プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
08 ≪│2023/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

自律とは、どういうことでしょうね

2009/12/21(Mon) Category : 自律(自由と責任)への道
自律とは、どういうことでしょうね。
私が思う自律のゴールはとてもシンプルです。

「自分が自分の気持ちで生きていること」

思いがあって意志となり、意志が現実を生んでいくのがこの現象界です。
つまり、根っこにあるのは思い(気持ち)。

気持ちこそが自分自身であり、肉体はその表現器官です。
私たちは五感五体を使って気持ちを表現し続けていく―それが人生です。

そして、どのようなときに気持ちが最も喜ぶでしょうか。
それは、人とつながったときです。

ですから、気持ちのままに生きることが社会の支障をなくしていくのです。
一人一人が個性全開に生きて高め合っていく共生社会になるでしょう。



-------------------------------------------------------
一見、脳天気な性善説のように思えるかもしれませんね。
でも、生きていること自体が素晴らしいことなんだと感じていますから、仮に善悪二元論で言えば性善説と言うことになるのでしょうね(存在に善も悪もないのですが…それに、そもそも人間の可能性を信じることができなければカウンセラーという職業は成り立ちません)。

私が今わが子に望むことは、ただ気持ちのままに存分に、せっかくの生を受けたこの人生を満喫してほしいということのみです。それ以外にありません。そして、それはすべての人に願っていることです。

なぜそう思うのか。それは、私がわが子を追い詰めた経験があるからです。悔いても自分のやってしまったことは戻せません。後は一緒に背負いつつ遠くから見守るしかないのです。心の大切さに気づいた人は、皆そうなっていくのだろうと思います。


しかも、心の大切さに気づけば、常に「これは誰の問題か」をふまえて行動できるようになります。なぜなら、人の問題に首をつっこむことは、その人の成長を妨げることになることが分かるからです。それこそが罪なのです。

また、たとえよかれと思ってやったことでも、相手が望んでもいないのに手を出せば、手を出した人がカルマを背負うことになってしまいます。自分のやった行為は自分に返ってきます。

そういう罪深さや怖さを知っているから、相手の気持ちは聴いても、相手の問題を引き受けることはしません。それが相手を大切にするということなのです。…このようなことが、相互に理解できている社会があれば、その社会には競争も武器も必要ないことが分かると思います。つまり、気づきさえすれば上記に書いたような共生社会も夢ではないと思うのです。



-------------------------------------------------------
しかし、気持ち(感情)を出させない仕組みが散りばめられています。
その仕組みの中で、心は人生脚本や存在不安やIPによってがんじがらめになり、抑圧された感情は「衝動」となってその人を突き動かします。その突き動かされた人生の中で子供が生まれ、子はいろいろな思いを持ちつつ、いつしかその連鎖に巻き込まれていくわけです。

感情は自分が受け止めさえすれば落ち着くので、衝動にはなりません。自分が受け止めようとしないから、逆に衝動化して自分を突き動かしてしまうのですが、まぁ一般的に感情と衝動を区別しませんから、“感情”自体が悪者扱いされ、感情を支配(コントロール)することが是とされます。

ここに巧みなすり替えが行われているのですが、感情=自分自身ですから、要は自分を支配せよと言うことですね。その結果、自分の感情さえ分からない人が増大しているのが現代です。

では、どうなっていくのか。
冒頭の方で、人の気持ちが最も喜ぶのは人とつながったとき、という事を書きましたが、それとは真逆の方向に行くのです。以下は、私が体験している事例です。

親(or子)とつながれない。
友人とつながれない。
社会とつながれない。
仕事とつながれない。
自分の感覚とつながれない。
自分の感情(今の感情及び過去の感情)とつながれない。
自分の過去とつながれない(記憶がない。あるいは、ヒプノなどで過去にさかのぼろうとしたら真っ黒)。
当然、自分の未来ともつながれない…

すべての支配原理の根底にあるのは、分断です。
自然と人間の分離、男女の分離、世代の分離、普通と異常の分離、地域社会の崩壊、家族の解体…ときて、ついには自分が自分とつながれない究極の不安の中に人は置かれるようになっているなぁと感じます。



-------------------------------------------------------
このブログでは、あらゆるつながりをとりもどすことをテーマとして記事を書いています。では、どこまでつながると「自律」なのでしょうか。

自分の五感を取り戻したとき。
自分のICとつながったとき。
自分の人生脚本を発見したとき。
自分が自然の声を聴けるようになったとき。
自分のカルマを知ったとき。
自分の天命を知ったとき。
自分が宇宙とつながったとき……

果てしがないですね。
そう、終わりはないのです。


たとえば、生まれたと思っても気づくとIPに支配されていたり、孤独と向き合ったと思っても知らずゲームを仕掛けていたり、つながろうと意識してもつながってはいけない人生脚本に邪魔をされていたり…。歩き始めてからも、いえようやく自分の足でよちよち歩き始めたからこそ、滑ったり転んだりするのです。それが自分の足で歩くということ。

私は、こう見ています。
今自覚的に自分と闘っている人は、脚本に足下をすくわれようと、IPに惑わされようと、存在不安に耐えられず時に間違った選択をしようと、既に自律しているのです。つまり、
自律とは「自分の気持ちと常に向き合う姿勢」のことなんだと思います。



-------------------------------------------------------
私たちはともに、気持ちで生きる世界に向けて一緒に歩いているのです。私も皆さんと同じ仲間です。

このブログに書いていることも、その共に歩いている皆さんから得たものをフィードバックするに当たって、最も説明しやすい用語を持ってきているだけのことで、書かれていることはすべて個々人の体験から来ています。私がお一人お一人から私が学んだものをフィードバックさせていただいているのです。

言い換えれば、書かれていない体験はたくさんありますし、自律に至る道もまた人の数だけあると言うことを実感しています。

日々、私は魂の奇跡と感動の中で過ごしています。1日に受け取る電話の方々。そのお一人のお話の中からもいくつもの発見があるのです。「創造が誘発される」という意味の「創発(emergence)」という言葉がありますが、私と相談者の間で気づきがポコンと出現 (emergence)するのです。

それは素晴らしい気づきの宝庫で、もし私に書く能力がもっとあれば、1日に10本でも20本でもヒントとなる記事を書きたいくらいなのです(もちろん事例の場合は、掲載許可をいただいた上でですが)。しかし、その能力も余力もありません。

それほどに、お一人お一人が自分の中に宝を持っていらっしゃいます。書物を読まなくとも、自分の中と向き合えば深い気づきを得ることができるでしょう。お一人お一人がみな素晴らしい。それぞれの体験と思いの中に宝があります。

だから、
外に意識を向けるのではなく、
思考に意識を向けるのではなく、
気持ちに意識を向けてください。



-------------------------------------------------------
私が行っているのは、その方が自分の気持ちと向き合いやすいようにお手伝いしているだけです。答えを持っているのは私ではなく、その人です。

IPが強いとつい方法論にとらわれて、こうしなきゃ、とか、こうでなきゃ、とか、自分はこうじゃないから不安、とかダメなんだ、とか…。IPは四六時中自分を責める準備をしていますから惑わされないでください。
人は人、自分は自分です。

向き合う姿勢を持ったときに、もうあなたは歩き始めています。
歩き方も、ペースも、コースも、人ぞれぞれです。
焦らずにいきましょう。



そして、その人が自分にたどり着けば、あとは苦しみも悲しみも、すべてが自分のものになります。言い換えれば人のせいにはできなくなるということです。苦しみや悲しみがなくなるわけではありませんから、何か損した気分?―とんでもない。1分1秒のすべてが自分の人生になるわけですから、魂は大喜びなのです。

自分の足で歩いて滑ったり転んだりしても、それは苦ではないでしょう?
自分の人生の責任を自分が取ることのできる一生を歩むことができる―それが何より嬉しいのです。

そして、死ぬまでにそういう思いにたどり着けばいいのです。

この1週間の記事の中で登場した方々も、いろいろな目に遭いながら、自分の思いを大切にしながら、一生懸命に歩いている方々でした。
私もまた、皆さんから学びつつ、ともに歩いている一人なのです。

躓くこともあります。
そこに自分と向き合うきっかけがあります。学びがあります。
そして、休んで心が回復したら、また立ち上がって歩き始めればいい。


今、こうして歩いている人が、どんどん増えているように思います。

歩き始めましょう。

あなたは一人ではありません。












flumpool 「Over the rain~ひかりの橋~」







関連記事
 
Comment9  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

初めまして

中尾さん、初めまして。ドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」を視聴し、ハラスメントを学びたくて検索し、「誰が星の王子様を殺したか」で、ハラッサーという言葉を知り、検索してこちらへ辿りつきました。もっと早くこちらのブログにたどり着きたかった・・!です。世代連鎖(時代背景)の考え方やドラマ「おひさま」が好きな所など共通点が多く、ご縁を感じ思い切って投稿させて頂きました。自立ではなく自律と表現される所も身が引き締まる思いです。今回ブログを拝見して私自身ずっと謎だった事がいくつも解けました。他者を代理親にしてずっと謎解きをしていたり、依存してハラッサーしていたり、反省点がわんさか出てきて、この歳で・・と情けなく落ち込みましたが、改めてハラスメント界からは足を洗いたいと心から思いました。まずは夫婦の信頼関係を深め、互いに自律、成長できるよう頑張りたいです。内容の濃いブログをありがとうございます。(「精霊の守り人」にも通じる内容だと感じました)。

 

何度も何度も

繰り返し読んでいます。
大丈夫。大丈夫。と自分に語りかけながら。
私の感覚は私だけのもの。
そこに理屈や条理は関係ない。
揺らいでは戻り、戻っては又、揺らぎ。
でも、確実に登っています。
苦しい、悲しい、でも、嬉しい。
私は苦しんでいいんだ。
私は悲しんでいいんだ。
それが、嬉しい。

 

>1分1秒のすべてが自分の人生になるわけですから、魂は大喜びなのです。

わかります!
まだ感情も思うように出てこず、両親がはみ出そうとしている私をあの手この手で型に詰め直そうとして、負けてしまうこともしばしば。正直つらいです。

それでも、嬉しい!
今まで、こんなに自分だけのために行動したことはありません。自分の都合はいつも二の次三の次、親や先生の顔色を窺わなかったことがないこの私が、自分の都合を最優先して行動している。そうすると無駄に巨大な恐怖感が常につきまとってきますが、そんなものにもかき消されず存在している「嬉しい!」という気持ち。本当に自分の足でしっかり歩けるようになったら、きっともっと嬉しいんだろうなぁ

 

自分の気持ちに向き合うことが大事って、すごくよくわかります。私も自分自身の気持ちに向かい合えない人間でしたから。本当の自分の気持ちを知るのが怖くて、知識と情報で偽の骨格を作ってきました。今も少し怖いですけど、今はがんばって自分に向き合うことを大切にしています。
制度や政治が変わると確かに社会は大きく変わりますけど、その前に一人一人が気づくことが大事なんじゃないかなって思います。
数年前に会社員をやめましたが、辞めてから、現代日本の社会は「正社員」「会社員」というマスに、人を囲い込むことで成り立っているんだなあとつくづく思います。親→子への支配、企業→会社員のへの支配。世代間だけではなく、社会のあらゆるところで同じ構造の負のスパイラルが連鎖されていて、抜け出せなくなってしまったのだなあと思いました。
中尾先生のブログは根底に優しさがあって救われます。日本人は本当は穏やかで礼節を重んじる国民。きっとみんな気づきますよね。いま苦しんでいる人も、きっと抜け出せますよ。

 

物心つく頃からだったか、自分の行く末は何にもないブラックホールのようなイメージがあったと思う。
どんよりとした原野のような何もない所に独りぽつんと置き去りにされ、母は私を振り返ることもなくひたすら遠くに歩いていってしまう、その視界の端には巨大な2つのガスタンクが今にも自分の方に転がって襲ってくる、そんなおそろしい夢をよく見て泣いていた。目覚めてもいつも母は私を見向きもせず、なだめることもなく、無表情だった・・・。

自分のICとつながったとき。
自分の人生脚本を発見したとき。
自分のカルマを知ったとき。
・・・この3つに行き当たり、今まで無意識に抑え込んでいた自分の感情が一気に押し寄せました。
わが子に強要してきた私の価値観が自分の人生の全てだった。
それは自分の人生ではなかった。親から刷り込まれてきたことを再現しただけだった。
早く気付いていれば・・・!と、どんなに悔やんでも自分のやってしまったことの事実は消えない。どんなに子どもたちに謝っても。

泣いて、泣いて、泣いて。自分を責め、自分がしたことが許せない。
だから子どもの現象を目の当たりにしてあれこれと口出しては、なんとか子ども自身を変えなくては、と焦る。
子どもに気付きを促すのは、子どもの現象を指摘することなんかじゃないのかもしれない。
自分を許せないと、他人の失敗も許せなくなるのかもしれない。
人間は失敗する生き物、とマイケルも話していたように、自分を許すことも必要なのかもしれない。
私が自分の業を悔やんで辛い顔をしていることは、子どもから見れば、自分の全てが失敗作のように感じられてしまうのかもしれない。
思考に意識を向けるのではなく、気持ちに意識を向ける・・・ということの感覚がまだ私には解りませんが、それが子が自律することと繋がるのでしょうか。
自律とは「自分の気持ちと常に向き合う姿勢」・・・、苦しくて辛い作業ですが、自分を諦めないで私も歩いていきたい。

 

先生、ありがとう!!

 

「わたしの気持ちと向き合い続けること」
それが自律してるってことだった
自律っていうと、自律というゴールがあって、
そこに到達しないと得られないと思い込んでいた
だけど、わたしの気持ちと向き合うことを決意したら
わたしはいつだってわたしの気持ちを感じたくなった
気持ちを感じることで世界は輝きだし、
わたしは輝きだしたし
なにより、気持ちを感じていると、生きてる実感があるから
だから、わたしの気持ちを無視することなんて
できなくなったってしまった
喜びは大きく
また、哀しみも大きく
怒っているときは激しく
悲しんでいるときは、心底悲しい
そして、どの感情のときも燃えている
わたしが燃えているのがわかる
さまざまないろで燃えているわたし

燃えているわたしを感じる時
わたしは激しいほど生を実感する
「いまここに在る」
「いまここにわたしという何ものかが在る」ことを
強烈に実感する
そして、思う
わたしという何ものかを生きているのはわたし
だれも、わたしの生には入れない
わたしだけが、わたしの生を生きられる
その絶対の孤独の中でわたしはわたしという生を生きている
なぜだか生かされている
そして、
この地球に宇宙に
驚くほど多彩な生が同時に在る

わたしは気持ち
気持ちと向き合うことはわたしを生きること
わたしの生をわたしとして生きるには
わたしの気持ちをただ感じさえすればいい
シンプルなこと
だれもがすぐにできること
ただすればいい

 

5年前の今頃、精神病棟に入院していた。

この季節になると毎年、フラッシュバックがおきる。

漠然としたその時のホログラム状の感覚や気持ちが毎年、しっかりとした感覚に、立体的な形に、色濃くなっていく。

その度に、回復の証の痛みと思いつつも怒りと恐怖に飲み込まれる自分が居る。

3日前、抑えきれない過去の記憶の中の怒りを風呂場で暴発させた後、虚無感に駆り立てられ、ベランダの縁に飛び乗って下を見た時に夫に引きずり下ろされた。

今までは、思考の2割程に夫が助けてくれる計算をしていて縁に手を掛けるところで止まっていた。

あのまま助けて貰え無かったら落ちてたのかな?自分に聞いてみる‥わかんない。

危ないよなぁ‥ヤバいよなぁ‥漠然としたホログラム状にもなって無い感覚。

いつか、しっかりとした感覚に育ってくれるのかなぁ?

1年前に比べると確実に回復している。感覚が色濃くなると衝動も色濃くなるのかなぁ?
にしても、カッコつけてられない。吐いて吐いて吐きまくって、零に近づきたい。

一人、一人に魂から語りかけてくれる中尾さんのblogが、魂にそっと寄り添ってくれる感じがする。温かい。


いつか私も其処に行く。

 

なんだか読んでいて涙が出てきました。
分からないことだらけで、中尾先生のブログを読んでも整理できず
余計に混乱して分からなくなる始末。
「どうせ分からない…」と先生の言葉も届かくなる。
そんなことばかり。繰り返し。嫌になって。

そっか。いいんだ。

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
検索フォーム
 
 
著作
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
会場でお会いしましょう(^^)
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
QRコード
 
QRコード