「自分と向き合う」ってどういうことでしょうね
イメージとしては、なんだか一人部屋にこもって瞑想している感じ?
それも静かに瞑想しているのではなく、過去の嫌なことを苦しみながら思い出している感じ…。
でもそうすると、IP大喜び。
IP十八番の「自責の念」「罪悪感」がよってたかって押し寄せてきて、あれ?これはIP?それともIC? ってこんぐらがってしまい、「あー!!」と撃沈。
…そういう修行僧のような難行苦行をしましょうということではありません(--;)。
■思いで行動することが背骨作り----------------------------------
自律で目指すところは、「自分の思いで生きること」
なぜなら、「思いを表現することが生きること」だからです。
だから、いきなりその生活に入るんです(笑)。
つまり、「やりたいことだけやって、イヤなことはしない」
これが基本。
(今までその真逆で生きてきたでしょ?)
でも、好きなことだけやって楽しんでいていいんだろうか? 自分の過去の気持ちと向き合っていない気がするけど…。これじゃあ怠けているだけじゃないの?
…と言うのはIPですね~。
好きなことだけやって楽しんでいていいんです。
なぜなら、そのときこそが自分の背骨作りをしているときだからです。
(自分の思いで行動するときにだけ背骨はできますからね)
「あー、今日は楽しかった!」
と、こてんと眠れたらサイコーですね。そして、そのサイコーの日が増えれば増えるほど背骨ができていくのです。楽しいですね~(^^)。
(それに、結局のところ自分が真に社会に貢献できる道は、自分の好きなことの延長上にしかありません)
■思いで行動することがIPを弱めICにエンパワーする------------------
で、いつ自分と向き合ってるのって?
人の脳は起きている間だけ活動しているのではありませんよ。寝ている間もちゃんと活動しているのです。
昼間好きなことをやって嫌なことをしないというのは、実はIPを弱めることに直結するのです。ほら、好きなことだけやって嫌なことをしないとIPはそれを「わがまま!」と言って攻撃するでしょう?
なぜ、思いのままに行動するという当たり前のことを、IPは「わがまま」と責めるのでしょうか。それは背骨ができてしまうと、もうIPの操り人形ではなくなってしまうからです。それを阻止するために「わがまま」と言って攻撃するんですね。
思いを表現することが生きることです。だから、堂々とわがままをやって命を輝かせてください。すると、面白いですね~。寝ている間に夢の中でICが強くなってくるんですね~。それまで夢の中で追いかけられて逃げたり怖がったりしていた自分が、言い返したりやっつけたりするようになります。
(これは寝相にも現れるんですよ。IPが極めて強い方は、まるで簀巻きにでもされているかのように、朝まで直立不動で寝ていたりします(--;)。これじゃあちっとも休めていません。目覚めたときに既に疲れ果てています。苦しいですね~)
つまり、起きている間のあなたの行動が鍵を握っています。自分を責めるIPやルール(世間体、常識、マナーその他諸々)に縛られて行動しているのか、思いや直感で行動しているのか。
昼間のあなたが意識を「思考」ではなく「思い」や「感覚・感性」に向け、直感的な行動を続けていくことが、それまでIPの味方であったあなたが、今やICの味方であることを証明することになるのです。ICは喜び、昼間のあなたの行動に力を得て、寝ている間にIPをやっつけることができるようになるのです。
ですから、「IP退治の治療」と思って、たとえ人からわがままと言われようと、直感と思いで行動するように心がけるといいでしょう。
■自分の気持ちがわからない-------------------------------------
え?でも、どれが自分の思い?
そう、それくらい自分の気持ちにアクセスできない人が、今増えています。
気持ちの方も、「どうせこの人(自分)は、IPの操り人形でIPの言うことしか聞かないから、言うだけムダ」と自分を信用していませんから、出てこようとしなかったりします。“自分”と“自分の感情”の信頼関係が切れているんですね。
そこへ思考(IP)がでしゃばってきて無限ループ。結局身動きできず。
「IPの使命」は、「自分を“自分の思い”で行動させないこと」ですから、見事IPの勝ち。
くそーってことで、『「考える」という病の回避方法』を試そうとするわけです。
…が、たとえば「私は家事をしたくない」。「やりたいことがない」。←これは、IP?IC?なにをどうすりゃいいんだ~。
そこには、「親に愛されるためには自律してはいけない」という人生脚本が、ひそやかに、しかしでーんとあったりします。家事ができたり、やりたいことがあったりすると自律に向かってしまいます。でも、それは親に愛されなくなる道。できたり、やりたいことがあったりするのはダメなんです。しかし、何もできない道を意図的に目指すのは人生辛すぎます。だから、自分が主体的に「したくない」という選択をしたんだというポジションに身を置くのです(合理化)。つまり、自分に嘘をついてるんですね~(親に愛されたいために、自分をごまかしてまで茨の道を歩く…なんて健気なんでしょう)。
で、試しに思いこみをサラにしてやってみると、「あら、楽しい! もしかして私料理好きかも」ということもあるのです。まずは、ともあれ動いてみること。
■心の中に答えはある-----------------------------------------
ところで…ここだけでもIP、IC、人生脚本など出てきましたね。
「考高感低」の方は、心理学を学び自己分析をする際に、これはIP?これはIC?これは脚本?と得てして迷路にはまりこんだりします。はい、ここでもIPや脚本が、自分を行動させないために思考の迷路に自分を誘導しているのですね(手強いですね~)。
このブログでも、説明をするためにIP、IC、脚本などと言っておりますが、それは気づきを促すために書いているわけであって、それに囚われる必要はありません。当ブログの掲載事例や上記に挙げた合理化の事例も、ヒントとして掲載しているのであって、そうではない事例もごまんとあるでしょう。ですから、囚われる必要はありません。
簡単な話、親から愛情豊かに育てられた人は、学問一つ知らなくても自律して生きていけるのです。そういう自律した世界に行けば、このような説明ははなから不要なんです。
逆に、たった一つの気持ちを伝えるのに、数日から数ヶ月に渡って大仕掛けをし、いろいろな人を巻き込み、しかし結局、その本当の気持ちは伝わらない―そういう事例を私は多々見てきました。自分の気持ちにアクセスでき、素直にそれを表現できる人が一瞬でできることを、そうではない人は、場合によっては一生かかってできないことさえあるのです(人生ってなんなんでしょうね~)。
気持ちを抑圧している人、存在不安の強い人は、思考や理屈の世界、白黒ハッキリの世界に向かいがちです。それは致し方のないことなのですが、理屈の世界にはまりこんでしまうと、いつの間にか自らが築いた理屈の壁に囲まれてそこから抜けられなくなってしまいます。
自分が理屈や論理が好きだと感じたら、理屈から遠ざかる努力をしてみてください。白黒ハッキリすることが好きだとしたら、ハッキリすることにあまり意味がないことに気づいてください。そして、あいまいなことの豊かさに気づけるとよいと思います。
まぁ言いたいことは、すべてのことにおいて、「いい加減」「いい塩梅」でマイペースで生きましょうということ。答えは、このブログをはじめとして書物の中にあるのではありません。自己洗脳を繰り返すあなたの頭の中にあるのでもありません。
あなたの心の中にあります。
■背骨に見合った分の感情が出てくる------------------------------
さて、嫌なことは断り好きなことをやって背骨ができてくると、ようやくICが感情として出てくるようになります。夢の世界から、起きている日常の中に出てくるようになるんですね。
さして考えなくともできる家事や、リラックスしてできる趣味や散歩など、頭を働かせずにボーッとしたり体を動かしているときに不意に感情が出てくるようになります。
感情はエネルギーがありますので、その感情を受け止めるだけの背骨がなければ出てきません。ですから、背骨に見合った分の感情が出てくるようになるわけです。
ということは、背骨ができればできるほど大きな感情が出てくるようになりますから、「死にたい」「殺したい」「孤独」「好き」という4大感情は後の方に出てくることが多いわけです。ですから、感情が出始めるに従って、ますます苦しい感情に苛まされるように思えますから、一見悪化していくように思えます。が、それは自分がそれだけの感情を受け止められるくらい強くなった証だし、順調に心のコップに溜まっていた感情をはき出している過程なのです。
封印していた過去の記憶がフラッシュバックして出てくるようになると、それはとても辛いことですが、実は回復過程に入ったと言うことなのです。
・フラッシュバック
■気持ちをかき立てられたときが、自分と向き合うチャンス---------------
また、日常の中で、配偶者や子ども、友人などの言動にイラッときたりモヤッときたりすることがあると思います。あるいは、ちょとした言動に強い怒りを覚えたり、激しい言い争いになったりすることもあると思います。実は、そういうときこそが自分の中に入っていくチャンスなのです。
そういうときに、その激情を直接目の前の相手にぶつけるのではなく、「この思いと同じ事が過去のどのような出来事の中にあったのだろう」「今言いたいことと同じ言葉を、本当は誰にぶつけたいのだろう」―と、自分の記憶の中にダイビングしてみてください。
自分の中に奥深く潜っていけば、恐らくそこに、親と自分とのなんらかの出来事があると思います。そうやって、その思いにたどり着き、その思いを十分に味わうことが、その思いを救うことになるのです。
“救われていない思い”は、その“思いを遂げる”ためにゲームを仕掛け続けます。でも代償行為ですから、結局思いを遂げられず、ゲームを繰り返す人生を歩むことになります。が、自分がその思いを救ってあげることができれば、その思いは解放され、ゲームではないオリジナルの人生を歩むことができるようになるわけです。
ですから、自分が何らかの気持ちをかき立てられたときは、その相手が自分にICを救い出すためのチャンスをくれた恩人だと思ってください。その結果、自分自身の人生が救われることになるのですから。
■とりあえず、やってみよう---------------------------------------
ごく大まかに言えば、このように流れていきます。
ですから、自分と向き合わなきゃと、「ねばならない」で頑張る必要はどこにもありません(←そこにIPの罠があります)。
「気持ちを大事にして生きる」
ことを、「今」から始めるだけでいいのです。
難しく考える必要はありません。
ただ、「これは好き? 嫌い?」と常に自分に聴いてみる―それだけでいいのです。聴いてみて分からなければ、やってみればいいのです。やってみて始めて、「やってよかった」「あぁこんなもんか」―そういうことがわかります。それでいいのです。それが、自分と向き合うということなのです。
(PS)
そうそうNHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まりましたね。私も自分の思いを大事にして生きてきましたので、周囲との軋轢も多々ありました。孤立無援になったときに胸中常に唱えていたのが下記の龍馬の言葉です。皆様にもお贈りします。
「世の人は我を何とも言わば言え 我がなす事は我のみぞ知る」
あなたのIC(インナーチャイルド)から、あなたへのメッセージです。
私=IC、キミ&アナタ=あなた、の置き換えて聴いてみてください。
『言葉にならないほどの想いを
どれだけアナタに伝えられるのだろう....
ずっと閉じ込めてた
胸の痛みを消してくれた
今 私が笑えるのは
一緒に泣いてくれたキミがいたから
1人じゃないから
キミが私を守るから
強くなれる もう何も恐くないヨ....』
『自分だけのSTORY
作りながら生きてくの
だからずっと、ずっと
あきらめないで....』
【AI 「Story」】
・縮こまらないで20代
・親の期待に自分の人生を売ることなかれ
やめた!
「自分と向き合う」ってどういうことでしょうね」 簀巻きのように(笑)直立不動で、手がしびれて目が覚めていた少し前の私。 集団に追われて恐怖に怯え銃で何度も撃たれて死んだ夢を見た昨日の私。 「でも、好きなことだけやって楽しんでいていいんだろうか? ... ...