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真実から目を背けるな

2009/08/14(Fri) Category : 戦争
黒澤明は、兄から言われました。
「怖いものから目を背けるな」

そして、黒澤は真実を直視し続けました(だから世界から尊敬される人になったのでしょう)。その彼の目に映る不思議―
「なぜ日本人は幸せになろうとしないのか」

黒澤の目には、虚構に生きる人々が不思議に見えたのでしょう。
だから、彼はカメラの前で役者に人生を本気で生きさせました。

その黒澤が危惧していたこと。
「なぜ人間は戦争という愚を犯すのか。暴力に頼らなくても分かり合えるはずだ。でなきゃ、日本人のことを述べた私の映画が世界で愛されるはずがないからね」

黒澤明は、「崖っぷちでとまどっているのが人類」だと言います。
そして、「絶望の中に生きていることを直視せよ」と言います。

本気で絶望しなければ、スタートできないからです。
絶望するために必要なこと。

それは、真実を直視することです。



--------------------------------------------------------
これまで、ヒロシマ、オキナワ、ナガサキと被害者としての日本を掲載してきました。これは、「被害」に向き合うことです。そこに、破壊兵器によるむごさ―この世の地獄を見たことと思います。
ヒロシマ―これが原爆の現実だ!~被爆者が描いた絵~
オキナワ~戦争と自律―会社を辞めた父の思い
ナガサキ―被爆者の魂の声を聴け! 伊藤明彦さんの遺志

また、2.26事件の生き証人の方の目から、戦闘の最前線の現場、戦場の生々しい光景も見ました。
2.26事件生き証人の語った戦争

そしてもう一つ向き合わなければならないこと。
それは、「加害」に向き合うことです。

特に、人が集団圧力に対してどれほど弱いのか、そしてその圧力の中でどのように麻痺していくのか。…これは、現在ハラスメント界で生きている人が、今も日常的に経験されていることだと思います。

自律できていない人間が多ければ、集団圧力はおかしな方向へ簡単に傾きます。人から強制的に自律を奪い、命を道具にする戦争はそれが突出した形で現れるだけなのです。それが突出したとき、どのような形で現れるのか、その“加害”と向き合わなければなりません。


なぜ向き合わなければならないか。
戦争を生み出したつまらぬ資源争い、それが今も形を変えて続いているからです。戦争で勝ち得たものは何ですか。怨念、憎しみ、復讐心、そして、3代、4代と苦しめていく存在不安の世代間連鎖、そしてそれが呼び起こす社会不安です。豊かに見える現代社会は、今こそ戦争後遺症に苛まされているのです。にもかかわらず、まだ争奪戦は続いています。

だからこそ、加害の絶望と被害の絶望―この両方を、黒澤明のように見据えなければなりません。



私は、勇気を持って語ってくれた旧日本兵の肉声に衝撃を受けました。
その人達が、今普通に暮らしている老人達だからです。その話が嘘か誠か、表情を見、声を聴いていればわかります。耳をふさぎたくなるような真実が伝わってきました。下記にそのドキュメンタリーを見ながら、とったメモを掲載します。

日本人がこのようなことをされたら、あなたはいったいどう思われますか。





■------------------------------------------------------
一攫千金を狙って満州に行った。
自分も日本も金持ちになるのだから、悪の意識はなかった。
天皇の命令であり、神の子孫であるから、何をしても可。
中国人を「チャンコロ」と呼び人間と思わず虫けらと思っていたからできた。
「厳重処分」=殺すこと。
相手が悪いことをしていなくても、殺すことが“功績”だった。

初年兵同士を向き合わせ、殴り合わせる。ゲラゲラ笑いながら。
命令に背くことはできないし、“出世”に関わる。
「度胸ねぇなぁ」と言われるのがイヤで競争意識でそまっていく。
最初はふるえて刺せなかった者が、そのうち殺した数を競うようになる。

男を殺し、女を強姦、輪姦するのは上官命令ではなく、「仲間」になるための“ルール”だった。“仲間内”のことがばれないように輪姦した後、女は殺した。
殺した女の肉を兵隊に食わせた(厨房係)。
みな、肉を食ってないから喜んでいた。

反日分子を捕まえるために上から割り当てがきた。
町を囲んで夜中の2時か3時にたたき起こして捕まえる。
水攻め―飲ませて吐かせることの繰り返し
焼きごて―背中の肉の焦げるにおいが部屋中に充満した
後ろ手首を縛って木に吊しておくと、数時間後には身体の重みで肩がねじれてぶら下がっていた。

空手の実戦訓練としてなぶり殺し
日本刀の訓練として、日本刀で斬り殺した。
新年の刀の試し切りで、生きた人間の首を切った。

「さぁ、手術の実験だ」と言いながら、拳銃で2発撃ち、麻酔もかけずに切り刻んで殺した。人が生きながら切られるのをニコニコしながら準備していた。
殺すときは、ガソリンを頭からかけて生きたまま焼き殺した。

地雷原を行くときは、生きた人間を数メートルずつ横一列にして前を歩かせ探知針代わりにした。地雷に触れた人間は吹き飛んだ。

畑仕事に出ていた15~45歳の男性を“人狩り”した。人間数珠繋ぎにして穀物倉庫に押し込めていたら、半分イカレちゃったよ。


村を一瞬で焼き尽くしたことがある。
女と子供ばかりの村だった。
赤ちゃんを産んだばかりの母親と祖母がいた。
「これは俺がやったんじゃない。部隊長を恨め」
おじいちゃんと5歳と3歳の子供を生き埋めにした。

人が焼ける異様なにおい。
赤ん坊を突いて火に投げ込んでも笑っている。

生き残った村の女を全員全裸にして道に並ばせ、突き殺させた。やらなければ、“意気地なし”になってしまう。

ノモンハンは細菌兵器完成の地。5人の中国人をペストで殺した。
七三一部隊が人体実験に使う捕虜を「マルタ」と呼んだ。毎晩風呂に入ったときの会話は、「今日“何本”倒した」―国への愛のためにやらなければならない。罪悪感はなかった。

何千何万という遺体が揚子江沿岸に凍り付いていた。







私の見た記録映画は、次の映画です。

「日本鬼子(リーベンクイズ)日中15年戦争・ 元皇軍兵士の告白」
(監督 松井稔)
-2001年トロイア国際映画祭シルバー・ドルフィン賞受賞、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭特別賞受賞、第51回ベルリン国際映画祭正式出品作品。





私は、父の話を思い出した。
父の話(1)-親と兄弟
父の話(2)-継ぐべきこと



私は、戦争体験者に会い、この目で見、この耳で聴きました。
空疎な議論をする前に、多くの人にお願いしたいこと。
記録映画でも記録テープでもよい、実際に体験した方々の話を聴いてほしいということです。




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マレーシア、シンガポール、ブルネイの人達に、 台湾と澎湖諸島、南樺太と千島、日本の南極の権利、新南群島と西沙諸島を日本に返すようイギリスに言ってもいいと思って貰えた時が、 マレーシアやシンガポールやブルネイの人々が日本を許してくれた時です。

イギリスに言ってくれるよう、日本人が頼めば、戦争や戦後の今迄の事について話て貰えると思います。

加害は、
日本の軍に独特な、軍人勅諭の精神を具体的に記述したとする、戦陣訓にも反する行為で在るため、

他の国の兵士より強く罪悪感や自責の念を抱かせ、深い傷を残していると思います。

 

真実、見ました

昨日、ハラッサーにお別れを告げ、真実の自分の姿を直視しました。
・・・絶望、でした。

若さも、エネルギーも、お金も、安定して働ける条件も・・・
何もかも、ハラッサーやモラハラ&ネグレクト&etc・・・家族に捧げ、なんにも残っちゃいませんでした。
一人になった後、勝利の喜びが湧いてくるだろうと思っていたのに、体の奥底から絞り出すような悲しみの声が湧いてきました。

なんて・・・なんて浪費!!搾取!!!!
わたしの、人生を、かえせ!!!!!!!!!
しかも、操られて、自分から、望んでそうした・・・


あまりにみすぼらしい真実の自分の姿。
見たくなかった!
これは・・・見たくなかった筈だ・・・・!!!
全力で、ごまかし、目をつぶりたかった筈だ!!!!!

ずっとどこか、表面の目を閉じているような感覚がありました。
目を開いて見たハラッサー達の姿は、とんでもない魔物でした。
巨大な蜘蛛。
私は、養分だった。
生きながら、養分を吸い取られ、自らを差し出すよう「教育」され、そのプログラムに従って餌になる・・・

この県、廃れてるはずだよ。
巨大なハラスメント界・・・!!
裏の魔王のような人のところで、養分を差し出す餌係やってました・・・
そういう人を選んだってのもまた、私の認めて欲しい飢餓がとんでもなく深かったってことだよね・・・

全部全部、体や心が私に送っていたシグナルは正しかったんです。
幼いころ、蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされるような、布団です巻きにされるような息苦しい夢をよく見ました。
定期的と言っていいほど。
ああ、またアレだ・・・と思ったものです。
子ども心に、特別な意味を感じて、心の一番大事な領域で忘れないよう書き留めていました。
文等でお話を作る創作が好きで、よく描いていましたが、それにも「私は操り人形だ・・・」という言葉が。
私にとって、私の作品は、私の子どものようなもの。
私の子は、全部全部分かってたんだ・・・真実を・・・


・・・今の私。
ほんとうに、酷い状態。
ははは・・・。乾いた笑いが湧いてきます。
これが、真実なんですね・・・。
絶望・・・
もう、ここから這い上がるとか、今はどうでもいい・・・
休んで、少しずつ、元気になれることをやっていく・・・

 

一攫千金

日本人がこのようなこと以前にまずその最初の言葉である一攫千金の発想そのものが加害性のある言葉に感じますけど、戦争と言う言葉とその後のインパクトがある言葉にスルーしてしまってはいませんか?

何故その時代に一攫千金と言う発想をしなければならなかったのか。
その後に色々な行動をしたと書いてあるのですから元凶はここではないのでしょうか。

 

墓場まで持っていった祖父

私の祖父は戦争の話はほとんどしませんでした。
私と祖父は4年間毎日同じ部屋で過ごし、お風呂に一緒に入り、家族の中で一番親密な関係でした。
私は祖父から見守る愛を受けていました。
祖父だけが私が何をしても嫌いになんかならないという確証を持っていました。
小学生の私には祖父が死んでしまうことがこの世で一番恐ろしいことでした。

祖父が戦争について語ったことは
「雷が鳴ったら木のそばに行ってはいけないよ。戦争中自分の隣にいた友達が雷に打たれて真っ黒焦げになって死んだから」ということ。

「東条英機だけではなく、日本が、日本という国がおかしかったんだ」と呟いたこと。

「日本は戦争に負けてよかった。そうでなければ切り捨て御免の世の中になっていた」と言った話。

中国に出兵していたこと。
戦争から帰ってくるのがかなり遅かったこと。


祖父の死が怖かった小さい時「私は貝になりたい」という映画を見て、
あまりにも戦争の話をしないおじいちゃんを奇異に思っていた私は
「(えらい兵隊さんだった)おじいちゃんは戦争で人を殺したに違いない」と思いました。
そして、いつか、誰かが、おじいちゃんを戦犯として捕まえに来たらどうしよう、と不安でいっぱいになりました。
だからある日「おじいちゃんは人を殺したことがあるの?」と聞きました。
するとそれを聞いていた母が
「おじいちゃんがそんなことするわけないじゃない!!」と凄い形相で怒りました。
私は心の中で(なんでお母さんが答えるのよ、おじいちゃんに聞いているのに!)と思いましたが、
祖父は「殺した」とも「殺していない」とも答えませんでした。

祖父は5年前に90歳で他界しましたが、母が
「おじいちゃんは自分の事は誰にも何も話さずに死んでしまった」と言いました。


昨日、今日の先生の記事を読んで、私はずっとおじいちゃんは戦争の事で何かを隠していると思っていた事に気がつきました。

宴会で誰かが軍歌を歌うと席を外したおじいちゃん。
傷痍軍人から目をそむけたおじいちゃん。


苦しんでいた。
一人で罪悪感感やら、人が簡単に加害者になる恐ろしさやら、仲間も何人も亡くなった悲しみやら。
そんな苦しみを胸の奥底に閉じ込めていた。60年間も。

なぜなら、加害者であったであろうおじいちゃんの話は、祖母も母も聞きたくなかったからだ。
「立派な軍人さん」という甲羅を着せ続けたかったからだ。

でもおじいちゃんは「立派な軍人」という甲羅は着たくなかった。

だから話さない。
誰も聞かない。

我が家ではどんどん戦争の話はタブーになっていきました。

広島?長崎?終戦記念日?
みんなが不自然に口をつぐみました。
ただニュース画像を見るだけ。

おじいちゃんに今、言いたい。

私はおじいちゃんがどんなおじいちゃんでも大好き。
どんなおじいちゃんの話でも聴く。

そしておじいちゃんの心の暗闇に光を灯したい。
心に寄り添う。

なぜなら、ACである私の心に光を灯してくれたのはおじいちゃんだから。

国家にハラスメントを受けていたおじいちゃんの気持ちを聴く。

そしてハラスメントを憎む。
そしてハラスメント界から静かに立ち去る。

その勇気をくれたのはおじいちゃんの「愛」があったから。

おじいちゃんが私に愛を注いでくれたから、私は世代間連鎖を止めたいと思えたのだと。

おじいちゃんは生き恥をさらしたのではない!

おじいちゃんが生きていてくれたから、私の代でハラスメントの連鎖は終わります。

だから、目を背けるのはやめます。

おじいちゃん、本当にご苦労さま。
どんなに孤独で苦しい辛い人生だったでしょう。
私の存在がおじいちゃんの救い、そして希望になることを祈ります。

 

加害者としての日本

マレーシアからの留学生と、平和記念公園へ行った時。戦争体験の証言を説明していた時。

「マレーシアでも日本軍によって同じようなことがされました。あなたはそれを知っていますか?あなたは日本人としてどう考えていますか?沖縄では、そのことは学ばないのですか?」
と、留学生に訪ねられました。

私は沖縄は戦争で被害を受けた土地だとばかり思っていました。でも世界から見たら日本。
日本に加害を受けた国からは同じなのだと初めて分かった瞬間でした。

日本の加害性についてどう向き合っているのか問われ何も答えられず、自分が何も知らないことを知りました。


今日のこの記事で、そのことを思い出しました。
それでも沖縄の被害にばかり目を向け、あのときから加害性については、いまだ何も学んでいなかった。

彼女は何も知らない私を責めるでもなく、学ばない日本を責めるのでもなく、ただ学んで欲しいと言っていました。

いつか彼女と会ったときに、本音で話しができるよう、真実を知りたい学びたいと思いました。



 
    
 
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