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子育て心理学:第3部 3)家庭(安全基地)は「癒しと回復」の場

2009/12/03(Thu) Category : 心理学
子育て心理学
第3部-家庭という「場の機能」(家族機能編)

■3)家庭(安全基地)は「癒しと回復」の場

では安全基地とは一体どういうものでしょうか。前節の公園における親の役割を例に見てみましょう。さぁ、ちょっとイメージしてみましょう。

家族で広い公園にやってきました。先ずすることは、どこに座るのかという拠点探しですね。そして、木の下など適当なところにシートを敷いて、よっこらしょと荷物を置いて、さぁ拠点のできあがりです。すると、2人の子供たちは早速トリムに向かって走っていきます。

しばらくすると、上の子どもが土埃にまみれて帰ってきました。よく見ると、膝小僧を擦りむいているようです。「あれあれ…」と言いつつ、親は子どもを水道のところに連れて行って膝を水で洗い、そして手当てします。一休みすると、子どもはまた遊びに行きました。

しばらくすると、下の子どもが泣きながら帰ってきました。「どうしたの?」-聞くと、どうやら兄弟げんかしたようです。親は「そうかそうか」と話を聴いてやり、抱きしめて背中をとんとん軽く叩き、さすってあげました。一休みすると、子どもはまた遊びに行きました。

お昼のチャイムとともに2人は一緒に走って帰ってきました。お腹をすかせているようです。おにぎりをほおばり、冷たいお茶を飲んで、食べながら、何をやって遊んでいたかひとしきり話すとゴロンと横になりました。そうして一休みすると、子どもたちはまた遊びに行きました。



-----------------------------------------------------
いかがでしたか。どこにでもある光景です。そして、このシーンの中で「安全基地」の機能が存分に発揮されています。それは何でしょう。

はい。ちょっとピックアップ。
①転んで擦りむいたときは、帰ってきて手当をしてもらいます。
②ケンカして泣いたときは、帰ってきて話を聞いてもらいます。
③お腹が空いて疲れたときは、食べてゴロンと横になってだらけます。

親がしていることは何でしょう。
①手当
②話を聞く
③食事を与えて休ませる


これをストロークという概念で見てみましょう。
ストローク(stroke)とは、『その人の存在を認める働きかけ』のことを言います(「なでる、さする」というのが原義です)。

stroke1


親がしているのは次のことですね。
①肯定の身体的ストローク(タッチストローク)を与える
(なでる、さする、抱きしめる、おぶる、手当、指圧)
②肯定の心理的ストローク(ノンタッチストローク)を与える
 (聴く、うなずく、目を見る、微笑む、褒める、信頼する)
③温かな無関心で、ありのままの姿を受け止める

それを受けた子どもは次のようになります。

①身体的に癒される
②心理的に癒される
③自分に戻って回復できる

①②は「癒し」の機能。③は「回復」の機能ですね。
そう、「安全基地」とは「癒しと回復の場」なのです。

心身が傷ついたときに安心して傷を癒すことができ、ありのままの自分に戻って回復できるからこそ、再び外に打って出ることができるわけですね。

もし、そういう安全基地がなければ傷を負うことが怖くて外には出られません。ですから人は何をするに当たっても、自分が休んで回復できる安全基地探しを真っ先に行うわけです。前部でBちゃんが『自分の居場所を探し続けることになります』と言ったのは、こういうことなのです。


ところで、上記では癒しと回復を細かく分けましたが、すべての肯定的ストロークは、その人のあるがままを認め受け止めることですから、そのストロークをもらうだけで傷は癒され、回復していくのです。つまり、肯定的ストロークを与えると言うこと自体が癒しと回復に直結するのです。



-----------------------------------------------------
しかし、家族カウンセリングをしていると、日本の家族から、何よりも大事な「癒しと回復」(Be)の家族機能が失われていることが分かります。この2つに変わってのさばっているのが、「しつけと教育」(Do)です。

あなたの家庭では、なでたりさすったり、抱きしめたりおぶったり、子どもの目を見て話を聴いたり、褒めたりほほえんだりしていますか。そして、時に子どもがグータラしていていますか。

それとも、
泣くなと言い、たいしたことないと話を聞かず、グータラしているように見えると、つい追い立てていませんか。そして、しつけや勉強のことが頭にあって、あれやこれやの押しつけが先になっていませんか。

間違えてはいけません。

人が力強く外に出て行くことができるのは、家が「癒しと回復の場」であるからこそなのです。どんなに傷ついても、家に帰れば心も体も復活できる「フェニックスの巣」―そういう安心があるから、外で傷つくことを恐れないですむのです。落ち着いた積極的な子どもになるでしょう。

もし、親が子どもに押しつけをし、外以上に家の中が気を遣う場で子どもの気持ちを受け止める場でなければ、子どもは家で復活することができません。家で復活できないのであれば外で傷つくのを恐れるようになり、消極的になっていきます。

さらに、家の中で自分を守らなければならない状況にあれば、家の中でエネルギーを浪費して外に費やす余力がなくなるため、引きこもったりすることになります。


再び言います。決して間違えてはいけません。
家が厳しくて鍛えられたから外に力強く出て行けるわけではないのです。逆に、そのような家庭では心身の病が多発しています。あるいは、体制迎合的なファッショ体質、その逆の反社会性体質を生み出していく、とても怖いことなのです。

身近な自然と社会が子どもを鍛えてくれます。
家の役割は、「フェニックスの巣」(癒しと回復の場)なのです。

温かい家庭を作りましょう!






★ストローク
★身体的ストローク(タッチストローク)
★心理的ストローク(ノンタッチストローク)
★癒しと回復


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優しいお母さんになりたい

仕事で家に居る時間の少なかった両親に変わって、
私の「安全基地」は祖父母でした。
祖父と母の対立によってその安全基地から
無理矢理引き離された時から私の心はもろくなり、
不登校や引きこもり、社会不安に陥りました。
18歳で逃げる様に家を出て以来両親とは疎遠です。

今は夫という新しい安全基地のそばで、ゆっくり
自分の人生を取り戻しつつあります。
来年、子供が産まれる事になり
どういう親であるべきかについて悩む事が多くなりました。
どうしつければいいか、どう叱れば良いか、そればかりに
目がいきがちだった事に気付きました。

夫が私にそうしてくれたように、
私も子供のありのままを受け入れ、見守り、
笑顔で抱きしめてやれる母になりたいと思います。
このサイトに出会えて本当によかった。

 

腑に落ちました

子どもの頃、特に思春期以降は、
「家は危険」
「外の方がずっと安全」
と認識し、出かけてばかりいました。

家で傷ついても、外で楽しめば回復していました。
子どもの頃の私は、がんばっていたんだな、と思います。

時間をかけて、ゆっくりICを癒したいと思いました。

 

ウノゴンさま

息子が生れて10年、結婚してから数えると、もう18年もこんなことをやってたのだと、気がつくことができました。
「実現しよう」という決意の気持ちで書いたのですが、受け止めていただけてうれしかったです。
ありがとう。

 

silverringさま

何だかとてもやりきれないですね。
凄く胸が痛みました。

 

息子を引っこ抜いて走り去ることにした

茶の間のPCの前に陣取っている。
画面はネットゲーム。手には漫画の本。視線はテレビに向いている。
息子に「宿題しよう」と言う。
何かに夢中になっている息子の集中が切れて、自分のほうを向くまで静かに言い続ける。
決して声は荒げない。
根負けして、息子が宿題に手をつける。
途中で隣の部屋へゆき、布団にもぐりこむ。
でも、帰ってきて続きをやる。
家の中どこへ逃げても、柱を背にPC・漫画・テレビという眷属を従えた閻魔のような夫の姿は、網膜から消えないだろう。
壁に貼ってある視力検査表の前に立って眼筋ストレッチを始めると、すかさず手にペンをもち支持する「これは、どっち?」「これは?」
これでは、自分に集中できない。
7時から始まった「宿題攻撃」は、3時間も続いた。
プリント2枚。
ようやくのことそれが終わったら、音読だ。
息子の声はぐざぐざ、口調もグダグダで何を言っているのかさっぱり聞き取れない。
こんな状態の中、がんばって音読を終えた息子にねぎらいもなく、次は「歯を磨け」とくる。
見ているこちらがやりきれない。
朝は朝で、水筒を探す息子に「玄関に置いておいた」。水も入れ替えてあるのだという。
今朝は、「傘を持ってゆけ」と言う。
そう言いながら、テレビのチャンネルを声もかけずに変えて天気予報を見せる。
見ている私には、一言もない。
天気なんか、戸をあけて空を眺めればわかる。
「テレビの言うことが正しいのだ」と、子供に教えてどうする。
たまらない・・・。
出勤するらしい夫。
低い声で「ババァ・・・」とつぶやくと、閃光のように私を見た。
数秒凝視した後、黙って出かけてゆく夫。
普段、私の言葉なんか、息がかかる距離でも聞こえないのに。
こういう聞こえ方をする。
それが、「ババァ」なんだと思う。

 
    
 
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