子育て心理学:第4部 5)「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
第4部-「心の食生活(生活習慣病)」に気をつけよう(ストローク編)
■5)「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
前項では、「心の食べ物」であるストロークが欠乏して腹ぺこになったとき、人は代償行為によって飢えを満たそうとすることを見ました。これは、お腹がすいているのに他のものを集めたりして自分をごまかす行為でしたね。
しかし、だんだん腹ぺこなのをごまかしきれなくなってきました。すると、人は獲物を狩りに行きます。たとえば、パンくずを蒔いて小鳥を罠にかけて取って食べようとするのです(…一体どんな例だ ^^;)。
心も同じ。もう代償行為では満足できない、その人から直接ストロークを得たい―そうなったときに罠を仕掛けるのです。
たとえば、下の子が生まれ、お母さんが下の子にかかりっきりになって上の子に構わなくなってきたとします。上の子はストロークがだんだん欠乏して心がひもじくなってきました。心が「腹減ったなぁ…」とつぶやくようになります。でも、普通に過ごしていてもなかなかお母さんは振り返ってくれません。さぁ、どうするでしょう。
そう、いたずらするのです。
当然、怒られますよね。でも、「怒られる」というのは、マイナスではありますが、れっきとした心理的ストロークです。つまり、怒られるときに、否定的にではあるにせよ、「自分を認める働きかけ」がなされているわけです。それ(マイナスのストローク)は口にまずい食べ物ですが、飢えた心にとっては満たされることが先なのです。このように、ストロークをもらうために罠を仕掛けることを「ゲーム」と言います。
・万引きの心理-なぜ、分別ある大人や高齢者が万引きするのか
それがさらに欠乏して、食べ物がゼロ(ストロークゼロ)という状況になった場合、人はどのようになるのでしょうか。ストロークが全く与えられないストロークゼロの状況に置かれることを、『ストローク飢餓』と言います。
【ストローク飢餓】

「心の食べ物」が全く与えられていない人(ストロークゼロの人)です。自分に対する働きかけが全くない。放置され、自分の存在が無視されている状態の人です。
まず、究極に飢えた人間がどうするのかについてみてみましょう。大きく2つの道があります。
1つは、あきらめて餓死を待つ道です。
放っておけば、記録映画「セカンドチャンス」のスーザンは死んでいたかもしれません。日本でも最近餓死事件がよくありますね。
もう一つは、どんなことをしてでも食べ物を手に入れようとする道です。「どんなことをしてでも」です。でなければ、餓死して死んでしまいますからね。飢えで死に瀕した人は、木の皮であれ人の肉であれ、何でも食べようとします(「ひめゆりの証言」に出てくる兵士達の様子を見てみてください)。そこにモラルも善悪もありません。生存欲という本能のみがその人を突き動かしています。
ストローク飢餓の人は、自己の存在を承認してほしいという欲求(承認欲求)が衝動として突き上げてきます。「有名」(名の有る存在)になりたいのです。
たとえば、究極のストローク・ゼロの状況に置かれ「透明な存在」になるしかなかった少年Aは、ストロークを得るために自己の存在をかけた「殺人ゲーム」をしかけました。そして、少年Aは、自分に向き合わなかった親のかわりに、警察に自分を向き合わせたのです(詳しくは「あなたの子どもを加害者にしないために」をご参照ください)。秋葉原事件の加藤被告も自分の名が新聞に載ることを望んでいましたね…。
このように、ストロークを与えず、「ストローク飢餓」に追い込むことは、人を死ぬか生きるかのところへ追いつめてしまうのです。我が子に肯定的なストロークを無条件に与えましょう。
【ご参考】
*子育て心理学
・第4部 6)ブラックホール人間とは、ストローク飢餓のまま成長した姿
*「仮面の家」
・第2部-4、りょう少年のストローク飢餓
・第4部-6、「ストローク飢餓」vs「絶望」
・第5部-2、諒少年のストローク飢餓
・加藤智大容疑者の心の闇(10)-ストローク飢餓の殺人ゲーム
・「土浦連続殺傷事件」―19,ストローク飢餓と存在の“認知”