真実から目を背けるな
「怖いものから目を背けるな」
そして、黒澤は真実を直視し続けました(だから世界から尊敬される人になったのでしょう)。その彼の目に映る不思議―
「なぜ日本人は幸せになろうとしないのか」
黒澤の目には、虚構に生きる人々が不思議に見えたのでしょう。
だから、彼はカメラの前で役者に人生を本気で生きさせました。
その黒澤が危惧していたこと。
「なぜ人間は戦争という愚を犯すのか。暴力に頼らなくても分かり合えるはずだ。でなきゃ、日本人のことを述べた私の映画が世界で愛されるはずがないからね」
黒澤明は、「崖っぷちでとまどっているのが人類」だと言います。
そして、「絶望の中に生きていることを直視せよ」と言います。
本気で絶望しなければ、スタートできないからです。
絶望するために必要なこと。
それは、真実を直視することです。
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これまで、ヒロシマ、オキナワ、ナガサキと被害者としての日本を掲載してきました。これは、「被害」に向き合うことです。そこに、破壊兵器によるむごさ―この世の地獄を見たことと思います。
・ヒロシマ―これが原爆の現実だ!~被爆者が描いた絵~
・オキナワ~戦争と自律―会社を辞めた父の思い
・ナガサキ―被爆者の魂の声を聴け! 伊藤明彦さんの遺志
また、2.26事件の生き証人の方の目から、戦闘の最前線の現場、戦場の生々しい光景も見ました。
・2.26事件生き証人の語った戦争
そしてもう一つ向き合わなければならないこと。
それは、「加害」に向き合うことです。
特に、人が集団圧力に対してどれほど弱いのか、そしてその圧力の中でどのように麻痺していくのか。…これは、現在ハラスメント界で生きている人が、今も日常的に経験されていることだと思います。
自律できていない人間が多ければ、集団圧力はおかしな方向へ簡単に傾きます。人から強制的に自律を奪い、命を道具にする戦争はそれが突出した形で現れるだけなのです。それが突出したとき、どのような形で現れるのか、その“加害”と向き合わなければなりません。
なぜ向き合わなければならないか。
戦争を生み出したつまらぬ資源争い、それが今も形を変えて続いているからです。戦争で勝ち得たものは何ですか。怨念、憎しみ、復讐心、そして、3代、4代と苦しめていく存在不安の世代間連鎖、そしてそれが呼び起こす社会不安です。豊かに見える現代社会は、今こそ戦争後遺症に苛まされているのです。にもかかわらず、まだ争奪戦は続いています。
だからこそ、加害の絶望と被害の絶望―この両方を、黒澤明のように見据えなければなりません。
私は、勇気を持って語ってくれた旧日本兵の肉声に衝撃を受けました。
その人達が、今普通に暮らしている老人達だからです。その話が嘘か誠か、表情を見、声を聴いていればわかります。耳をふさぎたくなるような真実が伝わってきました。下記にそのドキュメンタリーを見ながら、とったメモを掲載します。
日本人がこのようなことをされたら、あなたはいったいどう思われますか。
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一攫千金を狙って満州に行った。
自分も日本も金持ちになるのだから、悪の意識はなかった。
天皇の命令であり、神の子孫であるから、何をしても可。
中国人を「チャンコロ」と呼び人間と思わず虫けらと思っていたからできた。
「厳重処分」=殺すこと。
相手が悪いことをしていなくても、殺すことが“功績”だった。
初年兵同士を向き合わせ、殴り合わせる。ゲラゲラ笑いながら。
命令に背くことはできないし、“出世”に関わる。
「度胸ねぇなぁ」と言われるのがイヤで競争意識でそまっていく。
最初はふるえて刺せなかった者が、そのうち殺した数を競うようになる。
男を殺し、女を強姦、輪姦するのは上官命令ではなく、「仲間」になるための“ルール”だった。“仲間内”のことがばれないように輪姦した後、女は殺した。
殺した女の肉を兵隊に食わせた(厨房係)。
みな、肉を食ってないから喜んでいた。
反日分子を捕まえるために上から割り当てがきた。
町を囲んで夜中の2時か3時にたたき起こして捕まえる。
水攻め―飲ませて吐かせることの繰り返し
焼きごて―背中の肉の焦げるにおいが部屋中に充満した
後ろ手首を縛って木に吊しておくと、数時間後には身体の重みで肩がねじれてぶら下がっていた。
空手の実戦訓練としてなぶり殺し
日本刀の訓練として、日本刀で斬り殺した。
新年の刀の試し切りで、生きた人間の首を切った。
「さぁ、手術の実験だ」と言いながら、拳銃で2発撃ち、麻酔もかけずに切り刻んで殺した。人が生きながら切られるのをニコニコしながら準備していた。
殺すときは、ガソリンを頭からかけて生きたまま焼き殺した。
地雷原を行くときは、生きた人間を数メートルずつ横一列にして前を歩かせ探知針代わりにした。地雷に触れた人間は吹き飛んだ。
畑仕事に出ていた15~45歳の男性を“人狩り”した。人間数珠繋ぎにして穀物倉庫に押し込めていたら、半分イカレちゃったよ。
村を一瞬で焼き尽くしたことがある。
女と子供ばかりの村だった。
赤ちゃんを産んだばかりの母親と祖母がいた。
「これは俺がやったんじゃない。部隊長を恨め」
おじいちゃんと5歳と3歳の子供を生き埋めにした。
人が焼ける異様なにおい。
赤ん坊を突いて火に投げ込んでも笑っている。
生き残った村の女を全員全裸にして道に並ばせ、突き殺させた。やらなければ、“意気地なし”になってしまう。
ノモンハンは細菌兵器完成の地。5人の中国人をペストで殺した。
七三一部隊が人体実験に使う捕虜を「マルタ」と呼んだ。毎晩風呂に入ったときの会話は、「今日“何本”倒した」―国への愛のためにやらなければならない。罪悪感はなかった。
何千何万という遺体が揚子江沿岸に凍り付いていた。
私の見た記録映画は、次の映画です。
「日本鬼子(リーベンクイズ)日中15年戦争・ 元皇軍兵士の告白」
(監督 松井稔)
-2001年トロイア国際映画祭シルバー・ドルフィン賞受賞、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭特別賞受賞、第51回ベルリン国際映画祭正式出品作品。
私は、父の話を思い出した。
・父の話(1)-親と兄弟
・父の話(2)-継ぐべきこと
私は、戦争体験者に会い、この目で見、この耳で聴きました。
空疎な議論をする前に、多くの人にお願いしたいこと。
記録映画でも記録テープでもよい、実際に体験した方々の話を聴いてほしいということです。