんでした。殺意も日程(七日)も明確です。
しかしりょう先生は、『八日から三日間の水子供養祈願が終わっても長男が暴れたら殺す』というように先延ばしし、殺意も条件付きで曖昧になりました。それを三日夜の一件で、りょう先生が殺意を決定的にするところまで持って行きました。しかし、日程は七日“以降”と明確ではありませんでした。それが、『日付なしの退職願い』を書いたことに現れています。
ここでもし、結婚式というおめでたいことがあった後で、殺意を失ってしまったらどうでしょう。あけみさんは、りょう先生の心変わりを恐れたのではないでしょうか。一方、諒君が何かを感じていることも感じていたのではないでしょうか。逃がすわけにはいきません。そこで、すぐにも実行に移すために“仕掛けた”のではないかと思うのです。
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『長男は“信じていくなら何千万でもいいが、おれがおとなしくなると思っていくなら、効かないからやめた方がいい”と言って、さらに、“その金をよこせ”と言ったのです』―あけみさんは、言質を二つ取りました。
『私はもうだめだなと思いました。もう祈願にはいけないと思いました。』―一つは、もう水子供養を待つ必要はないという理由を得たのです。
『この子は大人になりきれないなあ。自分一人で生きていく気持ちが全然ないことがわかりました。』―一つは、長男に自立の意志がないと決めつける理由です。
諒君が何とか自立しようともがいていたことは見てきたとおりです。しかし、ここで逃すわけにはいきません。虚構を暴かれる不安要素を野放しにしておいては安心して眠れません。そこで、言質を盾に自己正当化の理屈を構築していきます。
『一生、私について回る、どこへ行ってもかぎつけてくるのではないか、子どもたち、とくに三男に対する悪影響、このままでは私は生活できないと思いました。』―最後は、夫が新たに枠の一部と決めた三男への影響への心配です。これで、先延ばしにしようとしていた夫を動かす理由は万端整いました。
『腹の中で主人に相談してきょうやろうと決めました』
そう、もう夫が先延ばしにできないように、“きょう”やるための理由を整えたのです。そして、実家から授業中のりょう先生に電話を入れます。
『もうだめ。願いを持って行きましたか』
『学校でも書けるよ。きょうだね。出刃包丁あるか』
『ありますよ』
これが、学校にいる先生とその妻の会話なのです。
何とたんたんとした会話でしょうか。
もはや冷静な狂気の中で動いています。
その冷静な狂気の中でトリガーを引いたのは、りょう先生ではなくあけみさんであったことがお分かりになると思います。
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結婚するときに、妻を自分を支える枠の一部としたのはりょう先生でした。その枠の一部となることを受け入れたのは、背骨を持たないあけみさんでした。背骨(内骨格)を持たないあけみさんにとっても、甲羅(外骨格、枠)が必要だったのです。そして、その枠が守る第一のものはりょう先生のお母さんでした。
【第3部-3、枠の一部となった妻】
その後、諒君が部活により時間のペースが合わなくなったとき、あけみさんが“枠”から人間に戻るチャンスがありました。この時、唯一表面化した嫁姑戦争において、枠が守っていた義母が支配の座から引きずり下ろされ、あけみさんがその座につくことになったのです。
【第3部-5、妻の存在不安】
つまり、嫁姑戦争に勝利したこの日以降、枠であったあけみさんは、その枠が守っている支配者の座にもつくことになり、枠を守ることが自分を守ることと一体化したのです。もはや、枠はりょう先生のものではなく、あけみさんにとって“自分そのもの”になってしまったのです。
「枠」帝国の支配者はあけみさん。諒君は、その支配に抗うレジスタンス。夫に暴言を吐き、モノに当たってその枠を破壊しようとする諒君は、あけみさんにとって自分を破壊する「敵」となりました。
家族カウンセリングをしていると、夫が枠を提供して妻が中を支配するという構造は、極めてよく見られる構造です。一見、専制君主のごとく父親が支配しているように見えて、その実、父親を含む家族全員が母親の無意識の支配下にある家族がとても多いのです。
『テラとガイア』を思い出してください。
父なるテラと母なるガイア。
枠としてのテラをどのように活かすのかはガイアなのです。
妻を枠の一部としたつもりのりょう先生は、“自らを守る意志を持った枠そのもの”と化した妻に飲み込まれていったのです。まるで、若き日に書いた小説の最後、雪崩に飲み込まれていったかのように。