子育て心理学:第3部 4)登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」
2009/12/05(Sat) Category : 心理学
【子育て心理学】
第3部-家庭という「場の機能」(家族機能編)
■4)登校拒否の理由
「小1の子どもが朝学校に行きたがらなくて困っています。私にしがみついて離れようとしないんです」
というご相談をされたとします。あなたは、どのように対応されますか?
お母さんは、子どもが学校でいじめられているのではないかと疑っているようです。そう話をされるお母さんは緊張されていることがわかります。私は、お母さんのその緊張ぶりが気になりました。
お話を伺うと、「夫は仕事、妻は家庭」という明確な役割分担の中で、夫は家庭のことに見向きもしません。ご主人は毎晩寝に帰るだけでなく、休日も仕事三昧で、話し相手にもなっていないようです。この子を育てるのは自分しかいない。自分が熱を出したらどうしよう、病気にもなっていられない…マンションという閉塞状況の中で、お母さん自身が追いつめられていました。
さて、私という第三者でさえわかるほどの緊張状態です。まして、子どもは親の状況に敏感です。何しろこの世の拠点、自分の居場所、唯一の安全基地なのですから。
その安全基地自体が子どもから見ると不安なのです。心許ないのです。こうなるとその子にとっては学校など二の次です。学校なんかよりはるかに大事なのは安全基地。安全基地がいつ倒れるかもわからないのに、学校に行っているどころではありません。行っている間に倒れてしまったら…と、思うと、いつもいつも見守っていなければ、心配で心配でたまらないのです。
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つまり、この事例は次のようにまとめることができます。
<お母さんの観点>
「子どもが、しがみついて離れようとしないんです」
<子どもの観点>
「お母さんが不安定だから、傍にいないと心配でしょうがないんです」
子どもの心を言葉にしてみると面白いですね(^^)。
そして、こうしてみると、まるで正反対であることがわかりますね。
お母さんは子どもが学校に行かなくなったから心配しているのですが、子どもからすればお母さんが心配だから学校に行けなくなったのです。
ほんとに「子は親の鏡」ですね。
不安な子どもの姿に映っていたのは、不安な自分の心だったのです。
ですから、次のように言いましょう。
「子は親の心の鏡」
自分の姿(外見)を映し出す鏡がありますが、それと同じように
自分の心(内面)を映し出す鏡―それが、我が子です。
ですから、鏡(我が子)の行動を変えるのならば、自分の行動を変えなくてはならないのです。自分が不安であれば我が子は不安な行動をし、自分がピリピリしていれば我が子もピリピリします。自分が笑っていれば我が子も笑顔になり、自分が自由であれば我が子も自由なのです。
そのように、自分では分からない自分の心の姿を見せてくれる有り難い鏡―こんな魔法の鏡なんてありません―それが、我が子なのです。
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次のように書いてもいかもしれません。
(条件)「安全基地に不安がある場合」
(結果)「子どもは安全基地から離れようとしない」
自分自身が安全基地であるお母さんは、“条件文”をすっとばして「子どもが私(安全基地)から離れようとしないんです」と“結果”として起こる現象を言ってきます。
そして、“条件”を変えずに“結果”だけを変えようとするのです。そりゃ、無理ですよね。なぜなら、その“結果”は“条件”に応じて出てきたものだからです。つまり、“結果”を変えたいのであれば、“条件”が変わるしかないのです。
相談に来られるお母さん達は、このように「子どもが」と“子ども”を主語にして言ってこられます。この事例でも、自分の姿が見えないお母さんは、「子ども“が”離れようとしない」ことを問題視していました。しかし、上記で見たように「安全基地“が”不安だから」「子ども“は”離れようとしない」―つまり、“安全基地”が問題の主体なんですね。
お母さんは、自分自身が精神的に追いつめられていていることに気づかれました。子どもが学校に行きたがらないのではなく、自分が心配をかけさせていることが分かりました。そこに気づかれたお母さんは、その条件文の「不安」を「安心」に変えるように努力し、その結果、子どもの問題行動はなくなったのでした。
では、どのように変えたのでしょうか?
・しがみついて離れない子
第3部-家庭という「場の機能」(家族機能編)
■4)登校拒否の理由
「小1の子どもが朝学校に行きたがらなくて困っています。私にしがみついて離れようとしないんです」
というご相談をされたとします。あなたは、どのように対応されますか?
お母さんは、子どもが学校でいじめられているのではないかと疑っているようです。そう話をされるお母さんは緊張されていることがわかります。私は、お母さんのその緊張ぶりが気になりました。
お話を伺うと、「夫は仕事、妻は家庭」という明確な役割分担の中で、夫は家庭のことに見向きもしません。ご主人は毎晩寝に帰るだけでなく、休日も仕事三昧で、話し相手にもなっていないようです。この子を育てるのは自分しかいない。自分が熱を出したらどうしよう、病気にもなっていられない…マンションという閉塞状況の中で、お母さん自身が追いつめられていました。
さて、私という第三者でさえわかるほどの緊張状態です。まして、子どもは親の状況に敏感です。何しろこの世の拠点、自分の居場所、唯一の安全基地なのですから。
その安全基地自体が子どもから見ると不安なのです。心許ないのです。こうなるとその子にとっては学校など二の次です。学校なんかよりはるかに大事なのは安全基地。安全基地がいつ倒れるかもわからないのに、学校に行っているどころではありません。行っている間に倒れてしまったら…と、思うと、いつもいつも見守っていなければ、心配で心配でたまらないのです。
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つまり、この事例は次のようにまとめることができます。
<お母さんの観点>
「子どもが、しがみついて離れようとしないんです」
<子どもの観点>
「お母さんが不安定だから、傍にいないと心配でしょうがないんです」
子どもの心を言葉にしてみると面白いですね(^^)。
そして、こうしてみると、まるで正反対であることがわかりますね。
お母さんは子どもが学校に行かなくなったから心配しているのですが、子どもからすればお母さんが心配だから学校に行けなくなったのです。
ほんとに「子は親の鏡」ですね。
不安な子どもの姿に映っていたのは、不安な自分の心だったのです。
ですから、次のように言いましょう。
「子は親の心の鏡」
自分の姿(外見)を映し出す鏡がありますが、それと同じように
自分の心(内面)を映し出す鏡―それが、我が子です。
ですから、鏡(我が子)の行動を変えるのならば、自分の行動を変えなくてはならないのです。自分が不安であれば我が子は不安な行動をし、自分がピリピリしていれば我が子もピリピリします。自分が笑っていれば我が子も笑顔になり、自分が自由であれば我が子も自由なのです。
そのように、自分では分からない自分の心の姿を見せてくれる有り難い鏡―こんな魔法の鏡なんてありません―それが、我が子なのです。
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次のように書いてもいかもしれません。
(条件)「安全基地に不安がある場合」
(結果)「子どもは安全基地から離れようとしない」
自分自身が安全基地であるお母さんは、“条件文”をすっとばして「子どもが私(安全基地)から離れようとしないんです」と“結果”として起こる現象を言ってきます。
そして、“条件”を変えずに“結果”だけを変えようとするのです。そりゃ、無理ですよね。なぜなら、その“結果”は“条件”に応じて出てきたものだからです。つまり、“結果”を変えたいのであれば、“条件”が変わるしかないのです。
相談に来られるお母さん達は、このように「子どもが」と“子ども”を主語にして言ってこられます。この事例でも、自分の姿が見えないお母さんは、「子ども“が”離れようとしない」ことを問題視していました。しかし、上記で見たように「安全基地“が”不安だから」「子ども“は”離れようとしない」―つまり、“安全基地”が問題の主体なんですね。
お母さんは、自分自身が精神的に追いつめられていていることに気づかれました。子どもが学校に行きたがらないのではなく、自分が心配をかけさせていることが分かりました。そこに気づかれたお母さんは、その条件文の「不安」を「安心」に変えるように努力し、その結果、子どもの問題行動はなくなったのでした。
では、どのように変えたのでしょうか?
・しがみついて離れない子