第8部 愛情飢餓連鎖を断つために-1、なぜ相談しなかったのか?
■1、なぜ相談しなかったのか?----------------------------
諒君が荒れ始めて1年もしない間に、諒君は命を絶たれました。しかも、荒れたと言ってもモノに当たっているだけで、直接両親に危害を加えてはいません。
このような状況になったとき、自分たちでは事の収集ができないと感じれば誰かに相談するという手段もあったはずです(1992年当時では、まだカウンセリングというのが一般的ではなかったにせよ、行政の相談窓口などあったはずです)。りょう先生は次のように述べています。
『私たちの家庭の展望を切り開くには、親の責任で長男の命を絶つ以外にないということです。
もちろん、このように追いつめるまでには、人さまに相談するということも考えましたが、何と言っても本人が聞く耳を持たない、インポの件でも聞く耳を持たずに医者に行けと言っても、忠告を聞かないという状態でありました。
それに子どものことは親が一番、よく知っております。そのようなわけですので、親だけの判断で殺すことを話し合ったのです』
このどこが、“そのようなわけ”なのでしょうか。
冷静に考えずとも、『長男の命を絶つ』ことが『家庭の展望を切り開く』ことにはつながらないことは自明です。
このおかしな言い分の背景にあるのは、次の思いでした。
『二男と三男に、これ以上、悪影響を与えたくないという思いでした。すなわち親というのは、こんなに踏みにじられてもいいということを長男の親にたいするふるまいを見て育つことが怖かったのです。(略)長男のために二人の弟たちまでだめになってしまっては絶対いけないと思いました』
この言葉にすべてが現れていますね。
人は、現実世界を生きているようでいて脳内現実の世界に生きています。りょう先生夫妻が生きてきた“現実”は、りょう先生が設定した枠の世界。二人にとっては、自分たちが生きてきた虚構の世界こそが現実だったのです。二人にとって、諒君から真実を突きつけられることは、二人が協力して懸命に創り上げてきた世界を『踏みにじられ』ることでした。
→りょう先生夫妻が“怖かった”のは、長男の姿を見て弟たちが真実に気づき、弟たちまでもが自分たちに真実を突きつけてくるようになることが“怖かった”のです。
上記が現実です。これを脳内現実の世界(つまり、りょう先生夫妻の立場)に置き換えると次のようになります。
→りょう先生夫妻が“怖かった”のは、長男の姿を見て弟たちが悪影響を受け、弟たちまでもがだめになってしまうことが“怖かった”のです。
いかがでしょうか。
現実の解釈が、自分の心から逃げ続ける人=心の真実を見ようとしない人の脳内現実の中では真逆になることがお分かりでしょうか。
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すると、この相談を第三者にするとどうなるでしょうか。
もしかすると、自分たちの虚構の方が暴かれてしまうかもしれません。そのリスクを背負うわけにはいきませんでした。目的は、自分たちの世界に住む住人(子どもたち)が自分たちに牙をむかないようにすることです。それには、逆らえばこうなるという見せしめ(スケープゴート)が必要でした。そこで、弟二人へ“悪影響”が及ぶのを断ち切るために、断固たる態度で諒君に臨む必要があったのです。
りょう先生は『間違いなく(子より)自分の信条を選ぶ』ことをしなければなりませんでした。そして、『儀のために、わが子を犠牲にする』必要がありました。
【第4部-2、借りてきた「男性モデル」と「父親モデル」】
行き着くところは、諒君殺害しかなかったのです。そのためには、他人の介入は排除しなければなりません。そのために『本人が聞く耳を持たない』と諒君のせいにした上で、『それに子どものことは親が一番、よく知っております』というひと言で蓋をしました。この言葉の後には、次の言葉が隠されています。「だから、他人は口を出すな」―そう、禁止令ですね。
「子どものことは親が一番よく知っている」という一般社会通念を持ち出すことで、家族の問題に他人が口を挟むことを禁止しているのです。真実は、わが子を自分の所有物化している親が最もわが子のことを知っていません。ですから、こういう言い訳が通用しないためにも、「子は親の鏡」という考え方が社会通念となってほしいと思います。
このように、どのような考え方が社会通念となるのかは、とても大事なことなのです(卑近な例として、浅はかな首相が宣伝マンとなってしまった「自己責任」という言葉が社会通念となることで、どれほどの害が深く広範に社会に及んでいるか、身をもって私たちは体験していますね。「それは違う!」ということを私たちは言っていかなければなりません)。