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子育て心理学:第4部 6)ブラックホール人間とは、ストローク飢餓のまま成長した姿

2009/12/26(Sat) Category : 心理学
子育て心理学
第4部-「心の食生活(生活習慣病)」に気をつけよう(ストローク編)

■6)ブラックホール人間とは、ストローク飢餓のまま成長した姿

「その人の存在を認める働きかけ」であるストローク。だから、『人はストロークを通じて、自分がどのような存在なのかを確認する』と言いました。

逆に言えば、ストロークがなければ自分がどのような存在かを理解することができないということです。それは、自分の存在に対する根源的な不安を招きます。前項のストローク・ゼロが人間にとってもっとも怖い状態なのです。

さて…そのストローク飢餓にある人が成長して親になったとしましょう。その人にとっては、自分を見つめてくる赤ちゃんは孤独という大海の中でわらをもつかむ存在となります。その我が子を、自分を認めさせる対象として終生そばに置いておきたいという思いから(無意識ですが)、子どもが自律できないように育てようとすることがあるのです。ここに親子間のあらゆる病理が生まれてくるわけです。



------------------------------------------------------
それに対して子どもは、危険基地で見たように、逃げ出して距離を置いたり、反抗したり、自分の中に閉じこもったりします。しかし、どのような行動を取ってはいても、その底にあるのは自分の気持ちを親に分からせたい、自分の人生を奪った親に復讐したい、あるいは、親など無視し続けて生きていきたい―そういう思いです。

ところが、それが反抗であれ、復讐であれ、敬遠であれ、無視であれ、その思いの根底に「親」があるとき、親にとってそれらの行為のすべてが「わが子はまだ自分にとらわれている」ということを示すサインなのです。つまり、それらの行為もすべて親のエネルギー源になっているのです。



------------------------------------------------------
信じられないかも知れませんね。
でも、思い出してみてください。究極の飢餓にある人は、木の皮であろうが、段ボールであろうが、さらには人の肉であろうが、何でも食べようとしますね。そこに善悪も倫理もありません。すさまじい飢えの前にそんなものは吹き飛んでいます。私が「餓鬼」と呼ぶのも、ストローク飢餓が高じるとモラルなど吹き飛んでしまうからです。

餓鬼になってしまうと口に入るものはもはや何でもいいのです。その感情エネルギー(食べ物)の質は問いません。エネルギーを摂取できればいいのです。つまり、軽蔑、誹謗、中傷、罵倒、怒り、嫉妬、妬み、憎しみ……自分に向けられるありとあらゆる感情のすべてが「食べ物」になってしまうのです。それが自分に向かってくるものであれば何であれ吸い込んでいく―そう、ブラックホールとなっていくのです。

そして、マイナスのストロークを得るために何でも仕掛け、感情エネルギーを噴出させようとします。家庭内や親族間のトラブルのすべてが“エサ”なのです。そのとき“人”は、餓鬼にとって感情エネルギーを出させるための“材料”でしかありません。これが人を呑み込んでいくブラックホールの本質です。



--------------------------------------------------
いかがでしょうか。
どうあがいても、勝ち目はありません。

相手は、カオナシのように何でもかんでも飲み込んでいくだけ。感情のフィードバックはありません。せいぜい、カオナシのようにお金を使って我が子を逃げ出さないようにするくらいです。

カオナシと人間は、もはや棲んでいる世界が違うのです。

ブラックホールである親へのとらわれから抜けましょう。
その時初めて、あなたのエネルギーの漏出は止まります。

そして、そのエネルギーを自分のために使い、自分を立て直しましょう。ふと気づいたとき、強大に見えたブラックホールが、とてもちっぽけになっていることに気づくでしょう。それは、あなたが親へのエネルギー供給をやめ、自分のためにエネルギーを使ったからです。つまり、あなた自身がブラックホールを大きくし、自分を弱めていたと言うことです。それだけのエネルギーをあなたは持っています。そのエネルギーを自分に向けましょう。


相手にエネルギーを与え続けている間は、いわばアルコール依存症の人にお酒を与え続けているようなもの。正気に戻ることはありません。お酒が断たれようとするとき、相手はあの手この手を使ってものすごい抵抗をするでしょう。でも、心を鬼にしてエネルギーの供給をまず絶つことが、相手を正気に戻すための第一歩なのです。

そして、自律して二本の足で立つことができたとき、あなたはもはやブラックホールに呑み込まれることはありません。そのときあなたは、自分がそうしたいと思えば、恐れずに「親」に会いに行くこともできるのです。そして、その時始めて、親に「変わり得るチャンス」が訪れるのです。






ブラックホール人間とは

ヘンゼルとグレーテル
ヘンゼルとグレーテルへ
生き切る-(7)ハハはカオナシ


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中間子で被搾取子だった母の事を書いてしまえと書いてたら消してしまって、また書いてたらまた消してしまった。こっちに対してだけ偉そうにするな、家族の敵の味方の家族の敵だったひ弱な根性悪。

と書いたところで今度は書き込んじゃう。

 

長年の疑問が解けて

私は、人一倍ストローク飢餓に陥ってもおかしくない複雑稀有な生い立ちである筈なのに、その切実な心の飢えた他者の苦しみの状態が、自分にはほぼ理解出来ずに、戸惑うばかりです。

自分の場合、注意欠陥障害か自閉症の部類にも近いのではないか?と思いあたるところもあります。

不思議に思うのは、欠陥や障害がない平凡な能力を持っている人達が、よりストローク飢餓に陥っているように感じてならないのです。

そして、芸術脳や文系の人より、数字が得意な人の方が、その傾向が強く見られるような気がします。

そして、兄弟でいうと、真中や末の子供が、承認欲求が強い傾向にあり、ストローク飢餓に陥りやすく、他者に愛情を求めて心が彷徨うケースが多い傾向にあるように、私には見受けられます。

勿論、例外もあると思います。

それと、母親と赤ちゃんのホルモンの関わりにも、ストローク飢餓が関係しているように思えるのです。

オキシトシンというホルモンが与えられることによって動物は安心感を得るようですが、その反作用の働きがもたらされることもあるのではないかと、思い当たっています。

赤ちゃんに、このホルモンを与えられなかったら、脳の発達に障害や遅れがあるかも知れず、中には身体の成長に影響する子もいるらしいのですが、幸運にも、それほど大した影響もなく、親はなくとも、普通に健康に育つなら、そのホルモンを最初から沢山与えられていない子供は、オキシトシンホルモンの反作用も、激しい副作用の落差もなく、穏やかに作用し続けるかも知れないと思いました。

つまり、飢餓というものも、安心感というものも、ないがゆえに、生じもしない、平な状態なのかも知れないと思いました。

麻薬を経験しなければ、麻薬に対する強い依存も、反作用も存在しないのではないかと思いました。

それより、思い当たるのは、自分の中で幸福ホルモンを作る能力が、自分を深く癒して包み込むという脳内麻薬のような働きをするのではないかと..

かつて、自分の寝ていた布団からそういう深い癒しのようなものを強く感じていたり..自分自身が同時に母のようなエネルギーを出していて、寝てるとき、心地良く抱かれているようなエネルギーの感覚を以前は、かなりはっきりと感じて自覚していました..

ホルモンなんて知識のない頃の時代ですが、自分自身に癒されていたといえる時期が長くありました。

それを嗅ぎつけてもらいに来る人が何人かいて、エネルギーがすっからかんな人とか、老人とか、以外に子供も多かったです(笑)

更年期の終わりから5年程そんな感じでしたが、今は、心の中で、自分を癒すエネルギーをセーブしています。人になるべく心を開かないようシャットアウトしてしまいました。

余りに飢えすぎた人が寄って来て、以前は知人や知らない人にまで付き纏われた事もあり、その奇妙な行動や現象にとても耐えられず、今は、表面上のお愛相のみで、極力人に心を開きすぎず、違和感を感じたら、そこそこ無関心によそよそしく努めて、早めに距離を置いたり、絵顔で足はダッシュでその場を離れたりと、対処しています。

それにしても、人間関係の複雑なテーマをゲームとして理論付けて確立されたことは、とても素晴らしいl心理学の功績だと思います!

私にとっては、気が遠くなるくらいの長い期間における深い疑問・難問が、今、ようやく、解けています。

ずっとずっと心を覆っていたもやが晴れて、その全体像が理解することが出来て、本当に良かったです、
こちらのブログを拝見出来たお蔭です。

野口様のブログに改めて感謝します。

 

はじてまして

ただ、ただ、書きたくてコメント書いています。こちらのブログ記事を沢山拝見して心底納得しています。ありがとうございます。

私もストローク飢餓です。まだまだブラックホールです。私はゴミ箱だ、、そう思って自殺未遂二回、入院したそうですが記憶ないです。

親は男の子を望んでいたので、私は女だけど自分のことを僕と言っていました。
私は生まれた時から要らない人間だったのでゴミ箱としてかろうじて生きてきました。二人の姉は私の首を絞めて、階段から突き落として、遊んでいました。
顔がコンクリートを、がつんがつんとぶつかる感覚はツーンとしました。


子供の頃誘拐されそうになった時、母は、「大事になる(父親がパニックになる)から誰にも言うな」と言いました。
私はいつもニコニコしていて、なにも怖くありませんでした。夜のお墓も、怖くありませんでした。
高校の時も、知らない男に車に引きずり込まれ暴力を受けそうになりましたがもはや誰にもいいませんでした。何てことなかったです。家でも暴力を受けていたし。
感情が無かったです。
母は私を川に捨てると再三言いました。
私は猫を殴っていました。

ある時、プツンとなりました。

地域、法律、政治、宇宙、、なにもかも、、なんにもならない。わけがわからない。機能してるのが意味がわからない。どうでもいい。人が生きてる。なんか意味あんの?


25歳のとき初めて怒りがコントロール出来ず大変なことになりました。母に暴力を振りました。それさえも、親は「霊にとりつかれているから除霊しろ」と私を「除霊」しました。
除霊?スピリチュアルカウンセラー?前世?は?
どこまで逃げるのだ!私は人間だ!人間として扱ってくれ!

て感じです。
私は「双極性人格障害」になり、薬で感情を抑えています。私は、この狂っている自分がまともだと思ってるのですが。私が精神病にならず、もしなに食わぬ顔で普通に生きていたら、それこそゾンビ。ぞっとします。

ニュースを見ると心の友達が沢山、警察に捕まってゆくから、こわくて見れません。
捕まるべきは親なのに。

今は、体調がすぐれず動くことが出来ません。まだ両親と住んでいます、、。

でも、音楽を聴くことと、かつて少年院で働いていた亡き祖父が買ってくれたピアノを弾くこと、拾った猫を育てたりして、楽しい事もたくさんあります。
時々、それさえもどうでもよくなってしまうのですが。

実際には、今そんなに不幸ではないです。
私は絶対に子供を産みません。
男も女も大嫌いで、、なにも受け入れられない自分が嫌いです。

ただ私なりに、できるだけ迷惑かけないように、死ぬまで生きるだけ、です。でも、私は自分を、尊重するようになりたいですし、少しはなってます。

こちらのブログを見つけて本当に嬉しいです。
支離滅裂な文章おゆるしください。
もし誰かが読んでくださっていたのなら、ありがとうございます。もしだれも読んでくれていなくても、ここに書けただけで、私は満足して涙が溢れています。

 

ありがとう

モラ母の娘さん
長い時間をよく耐え抜かれたと、心から思います。
本当に、お疲れ様でした。
そんなの、まだまだ・・・とおっしゃるかもしれないと思いましたが、この気持ちをお伝えしたかったので、書き込みしました。

生きていてくださって、ありがとう。

ここにいらっしゃる方々を感じるから、自分が一人じゃないと信じられるから。

みなさん、これからもどうかよろしく。
私も、ここにいます。

 

風穴が空いた…

昨日、やっと市の介護保険課からの『訪問調査』が実現しました…。
理由は高齢のロボット父の歩行不良や奇行が見られるようになったからで、『介護申請』をすることで外部の《目》を両親に意識させること。これを突破口に、モラ母のロボット父への暴言・暴力(密室では私への長時間の罵声)が減り、そのロボット父からの私への暴言・暴力が少しでも減らせれば…との長年の願いからでした。仕事の合間を縫って、外部への隠密裏の相談を始めてから実に7年もの年月が流れました。

『訪問調査』の前段階である『家庭訪問』。市の職員やケースワーカーの目の前で、同席しようとする私へ激昂し、モノを投げつけようとする父。その様子を無感情に冷やかに遠くから見守るモラ母の様子。母の視線やヒステリックな言動に怯えるロボット父…。私が力尽きた背景を、訪れた職員たちは垣間見たようで、彼女たちが帰った直後に市の上司にお礼の電話を入れたところ、「申し訳ありませんでした。こんなひどいケースは聞いたことがない。こんな事って実際にあるんですね」と言われました。その後、市から差し向けられた内科医からも同様の言葉をかけられ、数日間、私はボロボロと涙が訳もなく流れ続けました。まさに《ブラックホール》の存在が客観的に証明された瞬間でした。

 

私も母親と逢わなくなり早10年その間、電話も手紙も接触は一切ありません…

親ひとり子ひとりで育ちました…

母はもう良い年です…
「母が認知症になってくれないかなー」私は良く夫にそう言います。
母が重度の認知症になり私を産んだ事を含め全てを忘れてしまったら…
きっと母と会い母を介護出来るんじゃないかと…
ふと、思うのです。

普通の人が聞いたらなんて「悲しい」と言うんでしょうね。

 

線を引く

『ずっと根っこが無いような力の無い育ち方の木が枯れ、
豆粒だいの小さな種が風に乗って遠くの街へとんだ。

もう一度小さな種が播かれ、ゆっくりゆっくりだけど種は小さな芽をだし、
暖かなお日様や優しい風にも出あった。

根を下ろした場所は以前のようなカチカチの死んだ土地ではなく、何だか以前と様子が違う。

見えない地下にはった根はいつしか大地の水や養分をしっかりと吸い上げて、
蓄えて枝の先には艶々の木の葉が増え始めた。

弱いながら、乏しいながらに、小さな木が精一杯の成長を始めた。

そんな矢先、木は自分の生まれた場所に戻るように恐ろしい手紙をもらった。

とにかく戻るようにと書いてある手紙を見て
とうに忘れてしまったと思っていた生まれた場所へ
木はゆっくりゆっくり歩いて行った。

木はそれが本当はイヤで、もうあの場所に戻ればきっと自分は枯れてしまうことがわかっていた。

手紙をよこした別の木に会うと、その別の木の今にも枯れそうな黒息の肌、
葉がすっかり落ちてしまいただよろよろとして僅かな命で挨拶する昔の仲間を見てぎょっとした。

昔の仲間はとっても苦しそうに見えるのに、そんなことはないという。
木は何だかとても悲しくなった。

帰り道、木ははらりはらりと一枚、また一枚と葉を落としながら
泣きながら家に帰った。

泣きながら、木は苦しそうな昔の仲間を思い浮かべ、また悲しくなった。

とぼとぼようやく家に着いたときには
木の葉はもう一枚も無くなっていた。

木は疲れ果ててしまった。

昔の仲間の真っ黒な顔と
昔の仲間に背負わせてきた重たい荷物と
平気だよと言う昔の仲間と
木よお前も戻って手伝ってくれないかと言う昔の仲間の頼みごと、、、

全てが浮かんでは消え、浮かんでは消え、、、
木があんまりに考え込むうちに
そうするうちに木は一番太い幹のところでポキンと小さな音をたてて折れてしまった』



兄のもとに引き取られた父が10月に脳梗塞で倒れ、
入院しました。

元々母の死をきっかけに私も兄も父を捨てるように家を出、
そのうち父が強制執行で公営住宅から出され、
兄の下に転がり込みました。

その時兄は、「俺の人生は終わった、、、」と言っていました。
本当は父は私と暮らしたかったらしいのですが、
私が既に結婚したことを知り、
諦めて兄のもとに身を寄せたらしいです。

思えば父は依存の塊でした。
働かず無軌道でお酒や、妄想と祈りの世界に浸り、
何の責任も義務も負わず、
家族を混沌とした世界に引きずり込んだ人間です。
そのくせ子供には、
「親を養わなくてはいけない、孝行しなくてはいけない」と言い続け、
絶えず子供や妻に依存し続けた人間です。
「友達なんか必要ない、人に笑顔を見せてはいけない、
人を信じるな、勉強なんて必要ない、お前は神の子だ」...
そんなことを子供に言い続けた人間です。
暖かい心を通わせたことが全く無い人間です。
いや、むしろ冷たく澱んで腐りきった心でしか触れ合わなかった人間です。

そいつが倒れた...。

兄に退院後の世話を手伝って欲しいといわれました。
もうこれで本当に父の思うようになるんだな、、、
そう思いました。

本当に嫌だったのだけど、父を見舞いに行きました。

「命が助かってよかったね」と微笑を浮かべて演技をして言えたけど、
父の身体に触れることは気持ちが悪くて出来ませんでした。

↑の木の詩はその時の帰り道のキモチです。

真面目に働き、結婚もせず、
辛い時はお酒で紛らわす兄、、、。
思春期の頃から父を暴力で押さえつけるようになった兄。
父を引き取ってからの兄のことを考えると
兄に色んな物を背負わせてしまっている罪悪感でいっぱいで、
私も手伝わないといけない、
それは断れないとう思いでいっぱいだったのですが、

悩みに悩んで、
兄に手紙を書きました。
(カウンセラーの後押しもありました。)

どうしても手伝えないこと。
また、兄が父を介護することは
あんなに父に苦しめられながら決して離婚せず、
やがて自らも心を病んで死んだ御母さんの生き方とおんなじではないかと思うこと
お兄ちゃんにも父の世話をやめて欲しいと思うこと
頑張れば数ヶ月にいっぺん見舞いに行くことはできるかもしれないが、介護は出来ないということ
そして、ついでに、
お兄ちゃんは認めないかもしれないけど、
お兄ちゃんのお酒の飲み方は変だと思う。
私はアルコール依存症だと思うよ。
認めないかもしれないけど私はそう思う...。

何度も書いては消し、書いては消し、
読み返し、、、ポストに投函するまで時間がかかりました。

何日かたってから兄から電話が来ました。
子供時代あれほど怖かった兄だけど、
電話で手紙に書いたように思いのたけを言いました。
いつも何も問題が無いように冷静に正常を装う私が、
泣きながら本当に言えなかったこと、言いたかったことを言いました。兄にそんな自分を見せるのは
子供時代以来のことです。

兄はかなりショックを受けたみたいだけど、
ちゃんと聞いてくれました。

今はまだ父は入院中で介護問題も解決されたわけじゃあないし兄も納得してくれたわけではない。
でも、相手がどう思うかをいつも先取りしていつも言いたいことを飲み込んで何も言えなかったのに
「どうしてもいえない」と思っていたことを一つ言ったことで、
いうべき事を言うのが私の仕事って思うようになった。

それをきっかけにか、買い物して傷んだものを買った時、
店員に交換を頼める自分がいた。
レシートの値引きミスを直してもらえた。
主人の実家に行ったとき、食事をしていくのを断ることが出来た。
トイレをいつも我慢する自分に気がついた。

父を見舞い兄と会ったあの帰り道の絶望感が
別のものを私に拾わせた。

一番大事なもの、

自分の気持ち。






















 

わたしもです

実家と音信を絶って4年と10カ月になります。
まさに数日前、老人施設から電話がありました。

母の認知症が進み、被害妄想が激しくなって父を責め、父が暴力をふるうので、警察を呼ぶような喧嘩をするらしい。
父は父で、パーキンソン特有の歩き方が出ている。
嫁に出た妹がいますが、彼女一人では大変なので一度家族で話し合いをすることはできないか・・・という内容でした。

あまりに父が暴れるのに耐えられず「警察を呼ぶ」と言った私に家族は誰も味方してくれず、父だけが「みっともないだろう!」と、私の顔の至近に顔を近づけて凄んだことを思い出しました。高校生の頃でした。
父に殴り倒され倒れた私の背を母が蹴った時、私はこのまま気絶するか死んでしまうか見えるところに大けがをしたいと願っていたことも思い出しました。小学生でした。
あの二人は私が生まれる前からずっとそんなで、私がそばにいる間もずっと、母は父の悪い妄想を私に押しつけて、私に「どうにかしろ(父をやっつけろ)」と言い続けてきたのです。
あの時「警察を呼ぼう」と私が言ったのは、母の「自分を助けろ」というメッセージに応えたのだと今は思うけど、私にそうさせた母は、私が立ち上がろうとする度、私の自立を完膚なきまでに叩き潰してきたのです。
たった一人気持ちを分け合える相手で、守ってきたつもりだった妹は手放すまいとする母の罠にはまり込み、嫁に出た今も両親の周りを離れられずに、私と親の間を分断しようと画策します。

父を使い、妹を使い、親族を使い、町で出会った私の友達を使い、お寺の住職を使い・・・と、使えるものはすべて使ってきた母の、これが最後の最後の手段です。

酷薄なようですが、これは手段です。

だって、施設の人が私に話した二人の様子は、私が彼らのそばに居たころと何にも変わってないのです。
そのうえ、今は二人で大喧嘩しても警察を呼べるのです。
あの孤独な夫婦に誰か呼んでくれる人ができたのか、それとも自分で呼ぶのか、いずれにしても娘におぶさっていたころに比べたら、成長しているのです。

「あの二人は、心配ない」
一晩眠って翌朝、そう思いました。

引き戻すためには、なんでも使う
けれど、決して自分で向き合おうとはしない
それが、毒になる親の性根だ

施設の人には、「そういうわけなので対応しかねる」のだと
キレ気味に伝えました。
受話器を持っている間から、胸と背中が締め付けられて呼吸が苦しくなって全身が震えました。
しばらくの間、なんとも言えない気持ちになりましたが、それがあの二人と一緒に居る間じゅう小さい私が味わい続けてきた苦しみなのだと、ようやく理解できました。
これまでの私は、苦しいことを苦しむことも自分に許していなかったのです。

そして、私がちゃんとした親に成長するのをずっと待っていてくれた息子のことを思いました。
今年10歳になった息子は、親に振り回されて自分を見失ってしまう私が、自分の脚で歩けることに気がつくのをずっとずっと待っていてくれたのだと思いました。
お腹の中に居たころも含めて、足かけ11年。

長い間待たせた息子を、もうこれ以上待たせないから。

私は、私の心が指さす方に向かいます。


 

どうしたら・・・さんへ

まさに、私も同じ状況に胃袋がひっくり返るほど悩んで考えてきた問題です。
私の母親は、父が難病に倒れ救命救急に搬送された翌朝、連帯保証人に署名してほしい、と留守電に入れてきました。母は散々父の悪口を私に言いながら離婚もせず、父が病に倒れた途端にオロオロと電話を寄越してくる。忌々しくもあり、罪悪感も混ざり、どうしてよいか頭がぐるぐると混乱しました。

私は子どもの頃から、なぜだか解らないけれど、もやもやとした母への怒りを感じていて、結婚してからは徐々に距離を置いていました。
母は、私が幼児のころから巧妙に罪悪感を植えつけて、自分が老いた時の介護人としての使命を強要してきました。母の愛情というのは条件付でしたから、幼い頃から私は、母の愛を乞うためには、母の言に逆らうことが不可能でした。
最近になってこうした親のコントロールが暴力であったということにはっきり気付いた時、自分がわが子にも母と同化した言動を無意識に働いてきたことに愕然としました。
もう、これ以上わが子に苦しい思いをさせてはいけない、親の業を断ち切るためには、世間に後ろ指を指されるかもしれないけれど、私が育った家庭は異常だったのだから「介護は他人に、見舞いは身内で」よいのでは、と思いました。誰も解ってはくれないかもしれない、でも夫にはどうしても話しておくべきだと考え、自分がどういう家庭に育ち、どういう子ども時代を送ってきたか、なぜ自分の親を嫌うのかなどを話しました。すんなりとはいかなかったけれど、夫は解ってくれました。

父の悪口を強要し、父と闘う思春期の私を見て「女にしておくのはもったいない」と他人に自慢げに吹聴している母に絶望していました。
もう、私は母の操り人形は辞めなければ。
母は「ワシはどうなる」と自分が他の何より大事。私の妹がDVモラハラ家庭から脱出したことに私が関わったことにも「要らん事して!」と子の辛さよりも世間体を真っ先に考える哀れな人。
病に倒れた父が可哀相、と一時は考えたけれど、父も妹のアンカーになっている私のことを考えてくれていたわけではなく、自分の心配事を「安心させてくれ」と私に依存していただけだったことに気付いた。父と母はどこから見ても立派な共依存夫婦、きっぱりと距離を取ろう。親との境界線を引くことは、介護という継続的接触がおきる場面では至難だということは目に見えている。
迂闊に近寄れば、私はまたもや骨の髄までしゃぶり尽くされてしまう。
母のおかげで、私は温かい家庭というのがさっぱり解らず、機能不全家庭を造ってしまった。わが子が自分の人生を自分の思いのままに歩くことができなくなってしまっていることの方が、私にとって今最大の悩みであり、子どもを苦しめ、自分のしてきたことの恐ろしさとの闘いです。
それでもわが子から見た時、私が病床にある親と断絶していることをどう捉えるのか不安があります。わが子が自分の家庭を持ったときの健全なモデルではない気がするからです。それは、伴侶の親の介護が必要になった時、どのように対応するのだろうか?ということです。認知症や寝たきりにならない保証は誰にもありません。罪悪感に縛られることなく、介護を他人に安心して任せることができる世の中になっていてほしい。

 

感動した!

へろへろだったけれど、このページを開いて笑うことができました。ありがとうございます。
自分を喜ばすために今からお風呂できれいになってきます。
ありがとうございます。

 

でも、でも、でも

中尾さんのブログに救われた一人です。が、ここにきて親の状態が変わってきました。軽度の認知症が出始めています。完全に別世界の人にはなっていない・・・だからとてもやっかいです。

すべてを福祉行政にまかせることができればどれほど幸せなことでしょう!けれど、どうしても家族でなければ立ち入れない領域というのがあります。

何事も過渡期がいちばん難しいとは思いますが、せっかく自分の人生を歩き始めたところなのに、また親と関わらざるを得ません。私は私の道を歩くのだから!知らないから!とは、50代半ばという私の年齢からも言えるものではありません。自分自身、年齢ともに身体的な変化も出始めてある程度つらさが想像できるだけに、完全に見放すのはとても良心がとがめます。

関わればブラックホールに魂を吸い取られ続けていくのもわかっています。そして親はとても巧妙。どのタイミングでどの言葉を使えばこちらにダメージを与えることが出来るか、本能的にわかっています。

以前よりはかわせるようになりましたが、断続的にであれそれらが続いてくると元に戻ってしまいそうです。

自律=親との関わりを一切断つことでしょうか?それともある程度の距離を取りながら関わるということでしょうか?

前者であれば、いわゆる見当識がなくなり始めているとわかっていても一切放っておく、その先に孤独死があるとわかっていても無視する、ということでしょうか。

後者であれば親は私からのストロークを引き出そうとあの手この手の巧みな罠をしかけてくるのは間違いありませんし、私にとってはこれまでの努力は何だったのだということになります。

介護の問題も絡んでくる親とどう関わっていけばいいのか、関わらずにいけばいいのか・・・その道が見えません。おっしゃることはよくわかるのですが、具体的にどうすればいいのかと悩むばかりです。

 
    
 
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