私は、なぜ生まれようと決めたのか
2009/09/11(Fri) Category : 心の闘い物語
このブログを読まれている方は、私のカウンセリングはまさに「生まれ直し」であり、「生き直し」であることがおわかりだと思います。
この世に生まれて植え付けられた「存在不安」や「IP」を取り除き、
封じ込めていた「IC」を救い出して心のコップに溜まった感情を空にし、
これまでの「人生脚本」を白紙に戻して、
まさに生まれたときの自分に立ち返って、自分本来の人生をスタートさせること―それが、私が行っているカウンセリングです。
と簡単に書いていますが、とてもとても手強い道のりです。
生まれたときから当たり前と思っている感覚や感情、思考パターン、
それらを無意識に支配しているドライバーや禁止令、
親の無意識レベルの望みに応じて無意識に作ってしまっている人生脚本、
そして、それらすべての構築の土台になっている存在不安。
個人の内部にこれだけの「敵」がいます。
さらには、自分や自分の家族を取り巻く親族や地域、学校や会社などのすべてのシステムが、今や不安を土台に構築されている共依存システムですから、本当の自分を取り戻すということは、今馴染んでいる社会から孤立することでもあります。その上、その社会の中で何らかの役割を押しつけられており、その役割を降りることになりますから、周囲からも非難を浴び、逃げるな!とあちらからもこちらからも追っ手が来ます。
個人の外部も敵だらけなのです。
これほども内外に敵を抱えていますから、半端な覚悟で挑戦できる課題ではありません。逃げることができる限り、人は無意識に逃げ続けようとします。ですから、思考、感情、行動がバラバラであってもそのことがわかっていない人、意識とは裏腹に無意識に突き動かされている人がとても多いにも関わらず、気づこうともせずに日々年老いていきます。そして、気づかぬままにいつの間にか自分自身がブラックホールとなって世代間連鎖をつないでいき、結局自分の生を一歩も生きないままにこの世の人生を終えてしまうことになります。
こういう中から、闇に飲み込まれかかっているICが、「生まれたい!」と願って本人を突き動かし、カウンセリングが始まるわけですが、カウンセリングが進んで自律への道筋が見え始めると、今度は「自律すべきかせざるべきか?」という問題にぶつかります。
もちろん自律のためにカウンセリングを始めたのですが、いざ自律が見えてくると、このカウンセリング関係を失いたくない、という思いが出てくることがあるのです。自律にいたる最後の関門の一つといってよいでしょう。
このとき、どのような思いになるのか、ある方のご協力を得て掲載したいと思います(少し変更してあります)。これから掲載するのは、カウンセリング過程の最後の部分で心をよぎる思いです。それを乗り越えるとき、自分をカウンセリングに向かって突き動かした「生まれたい」という思いの本質にも気づくのです―。
★私は、なぜ生まれようと決めたのか
(1)自己卑下と見捨てられ不安
(2)人のことを考えろというIPの呪縛
(3)深海から海上へ
(4)自律の覚悟
(5)いのちをそのまま生きる
(6)決めた!はじけた!!
(7)突如現れたモンスター
(8)認め合う愛を体験したかったから
(9)「愛」という時間で時を過ごす
この世に生まれて植え付けられた「存在不安」や「IP」を取り除き、
封じ込めていた「IC」を救い出して心のコップに溜まった感情を空にし、
これまでの「人生脚本」を白紙に戻して、
まさに生まれたときの自分に立ち返って、自分本来の人生をスタートさせること―それが、私が行っているカウンセリングです。
と簡単に書いていますが、とてもとても手強い道のりです。
生まれたときから当たり前と思っている感覚や感情、思考パターン、
それらを無意識に支配しているドライバーや禁止令、
親の無意識レベルの望みに応じて無意識に作ってしまっている人生脚本、
そして、それらすべての構築の土台になっている存在不安。
個人の内部にこれだけの「敵」がいます。
さらには、自分や自分の家族を取り巻く親族や地域、学校や会社などのすべてのシステムが、今や不安を土台に構築されている共依存システムですから、本当の自分を取り戻すということは、今馴染んでいる社会から孤立することでもあります。その上、その社会の中で何らかの役割を押しつけられており、その役割を降りることになりますから、周囲からも非難を浴び、逃げるな!とあちらからもこちらからも追っ手が来ます。
個人の外部も敵だらけなのです。
これほども内外に敵を抱えていますから、半端な覚悟で挑戦できる課題ではありません。逃げることができる限り、人は無意識に逃げ続けようとします。ですから、思考、感情、行動がバラバラであってもそのことがわかっていない人、意識とは裏腹に無意識に突き動かされている人がとても多いにも関わらず、気づこうともせずに日々年老いていきます。そして、気づかぬままにいつの間にか自分自身がブラックホールとなって世代間連鎖をつないでいき、結局自分の生を一歩も生きないままにこの世の人生を終えてしまうことになります。
こういう中から、闇に飲み込まれかかっているICが、「生まれたい!」と願って本人を突き動かし、カウンセリングが始まるわけですが、カウンセリングが進んで自律への道筋が見え始めると、今度は「自律すべきかせざるべきか?」という問題にぶつかります。
もちろん自律のためにカウンセリングを始めたのですが、いざ自律が見えてくると、このカウンセリング関係を失いたくない、という思いが出てくることがあるのです。自律にいたる最後の関門の一つといってよいでしょう。
このとき、どのような思いになるのか、ある方のご協力を得て掲載したいと思います(少し変更してあります)。これから掲載するのは、カウンセリング過程の最後の部分で心をよぎる思いです。それを乗り越えるとき、自分をカウンセリングに向かって突き動かした「生まれたい」という思いの本質にも気づくのです―。
★私は、なぜ生まれようと決めたのか
(1)自己卑下と見捨てられ不安
(2)人のことを考えろというIPの呪縛
(3)深海から海上へ
(4)自律の覚悟
(5)いのちをそのまま生きる
(6)決めた!はじけた!!
(7)突如現れたモンスター
(8)認め合う愛を体験したかったから
(9)「愛」という時間で時を過ごす