鞆の浦―「人間」であり続けるために守るべきもの
2009/10/03(Sat) Category : 見方・考え方・価値観-パラダイム
広島地裁は「鞆(とも)の浦の景観は、国民の財産というべき公益で、事業はこれを侵害する」と埋立て架橋道路工事の差し止めを命じた。
都市景観100選(1992)、美しい日本の歴史的風土100選(2007)にも選ばれ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関までが中止を勧告した道路事業の廃止。
『江戸時代の港湾施設である「常夜燈」「雁木」「波止場」「焚場」「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみ』【Wikipedia】だそうだ。消すのは簡単。そして永遠に失われてしまう。
しかし、景観保全を謳う日本初の司法判断で、「崖の上のポニョ」の舞台となった鞆の浦が保全される方向へと踏み出した。
宮城道雄が8才で失明する前に過ごした場所が鞆の浦。その鞆の浦の海をイメージして作曲したのが、あのお正月の定番『春の海』だそうだ。
映画や音楽など、人間の感受性と創造性を喚起した最高の舞台が残されるのである。つまり、これからも人に癒しと感動を与え、新たな芸術を生み出す舞台として、そこにあり続けるのである。こんなに嬉しいことはない。
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効率やスピードが上がることを人は便利といってありがたがる。
しかし、その効率やスピードが、本当は人に一体何をもたらすのかについて、もうそろそろ本気で考えてもいいと思う。
効率やスピードを親に求められ、がんばり屋のいい子で育った人々が一体どのような日々を送っているのかおわかりだろうか。
どのようにステップアップするか、キャリアアップするかという人生計画にせよ、どのような人と友人になり伴侶を選ぶかにせよ、どのように子どもを育てるかにせよ、どのように行楽に行きどのように回るかにせよ、どのように買い物に行きどのように選ぶかにせよ……まぁ大きなことから微細なことまで人生のすべてに渡って“効率”がついて回るため、今がいいのか後がいいのかというタイミング比較、あれがいいのかこれがいいのか優劣比較……およそありとあらゆる情報を頭にインプットして頭を常時フル回転させ、挙げ句何も決められなかったりする―そういう人生を送っている。
実に大変だ。
ほんとにほんとにほんとにほんとに、ご苦労さん♪
(という歌があったよね)
そして、とても哀しい。
その人々は、「自分」を、「今」を、生きていないからだ。
常に効率を求めるIPが、自分の中から自分を見張っている。
その看守IPに、自分の行動が効率的であることを説明するために、何をするにせよ、何をしないにせよ、常に思考がフル回転で自分の行動の説明を続けている。永遠に、終わりなく……
自分が自分の行動を決めるだけのことなのに…
その説明は一体誰のために?
よく考えると、意味ないでしょ?
でも懸命に説明し続ける。
看守IPに認めてもらうために。
元は、親に愛されんがためにそのような癖を身につけてしまったのだが、今や自分が自分を縛り付けてしまっている。結局IPの指示で動き、自分の気持ちで動くことは出来ない。
つまりは、自分でありながら自分の人生を生きることができないのだ。
このような生き地獄があろうか…。
しかも、この生き地獄から逃れるためにカウンセリングにたどり着いたとしても、効率を考えて課題を求め、自律というゴールへ向かって最短距離で走ろうとする。それでは自律から遠ざかるばかりというのに…。
これが、「効率」を求める人生の姿である。
悔しい。哀しい。
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よ~く考えてみよう。
人生は旅。
旅はプロセス。
生きることは、プロセスである。
そのプロセスの中で最も大切なことは、魂の成長だ。
そのために発達課題をクリアしていくことが大事だ。
その課題をクリアするために必要なことは、気持ちと向き合うことだ。
気持ちと向き合うには、一人のゆったりした時間が必要だ。
効率とは対極にある世界である。
しかし、人間を効率を求める道具にする現代社会は、邪魔な発達課題を社会から取り去って人を成長させなくした。「ビジネスに感情を持ち込むな」と社会から感情をはじき出した。そして優秀な道具となることが現世的成功への道と思いこませ、そこに「効率」が生まれた。
だから、効率を目指せば目指すほどすみやかに道具に近づいていく。
が、文明に毒された親は、せっかくの無垢な魂を、幼児期から尻をひっぱたいて鋳型にはめ込み、闇に落としていく…。
効率が、人に何をもたらしている?
よ~く考えてみよう。
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道路の建設を却下し、鞆の浦の景観を守ったということは、
「効率」を却下し、「感受性」と「創造性」を守ったということである。
「人間」であり続けるために何より大切なものを守ったということである。
ま、ゆっくり生きましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=eObox_uO0yk
【春の海】
自分の感受性くらい」―茨木のり子さんのメッセージ
都市景観100選(1992)、美しい日本の歴史的風土100選(2007)にも選ばれ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関までが中止を勧告した道路事業の廃止。
『江戸時代の港湾施設である「常夜燈」「雁木」「波止場」「焚場」「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみ』【Wikipedia】だそうだ。消すのは簡単。そして永遠に失われてしまう。
しかし、景観保全を謳う日本初の司法判断で、「崖の上のポニョ」の舞台となった鞆の浦が保全される方向へと踏み出した。
宮城道雄が8才で失明する前に過ごした場所が鞆の浦。その鞆の浦の海をイメージして作曲したのが、あのお正月の定番『春の海』だそうだ。
映画や音楽など、人間の感受性と創造性を喚起した最高の舞台が残されるのである。つまり、これからも人に癒しと感動を与え、新たな芸術を生み出す舞台として、そこにあり続けるのである。こんなに嬉しいことはない。
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効率やスピードが上がることを人は便利といってありがたがる。
しかし、その効率やスピードが、本当は人に一体何をもたらすのかについて、もうそろそろ本気で考えてもいいと思う。
効率やスピードを親に求められ、がんばり屋のいい子で育った人々が一体どのような日々を送っているのかおわかりだろうか。
どのようにステップアップするか、キャリアアップするかという人生計画にせよ、どのような人と友人になり伴侶を選ぶかにせよ、どのように子どもを育てるかにせよ、どのように行楽に行きどのように回るかにせよ、どのように買い物に行きどのように選ぶかにせよ……まぁ大きなことから微細なことまで人生のすべてに渡って“効率”がついて回るため、今がいいのか後がいいのかというタイミング比較、あれがいいのかこれがいいのか優劣比較……およそありとあらゆる情報を頭にインプットして頭を常時フル回転させ、挙げ句何も決められなかったりする―そういう人生を送っている。
実に大変だ。
ほんとにほんとにほんとにほんとに、ご苦労さん♪
(という歌があったよね)
そして、とても哀しい。
その人々は、「自分」を、「今」を、生きていないからだ。
常に効率を求めるIPが、自分の中から自分を見張っている。
その看守IPに、自分の行動が効率的であることを説明するために、何をするにせよ、何をしないにせよ、常に思考がフル回転で自分の行動の説明を続けている。永遠に、終わりなく……
自分が自分の行動を決めるだけのことなのに…
その説明は一体誰のために?
よく考えると、意味ないでしょ?
でも懸命に説明し続ける。
看守IPに認めてもらうために。
元は、親に愛されんがためにそのような癖を身につけてしまったのだが、今や自分が自分を縛り付けてしまっている。結局IPの指示で動き、自分の気持ちで動くことは出来ない。
つまりは、自分でありながら自分の人生を生きることができないのだ。
このような生き地獄があろうか…。
しかも、この生き地獄から逃れるためにカウンセリングにたどり着いたとしても、効率を考えて課題を求め、自律というゴールへ向かって最短距離で走ろうとする。それでは自律から遠ざかるばかりというのに…。
これが、「効率」を求める人生の姿である。
悔しい。哀しい。
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よ~く考えてみよう。
人生は旅。
旅はプロセス。
生きることは、プロセスである。
そのプロセスの中で最も大切なことは、魂の成長だ。
そのために発達課題をクリアしていくことが大事だ。
その課題をクリアするために必要なことは、気持ちと向き合うことだ。
気持ちと向き合うには、一人のゆったりした時間が必要だ。
効率とは対極にある世界である。
しかし、人間を効率を求める道具にする現代社会は、邪魔な発達課題を社会から取り去って人を成長させなくした。「ビジネスに感情を持ち込むな」と社会から感情をはじき出した。そして優秀な道具となることが現世的成功への道と思いこませ、そこに「効率」が生まれた。
だから、効率を目指せば目指すほどすみやかに道具に近づいていく。
が、文明に毒された親は、せっかくの無垢な魂を、幼児期から尻をひっぱたいて鋳型にはめ込み、闇に落としていく…。
効率が、人に何をもたらしている?
よ~く考えてみよう。
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道路の建設を却下し、鞆の浦の景観を守ったということは、
「効率」を却下し、「感受性」と「創造性」を守ったということである。
「人間」であり続けるために何より大切なものを守ったということである。
ま、ゆっくり生きましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=eObox_uO0yk
【春の海】
自分の感受性くらい」―茨木のり子さんのメッセージ