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第7部-7、「枠」vs「人間」

2009/06/30(Tue) Category : 仮面の家
第7部 完結した人生脚本

■7、「枠」vs「人間」--------------------------------------

四日。夜勤明けで帰宅した諒君は、『左手を胸に置いて熟睡』していました。『心臓を刺して、一気に命を絶つ』と両親が話していたことをどこかで感じてでもいたかのように……。

夫は、あけみさんが実家から持ってきた出刃包丁を持ち、あけみさんは金属バットを探しましたが見つからず、モデルガンを両手に持って諒君の部屋に忍び入りました。

りょう先生がひと突きしますが外れ、『「ギャー」と悲鳴を上げた長男がベッドから転げ落ち、取っ組み合い』となり、あけみさんもモデルガンを頭に振り下ろしますが粉々に砕け散り、出刃包丁の先も欠けます。修羅場です。
こうまでなったとき、よほどの確定的な殺意がなければひるんでしまうか、我に返って「もうやめよう!」となることもあるのではないでしょうか。

しかし、二人の親は冷静でした。
『包丁の先が折れたから別なのを持ってきてくれ』とりょう先生。そして、あけみさんは『急いで台所に行き、いちばん切れそうなのを主人に渡しました』。

りょう先生は元より、出刃包丁を実家から持ってきたり、金属バットを探したり、粉々になる力でモデルガンを振り下ろしたり、代わりの包丁を取りに行ったり、あけみさんの行動には微塵の迷いもありません。りょう先生に対するサポートは完璧でした。


長男は、弱りきった声でこう言います。
『許してくれ、おれが悪かった。お願いだから殺さないでくれ』

『今じゃもう遅いんだよ。親を親とも思わない人間は親の手で死なせてやる』

それが最後の“父子の会話”でした。






『親を親とも思わない』…

この両親は「親」だったでしょうか?
いえ、心をなくしたロボット
甲羅で自分を守ろうとした甲殻類
いえ、自らが借りものの「枠」そのものになって生きようとした…「枠」

前項で見たとおり、虚構の枠を現実化し、自分のものとしたのはあけみさんでした。りょう先生とあけみさんは、互いのしっぽを飲み込み一体化している二匹の蛇のようにも見えます。その二匹の蛇が「枠」を作っています。この両親は、人ではなく「枠」そのものです(誰が犯“人”ということではないのです)。

つまり、この台詞は次のように言い換えることができます。

「枠を枠とも思わない人間は枠の手で死なせてやる」



気持ちを持たない枠にとって、
気持ちを持つ人間は不要です。

気持ちを殺さなければ、枠の仲間には入れないのです。
逆に言えば、枠になってしまった人間に気持ちを問うことは、その人間(枠)を破壊することになってしまうのです。ですから、枠人間にとって感情をぶつけてくる人間は、自分を脅かす「敵」なのです。

結局、枠にはまりきらない人間は、その枠から出ていくしかない
―所詮「住む世界が違う」、ただそれだけのシンプルな真実なのです。



この両親は、わが子が自分の枠の一部となることを望んでおり、わが子の自律は望んでいませんでした。そのために、両親自らが自分を殺したように、わが子にも自分を殺して生きることを強制しました。しかし、人間として生きようとした諒君は自分を殺すことができなかった。だから、諒君の代わりに両親が諒君を殺したのです。

あるいは、諒君に替わる代替パーツができた今、諒君という事実を消し去りたかったのかもしれません。それは、「第5部-4、現実を消去した父親」で見たように自分と向き合うことから逃げた父親がとっていた方法論でした。

人は、自分から逃げ始めたら、死ぬまで逃げ続けるしかありません。そして、逃げ続けるために自分に関わる周囲に犠牲を出していくのです。




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吐き気

親を親とも思わない・・・というりょう先生の言葉に言いようのない震えと吐き気を覚えました。

親を親とも思わない、親を敬わない・・・親にたてつく、反発する・・・
これらは私の親の口癖です。
意思を持つこと、意見を持つこと、何一つ許さない両親です。
事情があり、両親の会社で仕事をしている私は日々社員の前であろうが、客人の前であろうが、朝から晩まで罵られています。
こいつらが吐く言葉は予想もできません。人間の言葉とは思えないから。
もう何年も嵐のような罵倒が続いていて、最近は椅子をふりあげたり、パソコンのモニターを投げようとしたり、書類の引き出しをぶちまけたり・・・けがにならない、威嚇をするようにもなりました。
先日、ほんの些細なことで、職場でまた矢のような罵倒がはじまり、書類の引き出しをとうとう、私の体に投げつけ、
”お前なんか生みたくて生んだんじゃない!仕方なく生んでやったんだ!親の役にたたなかったら、親に尽くさなかったら存在する価値ない!!!”と男親が怒鳴り、
悪魔のように男親を巧みに操る女親は
”この世から消えた方がいいんじゃない”
と言いながら嘲笑ってた。
男親は
”近頃の殺人は親子が多いんだよな!こういうことから起こるんだろうな”

こみ上げてくる涙と胸の苦しさで、近くの公園のトイレに駆け込み、そのまま過呼吸発作を起こし、病院に運ばれました。

暴言と暴力、そしてあいつらは私の人生も体も自分のものだと思い込み意のままにならない私を今つぶすことしか考えてない。
待ってるんだ、”許して、パパママの言う通りにしない私がすべて悪いの、許して!”と懇願するのを。
そして”我々のおかげでお前はいきているのだ、お前の子供も生活できるのだ、やはり泣きついてくるだろう、お前は一人じゃ何もできない”そう言って私を見降ろし勝ち誇って満足げに笑うあいつらの姿を容易に想像できる。

驚かないでください。私は40歳後半の3人の子供を持つ母です。若くないんです。いまだ苦しんでもがいています。就職したら、結婚したら・・・いつか逃れられると思っていたのに。
男だったらよかった。涼君みたいに暴れて家具とかガラスとかぶち壊してみたかった。

こいつらに屈したら自分の人生送れない、子供の人生守れない・・・
でも、今は体が震えて安定剤を飲みながら自宅にこもっています。

涼君の悲しみ、苦しさ・・・自分の足で歩くことを奪われ、自由な意思を奪われ、がんじがらめの抜け出せない苦しみの中で生きてきて、最後に両親に刃をむけられた時の全身から自分がすべて消え失せそうな悲しみを恐怖を思うと・・・
また吐き気がします。

 

「枠」vs「人間」
私や私の両親の生家、私が長じて就職した職場や選んだ人間関係の全てがこの構図でした。

この連載をずっと拝読し、フラッシュバックで何度時が止まり、言いようのない息苦しさ、胸苦しさ、憎悪に囚われて固まったか知れません。

それにしてもどうして真実、現実、自分と向きあうことからそれこそ死ぬまで逃げおおせようとするのだろう。気付かぬ限り、無意識に逃げてるんでしょうけどそんなに現実と向き合うのが怖いのか。

>逃げ続けるために自分に関わる周囲に犠牲を出していく

魂の殺人がこの上もなく重大な犯罪であることが白日の下にさらされないでいる、私はこの事実が言いようもないほどに歯がゆく叫びだしたい思いで一杯です。わからない奴は今すぐ死ね!と。


 

緊張した家庭環境にいたために、迷路にはまってしまった息子。彼は自立することにもがいています
このままだとダメになってしまいそうで不安なんだよ
今まで十分甘えてことがないんでしょう。大丈夫、一度どっぷり甘えてごらん、そうしたら自然に自立できるから。
せっかく生まれたのに、がんばろうって気が起きないんだよ
今の・・くんに必要なのは、がんばることじゃなくて、ゆっくり休むことだよ。がんばらなくていいよ
と声かけができるようになって、でも時々諒君のお母さんのように、不安でストレスがたまり、イライラしたりしてしまい、時々子供にぶつけては しまったと反省して 中尾先生のブログを毎日読んで、同じように苦しんでいる人たちのコメントを毎日読んで、自分を振り返り 自分と向き合おうとして でも毎日失敗して 先日も子供から
俺を 距離を置いて見守っていてくれよ
と言われて 子供に導かれる毎日
諒君の事件は最後はもう読んでいられない。私の息子も、勉強すれば成績はよく、部活をやればいい成績を残して、性格もとてもいい子。今は音楽にしがみつくように毎日を過ごしていて、諒君にとても似ているところがあります。悲しくて読んでいられなかったけど、がんばって読んだ。両親たちも、中尾先生と出会っていたら、自分の苦しみを乗り越えて、諒君と本当の絆を築けたかもしれないと思うとたまらない。両親の苦しみも計りしれないけど、諒君はみんなにたくさんのメッセージを残したと思う。できる限りくみ取っていきたい。

 

人間じゃないですね

この親は。
殺された諒君が可哀相でなりません。
でも、もし私が裁判員だったら、両親の話だけ聞けば、事象だけ見れば・・この親は息子を一生懸命育ててきたのに、息子は学校をやめて親に「一生たかってやる」と平気で言う放蕩息子にしか見えなかったかもしれません。
この親の言葉の奥にあるものを感じ取る術を私は知りません。
大抵の人がそうじゃないかなと思います。
だからこそこの親に同情する署名が集まったんじゃないかと。
この家族も中尾先生のカウンセリングを受けていれば、こんな馬鹿げた結末にはならなかっただろうに残念です。

 
    
 
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