子育て心理学:第1部 2)親を取り巻く環境の3つの変化
2009/11/13(Fri) Category : 心理学
【子育て心理学:第1部-自分と家族の問題を見る視点】
■2)親を取り巻く環境の3つの変化
完全な人間はいませんよね(←いたらつまんないですね ^^)。
ですから、完全な親もいません(完全でなくていいんです。親も愛嬌やかわいげがなきゃ~ネ。だって「人間だもの」…)。
昔も今も前項のような親はいたでしょう。ただ、親を取り巻く環境が大きく変わってしまいました。その環境の変化からは、まことに残念ながら、誰も逃れることができないのです。
その変化とは、「家庭の密室化」と「働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)」、そして「常識の変化」です。
1,家庭の密室化-------------------------------------
私が育った昭和30年~40年代は、家庭が地域に溶け込んでいました。自分の親以外にも親がいましたし、自分の兄弟以外にも兄弟がいました。子どもは多様な価値観の中に置かれていました。ですから、自分の親もちょっと離れたところから見ることができていたように思います。
しかし、家庭が密室化した現代、子どもは自分の親を他の親や大人と比較して見ることができなくなってしまいました。そのため、好むと好まざるとに関わらず、子どもに対する親の影響力は絶対的なものになってしまったのです。その結果、親がハンドルを少しでも切り間違えれば、家族もろとも激突してしまう状況に置かれることになってしまいました。
「親がおかしい!(2)-零時過ぎの女の子」
2,働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)--------------------
今や、「何のために働くのか?」-そういう問いについて考えるヒマもないほどに大人は働かされています。ただ闇雲にスピードと成果が求められ、親自身の気持ちの余裕が無くなっています。親の心に「ハンドルの遊び」が無くなってしまっているのです。余裕がないどころかピリピリしています。
高ストレス社会といわれる現代の、その持って行き場のない気持ちを吐き出す場が家庭になってしまっているのです。現代の家族は、狭い車道で常に追われる思いでスピードを出し、ちょっと切り間違えるとアッという間に激突するハンドルの遊びのない車のようなものかもしれません。
「ワークライフバランス(1)-追いつめられた「life」」
3,常識の変化----------------------------------------
子どもを育てるとは、結局その時代のその社会に応じた生き方を身につけさせるということです。たとえば、ハワイで生き方を身につけた人がシベリアで生活するのは大変でしょう。シベリアで生きていくためには、その気候、環境、社会の仕組みに応じた生活の仕方を身につけていかなければなりません。
ところが、人の社会が自然から隔絶されて人工的になり、かつ「共生」から「競争」へと価値が転換していくにつれ、「社会の常識」自体がおかしくなる地域も出てきました。社会の常識が無批判に家庭の中にまで侵入しないように、親が防波堤となって家庭を守らなければならない-そういうおかしな時代に既に入っているのです。
「社会が家族を追いつめている(不登校編)」
このような3つの変化の中で、「親はなくとも子は育つ」などと、のほほんとしていられなくなりました。「親はなくとも子は育つ」と言えたのは、身近な自然や地域社会、子ども社会が人を人として育てることができたため、それだけ親の役割が相対的に小さかったことを示す言葉です。
人が「面」(3次元)で生きていた時代から、「点」と「点」の間を移動する(2次元的)生活に退化してしまっている現代では、社会が子どもを育てることが出来ません。
「仮面の家」の裁判員できますか? 第8部-4、消えゆく「社会」を再生させよう
親の子に対する影響力が相対的であった時代に比べると、今や親の影響力は「絶対的」になっています。これは現代文明が効率を求める余り「多様性」を排除した“結果”です。今の文明は人類の首を自ら絞めていることがわかると思います。いずれにせよ、子どもを育てる前に、先ず親自身が自分と向き合う必要性が大きくなってきたのです。
■2)親を取り巻く環境の3つの変化
完全な人間はいませんよね(←いたらつまんないですね ^^)。
ですから、完全な親もいません(完全でなくていいんです。親も愛嬌やかわいげがなきゃ~ネ。だって「人間だもの」…)。
昔も今も前項のような親はいたでしょう。ただ、親を取り巻く環境が大きく変わってしまいました。その環境の変化からは、まことに残念ながら、誰も逃れることができないのです。
その変化とは、「家庭の密室化」と「働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)」、そして「常識の変化」です。
1,家庭の密室化-------------------------------------
私が育った昭和30年~40年代は、家庭が地域に溶け込んでいました。自分の親以外にも親がいましたし、自分の兄弟以外にも兄弟がいました。子どもは多様な価値観の中に置かれていました。ですから、自分の親もちょっと離れたところから見ることができていたように思います。
しかし、家庭が密室化した現代、子どもは自分の親を他の親や大人と比較して見ることができなくなってしまいました。そのため、好むと好まざるとに関わらず、子どもに対する親の影響力は絶対的なものになってしまったのです。その結果、親がハンドルを少しでも切り間違えれば、家族もろとも激突してしまう状況に置かれることになってしまいました。
「親がおかしい!(2)-零時過ぎの女の子」
2,働きすぎ(ワークライフ・アンバランス)--------------------
今や、「何のために働くのか?」-そういう問いについて考えるヒマもないほどに大人は働かされています。ただ闇雲にスピードと成果が求められ、親自身の気持ちの余裕が無くなっています。親の心に「ハンドルの遊び」が無くなってしまっているのです。余裕がないどころかピリピリしています。
高ストレス社会といわれる現代の、その持って行き場のない気持ちを吐き出す場が家庭になってしまっているのです。現代の家族は、狭い車道で常に追われる思いでスピードを出し、ちょっと切り間違えるとアッという間に激突するハンドルの遊びのない車のようなものかもしれません。
「ワークライフバランス(1)-追いつめられた「life」」
3,常識の変化----------------------------------------
子どもを育てるとは、結局その時代のその社会に応じた生き方を身につけさせるということです。たとえば、ハワイで生き方を身につけた人がシベリアで生活するのは大変でしょう。シベリアで生きていくためには、その気候、環境、社会の仕組みに応じた生活の仕方を身につけていかなければなりません。
ところが、人の社会が自然から隔絶されて人工的になり、かつ「共生」から「競争」へと価値が転換していくにつれ、「社会の常識」自体がおかしくなる地域も出てきました。社会の常識が無批判に家庭の中にまで侵入しないように、親が防波堤となって家庭を守らなければならない-そういうおかしな時代に既に入っているのです。
「社会が家族を追いつめている(不登校編)」
このような3つの変化の中で、「親はなくとも子は育つ」などと、のほほんとしていられなくなりました。「親はなくとも子は育つ」と言えたのは、身近な自然や地域社会、子ども社会が人を人として育てることができたため、それだけ親の役割が相対的に小さかったことを示す言葉です。
人が「面」(3次元)で生きていた時代から、「点」と「点」の間を移動する(2次元的)生活に退化してしまっている現代では、社会が子どもを育てることが出来ません。
「仮面の家」の裁判員できますか? 第8部-4、消えゆく「社会」を再生させよう
親の子に対する影響力が相対的であった時代に比べると、今や親の影響力は「絶対的」になっています。これは現代文明が効率を求める余り「多様性」を排除した“結果”です。今の文明は人類の首を自ら絞めていることがわかると思います。いずれにせよ、子どもを育てる前に、先ず親自身が自分と向き合う必要性が大きくなってきたのです。