プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
08 ≪│2023/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

子育て心理学:第1部 2)親を取り巻く環境の3つの変化

2009/11/13(Fri) Category : 心理学
子育て心理学:第1部-自分と家族の問題を見る視点】

■2)親を取り巻く環境の3つの変化

完全な人間はいませんよね(←いたらつまんないですね ^^)。
ですから、完全な親もいません(完全でなくていいんです。親も愛嬌やかわいげがなきゃ~ネ。だって「人間だもの」…)。

昔も今も前項のような親はいたでしょう。ただ、親を取り巻く環境が大きく変わってしまいました。その環境の変化からは、まことに残念ながら、誰も逃れることができないのです。
その変化とは、「家庭の密室化」と「働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)」、そして「常識の変化」です。


1,家庭の密室化-------------------------------------

私が育った昭和30年~40年代は、家庭が地域に溶け込んでいました。自分の親以外にも親がいましたし、自分の兄弟以外にも兄弟がいました。子どもは多様な価値観の中に置かれていました。ですから、自分の親もちょっと離れたところから見ることができていたように思います。

しかし、家庭が密室化した現代、子どもは自分の親を他の親や大人と比較して見ることができなくなってしまいました。そのため、好むと好まざるとに関わらず、子どもに対する親の影響力は絶対的なものになってしまったのです。その結果、親がハンドルを少しでも切り間違えれば、家族もろとも激突してしまう状況に置かれることになってしまいました。

親がおかしい!(2)-零時過ぎの女の子





2,働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)--------------------

今や、「何のために働くのか?」-そういう問いについて考えるヒマもないほどに大人は働かされています。ただ闇雲にスピードと成果が求められ、親自身の気持ちの余裕が無くなっています。親の心に「ハンドルの遊び」が無くなってしまっているのです。余裕がないどころかピリピリしています。

高ストレス社会といわれる現代の、その持って行き場のない気持ちを吐き出す場が家庭になってしまっているのです。現代の家族は、狭い車道で常に追われる思いでスピードを出し、ちょっと切り間違えるとアッという間に激突するハンドルの遊びのない車のようなものかもしれません。

ワークライフバランス(1)-追いつめられた「life」





3,常識の変化----------------------------------------

子どもを育てるとは、結局その時代のその社会に応じた生き方を身につけさせるということです。たとえば、ハワイで生き方を身につけた人がシベリアで生活するのは大変でしょう。シベリアで生きていくためには、その気候、環境、社会の仕組みに応じた生活の仕方を身につけていかなければなりません。

ところが、人の社会が自然から隔絶されて人工的になり、かつ「共生」から「競争」へと価値が転換していくにつれ、「社会の常識」自体がおかしくなる地域も出てきました。社会の常識が無批判に家庭の中にまで侵入しないように、親が防波堤となって家庭を守らなければならない-そういうおかしな時代に既に入っているのです。

社会が家族を追いつめている(不登校編)







このような3つの変化の中で、「親はなくとも子は育つ」などと、のほほんとしていられなくなりました。「親はなくとも子は育つ」と言えたのは、身近な自然や地域社会、子ども社会が人を人として育てることができたため、それだけ親の役割が相対的に小さかったことを示す言葉です。
人が「面」(3次元)で生きていた時代から、「点」と「点」の間を移動する(2次元的)生活に退化してしまっている現代では、社会が子どもを育てることが出来ません。

「仮面の家」の裁判員できますか? 第8部-4、消えゆく「社会」を再生させよう




親の子に対する影響力が相対的であった時代に比べると、今や親の影響力は「絶対的」になっています。これは現代文明が効率を求める余り「多様性」を排除した“結果”です。今の文明は人類の首を自ら絞めていることがわかると思います。いずれにせよ、子どもを育てる前に、先ず親自身が自分と向き合う必要性が大きくなってきたのです。



関連記事
 
Comment1  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

家庭を、親子間の幸福追求権の衝突を公共の福祉で調整する場とするのが、国民の福利と考える憲法解釈なんですもん。

元々、女奴隷に産ませた自分の子を奴隷として使役して奴隷市場で売買して、幸福を追求していた、奴隷農場主達が主張した基本的人権の尊重を国民の福利と考えればそうなります。

自分の子を奴隷にして使役し売買するのは公共の福祉に反するから禁止だが、
法に反せず、公共の福祉に反しない範囲で子供を支配し不幸にすることによって、親は自分の幸福を追求して良いとする、
今の13条解釈は、国民の福利を損なっているでしょ。


日本国憲法
第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
検索フォーム
 
 
著作
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
会場でお会いしましょう(^^)
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
QRコード
 
QRコード