第7部-7、「枠」vs「人間」
■7、「枠」vs「人間」--------------------------------------
四日。夜勤明けで帰宅した諒君は、『左手を胸に置いて熟睡』していました。『心臓を刺して、一気に命を絶つ』と両親が話していたことをどこかで感じてでもいたかのように……。
夫は、あけみさんが実家から持ってきた出刃包丁を持ち、あけみさんは金属バットを探しましたが見つからず、モデルガンを両手に持って諒君の部屋に忍び入りました。
りょう先生がひと突きしますが外れ、『「ギャー」と悲鳴を上げた長男がベッドから転げ落ち、取っ組み合い』となり、あけみさんもモデルガンを頭に振り下ろしますが粉々に砕け散り、出刃包丁の先も欠けます。修羅場です。
こうまでなったとき、よほどの確定的な殺意がなければひるんでしまうか、我に返って「もうやめよう!」となることもあるのではないでしょうか。
しかし、二人の親は冷静でした。
『包丁の先が折れたから別なのを持ってきてくれ』とりょう先生。そして、あけみさんは『急いで台所に行き、いちばん切れそうなのを主人に渡しました』。
りょう先生は元より、出刃包丁を実家から持ってきたり、金属バットを探したり、粉々になる力でモデルガンを振り下ろしたり、代わりの包丁を取りに行ったり、あけみさんの行動には微塵の迷いもありません。りょう先生に対するサポートは完璧でした。
長男は、弱りきった声でこう言います。
『許してくれ、おれが悪かった。お願いだから殺さないでくれ』
『今じゃもう遅いんだよ。親を親とも思わない人間は親の手で死なせてやる』
それが最後の“父子の会話”でした。
『親を親とも思わない』…
この両親は「親」だったでしょうか?
いえ、心をなくしたロボット
甲羅で自分を守ろうとした甲殻類
いえ、自らが借りものの「枠」そのものになって生きようとした…「枠」
前項で見たとおり、虚構の枠を現実化し、自分のものとしたのはあけみさんでした。りょう先生とあけみさんは、互いのしっぽを飲み込み一体化している二匹の蛇のようにも見えます。その二匹の蛇が「枠」を作っています。この両親は、人ではなく「枠」そのものです(誰が犯“人”ということではないのです)。
つまり、この台詞は次のように言い換えることができます。
「枠を枠とも思わない人間は枠の手で死なせてやる」
気持ちを持たない枠にとって、
気持ちを持つ人間は不要です。
気持ちを殺さなければ、枠の仲間には入れないのです。
逆に言えば、枠になってしまった人間に気持ちを問うことは、その人間(枠)を破壊することになってしまうのです。ですから、枠人間にとって感情をぶつけてくる人間は、自分を脅かす「敵」なのです。
結局、枠にはまりきらない人間は、その枠から出ていくしかない
―所詮「住む世界が違う」、ただそれだけのシンプルな真実なのです。
この両親は、わが子が自分の枠の一部となることを望んでおり、わが子の自律は望んでいませんでした。そのために、両親自らが自分を殺したように、わが子にも自分を殺して生きることを強制しました。しかし、人間として生きようとした諒君は自分を殺すことができなかった。だから、諒君の代わりに両親が諒君を殺したのです。
あるいは、諒君に替わる代替パーツができた今、諒君という事実を消し去りたかったのかもしれません。それは、「第5部-4、現実を消去した父親」で見たように自分と向き合うことから逃げた父親がとっていた方法論でした。
人は、自分から逃げ始めたら、死ぬまで逃げ続けるしかありません。そして、逃げ続けるために自分に関わる周囲に犠牲を出していくのです。