男泣きした「THIS IS IT」!!!!
世界各地からマイケルと踊るために集合したバックダンサー達。
「人生って辛いでしょ」
「何か意味を見出したくて」
「それがこれだ(This is it)」
映像から伝わる彼らの思いがダイレクトにどんと入ってしまった。
その後しばらくは、マイケルではなく、ふとバックダンサー達に目をやるたびに涙がこみ上げた。
中盤、リハのシーン。
「I love you」
「Thank you」
の言葉がたくさん出てくる。
おぉ、愛と配慮に満ちあふれている!
相手の個性を深く引き出そうとし、自分の脳内イメージの完全表現を目指すも、そこに至る過程は厳しさではなく愛にあふれている。
愛を伝えるには、その過程そのものが愛にあふれていなければならない。目的達成のためには、その手段が目的に応じたものでなければ達成できないことは私も経験からわかっている。なぜなら、プロセスそのものが結果だからだ。
平和を目指すのに武器が必要だとか、人を活かすために環境破壊が必要だとか―そのような嘘が、この愛あふれる空間の前では吹き飛んでしまう。
その空間は、指の先まで精妙な波動が流れているようだった。
武器のようながさつなものは存在し得ないような空間だった。
なるほど、そうか。
このような波動が流れているなら、武器は不要だ―そう、実感した。
精神と感性と肉体がここまでも一致するものなのか。
世界中から集まったどのバックダンサーよりも切れのある踊り。
それでいて、暖かい空間。
私は、またも感動していた…。
そして終盤。
「地球は病んでいる」
「愛の大切さを取り戻そう」
「4年後までに環境破壊を食い止めよう」
「時間がない」
「みんな“誰か”を待っているが、誰かとは私たち自身」
「まず、僕から始めよう」
―あぁ、彼は本気だ。
私は、エンディングの間中、涙をぬぐっていた。
明かりが灯り、最後に妻と二人で席を立った。
観客全員が去った後の通路。
入れ替え制のために、私たち二人だけ取り残された異空間のような通路で、不意に涙があふれた(自分でも予想外)。
妻が振り向いた時、こらえようがなく嗚咽まで出てしまった。
身動き取れず、しばらく立ちつくしてハンカチを両目に当てて泣いた。
ようやく涙をぬぐい、トイレに。
顔を何度も洗うが、目が充血してうるんでいて遠目にも赤い。
また、何度も洗う。
すぐには外に出られそうにもなく、ロビーの窓際のカウンター席に二人で座って、夜の町を見下ろしていた。
すると、隣で「あいくるしい」を見て感動したという妻が「ベンのテーマ」を口ずさむ。再び涙が出てきた―かなりの激震であったようだ。余震がまだ続いている。
気持ちを治めようとしているのに、あふれる。
妻は二人で余韻を味わうつもりだったようだが、私には意地悪されているとしか思えなかった。
「そんなにマイケル好きだったっけ?」
いや、そんなに知らなかった。
今日の映画だって、「マイケルは見ておくべき」という妻が2週間限定のこのチケットを用意したのだ。妻は、「パパだったら絶対感動する」と思っていたそうだが、まさかここまでとは思わなかったようだ。それは、私だってそうだ。
虚を突かれてしまった。
無防備な心に、ストレートにぐっさりときた。
歩いていても琴線がふるえていた。
妻へ、ありがとう。
そして、I love you Michael.
【追記】
一夜明けて、なぜあんなにも琴線を揺さぶられたのかわかった気がした。
冒頭に出てきた若者達、彼らは私だったのかもしれない。
価値の転倒した現代、「自分一人」という苦しみを抱えている人は多い。
「武器なき平和?」
「地球を救う?」
笑う人も多いかも知れない。
しかし、マイケルはその目標に向けて全霊を込めていた。
ひたむきに全身で歌い、踊るその姿。かける言葉―そのすべてで「愛」を表現していた。
あぁ、ここにも本気の人間がいる―そのことに、私は救われたのだ。
虚飾にまみれたマイケルジャクソン。
しかし、紛れもなく彼は自律モデルだった。
マイケルジャクソンは、私の頭の中で舞っている。
勇気を、ありがとう。
*「ベンのテーマ」がある記事↓
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