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真実からますます遠ざかる裁判員制度

2009/08/04(Tue) Category : 裁判員制度
★裁判員制度の欺瞞と恐ろしさ--------------------------------------

検察官 「『ぶっ殺す』と何回聞いたのですか」
証  人 「2度聞きました」
法壇に並んだ裁判員がペンを走らせる。
この裁判の焦点は殺意の程度。

【以上、今朝の朝日第一面より】
上記は、昨日開廷された全国初の裁判員裁判の場面である。

制度初の裁判なので、わかりやすい事例(?)を取り上げたという裁判。
争点は「殺意の濃淡」。

そのため、検察側は「5回以上刺されていた」と回数を強調し、さらに遺体写真までも見せる。それに対し、弁護側は「無我夢中だったので、何回刺したか覚えていない」。

「ぶっ殺す」という発言も『殺意の強さを表す』とあらかじめ規定されているため、何度言ったかなどが問われ、冒頭の場面はそれを証人に確認しているシーンである。


もうこれだけで、この制度の欺瞞と恐ろしさが透けて見えてくる。

この事件は近隣トラブルで、片方が片方を刺し殺したという明白な事実がある。争われているのは、殺意があったのかなかったのか、その程度はどうだったのか。つまり、量刑を決めるための裁判という基本的構造は変わっていない。真実を見極めるための裁判ではないということだ。

そのことが、“わかりやすい事例”というニュアンスや争点は「殺意の濃淡」という裁判所やマスコミの言葉に自明の前提として現れている。つまり、真実を見極めようという姿勢は最初から省かれているのだ。




★真実追究の場ではなく量刑判定の場---------------------------------

この怖さの本質がわかるだろうか?
冤罪をなくすために裁判を公開しようという流れにあるのであれば、何より裁判の場を真実追究の場に変質しなければならないのだが、量刑判定の場という根本姿勢は変わらないままなのである。

そして、裁判員は最初から量刑判断という土俵の上に乗せられている。
そこで、罪を重くしようという検察側と軽くしようとする弁護側の不毛な議論を聞かされることになる。

刺した数や「ぶっ殺す」という発言が殺意の強さを表すと誰が決めた?
キレてしまった後の行為など理性で抑えられるものでもなければ覚えていない者さえある。そのときの行為は、暴走しているから残虐であるだろう。その暴走行為のみを検証しても真実は見えてはこない。

だから、『法壇に並んだ裁判員がペンを走らせる』というまざまざと浮かぶ光景が、私に危惧を覚えさせる。あなたがたは既に量刑判定という「枠」の中で踊らされてはいませんか、と。




★国家権力によるパワハラ-------------------------------------------

さらに、検察側はむごい遺体の写真まで見せる。しかも、その日に集められた見たくもない素人にだ。

あなたは選ばれた。そして、人を裁かなくてはならない。
そのためには、惨殺死体も見なくてはならない。
―拒否権もなく、強制的に見せつけられる。
それもあるストーリーに落とし込むためにだ。
これは、明白にハラスメントだろう!

ハラスメントを受けて人の心に何が芽生えるか?
私はこのブログにそのことを書き続けている。

だから、国家権力によるこのパワハラを見過ごすことはできない。




★裁判で被告の深層心理は分からない---------------------------------

本当の問題は、なぜわずか一滴のことで心のコップがあふれキレるほどに感情がたまっていたのかと言うことだ。そのことについて、貴重なコメントが新聞に掲載されていた。裁判を傍聴した裁判員候補者の方の感想である。

『事実関係に関しては驚くほど細かいところにふれながら詳しく説明していたけれど、被告がなぜ被害者を殺してしまうほど憎しみを募らせていったのか、肝心のところが腑に落ちなかった。

以前から二人の間にトラブルがあったようですが、相手へのいらだちの他にも、被告の日常にはイライラや孤独の種があったのではないでしょうか。それが積もり積もって、ふとしたきっかけで怒りの刃が被害者に向けられてしまったのではないか―。裁判員として人を裁くからには、そういう深いところまで理解したい。でも、そこが全然わかりませんでした』


これこそが、とても大切な視点である。だが、その方は言う。
『被告に直接聞いてみたいけれど、自分が裁判員になったら、こうした疑問を法廷で質問できるかと考えると、たぶん難しいでしょう。』

佐木隆三氏も『質問するのは大変なことだろうが、本心は聞きたいことがあるはず。もっと「口うるさい人」になって、ぜひ、おくせずに聞いてほしい』と言うが、その場で聞いても真実は出てこない。本人自身が説明できない感情を引き出すことはできない。


あの堀田力氏も『裁判自体が誰に対してもわかりやすいものになり、直接法廷で証拠を調べて心証を作るという、裁判として当然あるべき姿になった』と言う。証拠からわかりやすく心証を作る―彼もまた、人の感情の問題や無意識の問題を度外視していることを残念に思った。

結局、『プレゼンテーションの力を競うようなところがあり、組織の力を上げて取り組んでいる検察側と個人でやっている弁護側ではスタート時点で差があるなと感じた』【江川紹子】とあるように、あるストーリーを軸にした検察vs弁護の真実からかけ離れた攻防になるのかと思うと、やるせなく空しい。

私には、被告だけがポツンと取り残されているイメージが浮かぶ。

それを象徴するのが、裁判官が裁判員を終始気遣っていたという姿勢だ。あなたの役割は被告の真実と向き合うことだ。



なんだか、この国は、
やることなすことがことごとくとんちんかんだ。






*時間を取って是非、読んでください↓
「仮面の家」を、あなたは裁けますか?




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立憲民主主義国では国とは統合した国民の事です。 統合して国体を構成して国法に法としての効力を与えている国民の福利を国家の最高絶対の目的とするよう命じる事が、日本国憲法前文にもある憲法の人類普遍の原理です。 法秩序の頂点に在る憲法の原理は法の原理では有り得ず、政治の原理です。

旧憲法は、御告文、発布勅語、上諭により、歴代天皇以来の代々の臣民の為の憲法、現憲法は天皇を国と国民統合の象徴とする人々とその純血子孫の福利のための憲法。どっちも日本人の福利のための憲法です。
連合国の諸国、連合国から脱落した諸国、連合国とならなかった諸国との第二次世界戦争は終わっています。連合国との戦争状態が継続していたGHQ期のように連合国の戦争プロパガンダに従う義務はありません。但、降伏文書ポツダム宣言条項のカイロ宣言条項は、第二次世界戦争を終結させる決定権を有し合意し行使した日米の第二次世界戦争の戦争状態を終結させた日本との平和に次ぐ位置にある最高位の国際法です。朝鮮総督府統治が開始したことにより朝鮮人は再独立を与えるべき奴隷化された状態になったとしているのは類似行為を禁じる国際法です。
天皇は民を大御宝としまた直系卑属の相続財産として扱わないとするような、君権は臣下の福利のための権力とする日英のような慣習憲法もなければ、成文憲法も無く、大韓帝国最高法規大韓国国制で一切権利を認められていない大韓帝国臣民が、内地では選挙権被選挙権を行使していた日本国臣民とされ、明治天皇以来の代々の臣民として憲法により慶福を保障されて、朝鮮地区を代表する衆院議院の選挙も昭和20年4月1日勅令で認められていたのですが、仕方ない。一方で朝鮮の未独立部分に属する朝鮮籍民と台湾籍民は日本との平和条約発効に一切の人権を停止されています。
自主独立主権国家の国民は、奴隷であっても、憲法により福利を保障される資格があって、自主独立国家を併合して36年間併合した地区を代表する国会議員選挙を実施しなかったのを違法とする国際法が日本のポツダム宣言受諾と、玉音放送や連合国最高司令官停戦命令等による日米の世界戦争を終結させる決定権の行使により成立したとするしかない。世界戦争の結果を法として見るためには戦争プロパガンダは役に立たない。自由主義史観が必要です。

女奴隷に産ませた自分の子を奴隷として使役し売却していた奴隷農場主が主張した基本的人権の尊重を重要な国民の福利とした現憲法確定者の予想が正しいとは限らない。
被害者と被告人の基本的人権を尊重する裁判を国民の福利とすれば、殺人罪の保護法益は個人の生命、殺意を持って人を殺したと証明する最低限の証拠だけで有罪無罪を決めて、被告人に異議がなければ、有罪を証明した最低限の証拠で量刑する迅速な裁判となります。

 

変な日本語

昨日の夜
「裁判員ならではの質問でした」とニュースで聞いて、このごまかしに腹が立ちました。
過去に何十回も質問があって、こういう質問はまさに裁判員ならでは!という場面ならわかります。
初質問ですよ・・・。
マスコミがまた陽動作戦で国に協力してるのでしょうか。
初日のコメントは賛成意見ばかりで辟易しました。

 

この場を借りて…

裁判員制度のニュースに混じって、こんなひどい話があがってきました。

http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009080401000392.html

新しい歴史教科書をつくる会が執筆した教科書が、横浜市で採択されました。
自由主義史観に基づく教科書が許されていい訳がありません。なぜなら、民主主義や人権から、歴史の誤りを検証することがないからです。

どうか、この国を本当にダメにしないために、声をあげる方が一人でも多く増えることを願っています。

 

怖すぎる

罰すること、有罪が前提であることが『わかりやすい』とは…。
このような条件付け、枠の中で行動せよという強制。
いえ、先日中尾先生が書かれた『りょう先生』の家庭のように裁判員に『枠そのものになれ』と迫っているのですね。
怖い。怖すぎます。

 

嫌な国だ。

 

引用されていた裁判員候補者の方の感想に真実追究への誠意を感じます。こういう視点を持つ人も出てきているんだなぁ…と一抹の感慨も覚えました。

>なんだか、この国は、やることなすことがことごとくとんちんかんだ。

同感です。今年78才になる激烈な我がモラ母に先日、裁判員候補者の通知が来て、思わずゾッとしました。
「体力的に無理でしょ」と説き伏せて辞めさせましたが、本人は「あと10年若かったら」と悔しそうな様子。冗談でしょ? 彼女の振りかざす《正義》の正体が何であるか、中尾先生のこのブログをご覧の方はきっとお分かりだと思います。

いったい選定の基準はどこにあるんでしょうね? 《善良なる市民》という「表の顔」だけで判断していないでしょうか?

 
    
 
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