「普通」って、何?
私の相談者の方にも、「普通」に悩まれている人がたくさんおられる。
「学校に行くのが普通だろう」
「そんな夫、普通にいるわよ」
「それくらいのこと我慢するのが普通よ」
「普通は、そんなことで文句を言わないもんだ」
「そんなことできないなんて普通じゃないよ」
「ここ笑うところだよ、普通」
「普通にしろ!」…?
……
いろんな感情が「普通」という一言で却下され、
いろんな表現が「普通」という一言でコントロールされる。
その背景にあるのは、あたかも“みんながそうしている”ということを臭わせた脅迫―あぁ、胡散臭い!
当たり前のことが出来ないという劣等感の植え付け―あぁ、うざってぇ!
そして、「普通」と対置される「異常」という言葉。「異常」というレッテルを貼られて孤独になりたくない強迫観念から、「普通」という言葉に負けてしまう―あぁ、窮屈!
「普通」って、なんなんだろうね?
以下、電話で話した相談者の方へのお話しから。
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中に空気が入ったまん丸なゴムボールがあるとする。
それを上から親指で押さえると、いびつな形になってパンパンに横に膨らむ。
このとき、親指で押さえている力がプレッシャー。
ひしゃげてパンパンに圧迫されているゴムボールをストレスがかかった状態という。
ゴムボールは、このストレス状態から離脱したいので、
プレッシャーを跳ね返してタテに反発するか、ヨコに逃げるか。
押さえ込まれないように常に動き回って逃げるか、逃げられなければ、やがて皮が伸びきってくたびれてしおれていくか。
また、前後左右密着状態でヨコに逃げ場がなければ、その圧迫されて広がったゴムボール自体が、今度は隣接しているゴムボールへのプレッシャーとなる。
ここで、ストレスがかかったゴムボールをゴムボールSとしよう。
また、ゴムボールの世界では親指が見えないとしよう。
すると、隣接するゴムボールは、ゴムボールSが自分たちを圧迫してくるようにしか見えないので、ゴムボールSを「何一人でパンパンになってんの!」と迷惑に思ったり、「押しつけてくんな!」と怒ったりする。
ところが、ゴムボールS自身にも親指は見えないので、理性を働かせてもなぜ自分がそうなのかがわからず、ただただ苦しいだけ。残るのは、破裂してラクになりたい思い。
さて、そのプレッシャーをかけられたボールがあちらにもこちらにも。
しまいには、ほぼすべてのボールが上から抑えられている。
すると、みんな苦しくて余裕なくピリピリ。
少しでも相手を凹ませて自分のテリトリーを確保しようとしたり、
パワーを利用して自分の居場所を確保しようとしたり、
「みんな我慢してるんだから」と我慢を押しつけあったり…
エゴ派のボールも良識派のボールも、見えない指のプレッシャーの下でいがみ合っている。
この窮屈から脱出するためには、上に跳ね上がるしかない、と思うところへ、こうすれば上に行けるよ、と社会がエスカレーターを用意する。金を出せば早く上に行けるよ、とエスカレーターのスピードも違う。
すると、とにもかくにもそのどれかのエスカレーターに乗ってしまおうと、押し合いへし合い、闇雲にエスカレーターに殺到する。親ボールは、子ボールをそのエスカレーターに乗せることが使命と、さらに子ボールにプレッシャーをかける。エスカレーターの形状も違うので、それに合わせて早くから子ボールを鋳型成形する必要もある。だから、子ボールはますます苦しくなる。
で?
エスカレーターで上がっては見ても、相変わらず苦しいまま。
なぜ? だって、見えない親指からのプレッシャーはかかったままだから。
そして、プレッシャーから逃れるための模索が終生続いていく……
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多くの人に当てはまる状態をよく「普通」と言うが、たとえ多くの人に当てはまっていても、これは「ノーマルじゃない」よね。
社会通念がどんどん変化しているように、社会システムが変われば、「え、ちょんまげなんて変な時代だったんだね」ということにもなる。
では、どういうのがノーマル?
想像してみよう―
大小様々な大きさのゴムボールが、たくさん転がっている。
色も模様もバラエティに富み、一つとして同じものはない。
どのボールにもプレッシャーはなくまん丸。
その世界に、「普通」なんてない。
あるのは、それぞれのボールの「個性」だけ。
そして、それらのボールは自由に離合集散をしている。
それぞれの個性が響き合い、互いを活かす喜びのハーモニー。
このような社会になるためになすべきことは、ただ一つだけ。
見えない親指に気づくこと。
そして、その親指をおろすこと。
それだけで、あなたはまん丸の玉(魂)に戻ることができる。
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さて、これからは“普通”を逆手にとって、次のような言葉を一般化していこう。
「疲れたら休むのが普通だよ」
「風邪をひいたら、学校や会社を休むのが普通だよ。周りの人にも迷惑になることなんだよ」
「無理してやるのは普通じゃないよ。相手も嬉しくないよ」
「気分が乗らなければ断るのが普通だよ」
「思ったことを口にするのが普通だよ。気持ちを言うことはわがままでも何でもない、当たり前のことなんだよ。それこそが、相手に対する正しいフィードバックになるんだよ。でも言うか言わないかは、自分で決めていいんだよ」
まぁ、まだまだ一杯出てくるでしょうが…これだけ心においといてね。
「ほんとは、“普通”なんてないんだよ。あるのは個性と、変化し成長していく柔軟な心だけさ」
・子育て心理学:第1部 2)親を取り巻く環境の3つの変化
・20代の心の病~戦争後遺症という視点
・社会が家族を追いつめている(不登校編)
・子どもを追いつめる親の「常識」
・6-5)殴られ続けることが母親への絶望を回避すること(個々人が従う“常識”の正体)