新藤兼人さんに映画「ヒロシマ」を作って欲しい
8/1朝日新聞に映画監督新藤兼人さんへのインタビューが掲載されており、共感した。そのほぼ同じ内容が下記サイトにあったので、そこから抜粋して記す。
http://www.magazine9.jp/interv/shindo/shindo.php
新藤氏は次のように言う。
『僕が、戦争になぜ反対かと言うと、それは“個”を破壊し、“家庭”を破壊するからです。』
『国家として平和を守るということは、つまり国民の、一人ひとりの個の平和を守ることなのに、まるっきり逆のことをやっている。』
『だから戦争は、個の立場から考えると、まったくやってはいけないこと。いかなる正義の理由があろうとも、やってはいけないことなんです。』
『人間はどうやって死ぬかということは、人間の持っているひとつのテーマでしょう? (略)それが、戦争によって取り上げられちゃう。人の一生の大切なテーマが、メチャクチャにされてしまうということです。』
全く同感だ。
個が破壊され、家庭が破壊され、いかに死ぬか=いかに生きるかというテーマ=生きることそのものが破壊される。
心への影響は甚大で、経済社会は瞬く間に復興しても、存在不安の闇が広がり、不安からの逃走、存在承認への欲求、執着―それらが世代間連鎖して、3世代後には事件を生む不安定な社会が広がっていく。
戦争の影響は、まだまだ拡大しているのだ。
戦争がどれほど人の心に闇を作るのか、その観点からこそ、戦争は検証し否定されなければならない。
以下、上記サイトからの抜粋である。
■新藤兼人氏の原点-----------------------------------------
『僕は、昭和19年、松竹のシナリオライターとして仕事をしていた時に招集されました。32歳だから、老兵です。(略)そこで100人の隊に編成されました。それはいわゆる掃除部隊でした。』
『1ヶ月ほど予科練が入る施設の掃除をして、そこの掃除がすむと、上官が勝手にクジを引きます。クジで決まった60人は、フィリピンのマニラへ陸戦隊として就くよう出撃命令が下ります。(略)その60人は、マニラ・フィリピンに着く前に、撃沈させられたようです。』
『残った40人のうち、上官がまたクジをひいて30人が潜水艦に乗せられ戦死します。』
『そして私を含むその10人が残り、宝塚の予科練航空隊に入り、雑役兵として掃除をさせられていましたが、そのうちの4人は、日本近海を防衛する海防艦に乗せられます。』
『最後に残った6名だけが、宝塚で生きて終戦を迎えます。』
『僕と一緒に召集されたのは、30歳も過ぎたものばかりだから、みんな家庭の主人なんだ。主人が亡くなってあと、家庭はどうなりますか? 悲惨な運命です』―この悲惨な運命というのが、末代まで続くのである。
■正義の戦争などない----------------------------------------
『忠誠とか、正義とか、名誉の戦死だとかということになっていますが、戦争にそんなものはない。しっかりとした思想のもとに戦争するということは、ないですからね。間違った戦争をやって、どんどん死んでいって300万人あまりが死んでいった。』
『その人たちの、玉砕した人たちの瞬間の様子を想像してみてください。その瞬間は、国家とか天皇のためとかではなく、一人の家庭人として、一人の人間として、突撃していっているわけです。その心境を思ってみなきゃいけないですね。絶望的に死んでいくわけですよ。』
■実験として人生を奪われた20万人-----------------------------
『原爆というのは、一瞬のうちに数万人の人間を焼き殺し、結果的には20万人くらいの人間を殺しているわけです。たった一発の原爆で。
そしてその一発というのは、アメリカが実験的に落としたものです。アメリカの大陸で実験をやってみたけど、それは無人の荒野でやった。そんなことでは物足りないから、実際に人のいるところで実験してみたいと思って、それで人間のいるところへ持ってきて落としたわけです。無警告で、最も多くの人が外で活動している時間、朝の8時15分に、銃後の市民の世界に持ってきて落としたのです』
■新藤兼人氏の残された思い----------------------------------
『私は広島の出身だから、原爆で広島が破壊されたことは、私自身が破壊されたように考えているわけです。だから『原爆の子』『第五福竜丸』『8/6』『さくら隊散る』、そしてテレビドキュメント『ヒロシマのお母さん』と、原爆を撮り続けてきました。5本ほど作ってきて、もうひとつ物足りないのは、原爆が落ちた瞬間を撮っていないこと。』
『その「残酷」の問題について、映像作家として何をやるか、ということが残されているわけです。原爆が投下された1秒、2秒、3秒の瞬間を、広島が破壊されるさまを映像に撮らなくてはならない。』
『白閃光に焼かれ、爆風に飛ばされ、何万人という人の首がとび、目が飛び出し、川に飛び込み悶絶し、溺死していく。それは、一発の原爆でおきた、地獄を想起させる現象。映像の力でその様を再現すれば、みんなもわかると思うんですよ、他人ごとに考えている人もわかると思うんです。勝った国の人にも、原爆を受けた人間はこうなるんだということを、想像できると思うのです。』
『原爆のおそろしさをきちんと表現するには、広島の街の半分ぐらいを模型で作り、実写で破壊しないと撮れない。すると最低20億円ぐらいはかかるのです。』
シナリオはできている。
しかし、制作費の20億も、撮る体力もないという。
新藤兼人氏97歳。
誰か引き受けてくれる映画監督はいないだろうか。