家族の再生は、ICに「ありがとう」を言うことから始まる
『けれど、いろんな問題や悩みを抱えておられる方たちに、迂闊に物を言えないのではないか、私自身が思い込みが激しいだけに、まだまだ気持ちを出せない私がこんなコメントをしても大丈夫かなあ』と、心配されていらっしゃいます。
『まだまだ気持ちを出せない』―気持ちを感じる経路が閉ざされていた方でした。生まれて以降外に出されずに蓄積され続けてきた感情は、肉体の中に強引に収めるためにコンプレッサーで圧縮され、硬質な黒く重い塊となり、やがてその自らの重力で核融合をし始め、真っ赤なマグマがその黒い塊の表面に亀裂を走らせている―今にも、ビッグバンを起こす寸前のブラックホール……私が感じたのは、そういうイメージでした。
しかし、それほどの巨大な感情エネルギーを本人は感じることができない。ただ、息をするのも苦しいだけ。そして、脈絡なく「刺す」という単語が脳裏にポッと浮かんでは消える。まるで、その黒い塊から、経路を通らずテレパシーのように脳裏に送られてくるかのようでした。
その塊を胸の奥から取り出したい。ラクになれるのであれば、胸を突き刺すことも怖くはない―ちょっと揺らすとその瞬間に大爆発する爆弾。そういうギリギリの崖っぷちに立っていた方でした。
カウンセリングを始めると、感情の代わりにイメージがどんどん展開しました。特殊能力でした。恐らく、感情にアクセスした瞬間に壊れるおそれがあったのでしょう。ダイレクトに感情を出すのではなく、まずはイメージとして出していく。自我防衛システムがそういう方向を取らせたのかもしれません。
しかし、来る日も来る日も荒唐無稽なイメージが展開していくのを追い続けることも、相当なエネルギーが必要でした。荒唐無稽に見えてそのすべてに意味があるので私には面白いのですが(失礼 ^^;)、わけのわからないことを深層心理から強制的に見せられる本人にとってみれば、苦行以外の何者でもありませんでした。
そういう苦闘の中、お子さん達が変わり、ご主人が変わり、今ようやくICの感情とアクセスしようかというところへきつつあります。その現時点での現況報告です。皆様のご参考にもなると思い、掲載させていただくことにしました。
感謝申し上げます。
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いつも、皆さんのコメントに勇気づけられています。
自分と向き合い心の問題に気づくということは、1歩踏み出すまでがなかなか大変なんだなあと、日頃、周りの方々を見て思います。私自身もそうでした。
けれど、それができるとできないのとでは全然違う。
子どもにまで影響してしまう怖さを思います。
まだまだ未熟ですが、身近なことだと思いますので、私自身の今までの後悔の念を込めて、中尾先生に教えていただいたことを少し伝えさせてください。
中尾先生のカウンセリングを受けて2年になります。
初めて先生にお会いした時、子どもに対しては、口をついて出る言葉を飲み込むよう言われました。翌日から気をつけました。
黙っていて、仮に子どもに不登校や引きこもり、その他様々な問題が出てきたら、それは全て、今まで子どもを苦しめてきた私の責任だと覚悟しました。
そして、そうなった時は、世間体も常識も捨てて、子どもを否定しないように、一緒に寄り添っていなくてはと思いました。
先生は一言も私を責められなかったのに、私はカウンセリングの翌日から1週間、自分の罪を思い、涙が止まりませんでした。
私は本当に、鬼のように厳しい母親でした。
『早く起きなさい。』
『ご飯をしっかり食べて。』
『顔洗った?』
『靴を揃えて。』
『早く寝なさい。』
『ゲームはダメ。』etcetc…
言わなくなると、子どもたちは最初は不安だったようです。
それでも子ども達2人は10日間、ゲーム漬けになりました。
何かに取り憑かれたようにゲームに向かい、声をかけても気づかない様子。
それも深夜まで。私たちが寝てしまってもまだやっていました。
不安ではありましたが、それでも子どもたちは、自分のことを自分で判断して行動していました。
私が口を出す必要なんかなかったんだと思いました。
そしてそのことに、一抹の寂しさと物足りなさを感じました。
―存在不安ですね。(>_<)
子どもに対して口をついて出ていた言葉は、私が子どもの頃から母に言われてきた言葉。私自身の意志で、子どものために良いと判断して発した言葉ではありませんでした。
必ずしも言う必要のなかったその言葉の数々で、どれだけ我が子を苦しめてきたことか。―そう思うと、言葉を飲み込むことは、私にとって”我慢”ではありませんでした。
心配する主人と、
「騙されたと思って、1ヶ月だけやってみよう。それが失敗だったらまだやり直しはできる。」
と話しましたが、さらに、
「もう3ケ月やってみよう。」
―そして2年が経ちました。
もちろんその間、私たち夫婦も自分と向き合うことをやってきていますが、子どもたちも、親に対してイライラを出し、怒り、暴言を吐き、必死に自分と闘ってきたことと思います。その間の子どものつらそうな顔は親として本当に耐えがたく、今思い出しても涙が溢れます。
子どもたちのそれほどに溢れるような思いを全て、
それまでの私は抑えつけてきたのです。
子どもの気持ちにも、
曇った表情にも、
作り笑顔にも気付かないで・・・。
まだまだ我が家は発達途上。
私自身の課題も山積みです。
けれど、
子どもの表情からはギスギスした様子がなくなり、
イライラも穏やかになり、
親に暴言を吐きながら嬉しそうに笑っています。
パンクして気持ちをぶつけることもありますが、切り替えが速く、ケロッとしています。私たちを労わってもくれます。
夫婦げんかもめっきり減り、家族みんなが心のコップのメカニズムを理解し、世代間連鎖を思い、カチンときても、気持ちの本当の矛先がお互いに分かっているので楽です。(子どもの矛先はもちろん、親である私たちです)
小~中学生の3人の子どもたちは今日から3学期です。
冬休み中、親は、勉強・お手伝い・不摂生etc、一切口出ししませんでした。
やりたくなかったら、無理にやらなくていい。
ありのままの心でいられれば、誰に言われなくても自ずと出来るようになる。
お友達と散々遊び、部活に精を出し、ゲームにテレビ、昼夜逆転するほどの夜更かしをして、最後の2~3日で徹夜して宿題を仕上げ、今朝は満足気に出かけて行きました。(宿題も、やりたくなかったら無理にしなくていいと言いましたが)
以前の生活からは考えられません。
すべて私が制限し、きちんとした生活を崩すことを許しませんでしたから。
けれど今、なによりも、子どもたちのその焦りのない、落ち着いた表情が、私たち親の宝物です。
そして、自分で判断して行動した全てのことが、本人たちの糧になると思います。
今まで、いろんな経験をさせてあげなくて、制限ばかりしてごめんなさい。
大切なことだったのに。
せめてこれからは、思う存分に自分の思ったように行動して生きてほしいと思います。それが生きる力なんだと、心から思います。
(いつも先生が言われるような言葉が出てきたことが、自分でも意外です。)
この2年で、私たち夫婦は、人にとって一番大切なものは何かということを感じられるようになりました。
心を大切にすること。
一人一人の人権が尊重されること。
口出しせずに見守ること。
今までの価値観とは180°違いますから、それができるまでには時間がかかります。
IPも強いですし、ICがパンクすることもあります。
けれど、今私たちが目指していることに間違いはないと信じられます。
気持ちを出すことを知らなった私の40年余りを、
子どもを苦しめてしまった大切な10年余りを
この数年で取り戻せるのなら、
そして、
家族みんなが本当の幸せを得ることができるのなら、
こんなありがたいことはないと思っています。
そしてできるなら、いずれその幸せが、地域に、社会に波及しますように。
皆が楽に、穏やかに生きられますように・・・。
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以上がメッセージです。
combさんのコメントにもメールをいただいておりました。
『「自分と向き合う」ってどういうことでしょうね』のcombさんのコメントを読んで、また泣けて泣けて仕方ありませんでした。私も同じ。さぞかしおつらいだろうと思います。けれど、妹さんの裁判を通じて、よくご自分のことに気付かれたなあと、尊敬します。
家族になかなか解ってもらえないことは、きっと本当につらいだろうと思います。それでも、子どもを受け止めるのは母親でなくちゃと思います。母親に受け止めてもらえない苦しさは、私たちが一番よく分かっている。母親が受け止めてくれたら、親にぶつけられたら、こんな思いはしなくてもいなくてもいいのだから。 その気持ちはきっと子どもも同じ。』
気づいた親は、みな同じ思いを抱いています。自分を責め、子に借りを返したくて償い(軌道修正)を急ごうとします(私もそうでした)。しかし、借りを返すことは親がラクになるだけのこと。自分が犯してしまった間違った結果を見ないようにしたいだけのこと。子は違う形で追い立てられることになります。
親が自分自身を責めることを子は望んではいません。
子はただ分かってほしいのです。
分かってもらうためには、親がICを救わなければならないことを子は知っています。だから、親が自分を救う決意をしたときに子は喜ぶのです。
折しも今日、自分を救うために一人家を出てアパート暮らしを始めるお母さんからお電話をいただきました。お母さんがおかしくなったと大反対していたお子さんが、お母さんが決意し行動したとき優しい笑顔になったそうです。その笑顔の意味がお母さんには分かりかねました。子は母親の決意が本物かどうかを無意識に試していたのですね。この優しい笑顔が子の本当の心なのです。
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でも、自分の親には受け止めてもらえない。
自分にできても、親にはできないこともあるのです(時代背景も大きく異なります)。そのときどうするか。以下も、この方の最近のお便りからです。
『優しくしてほしかったのはいつの私だろうと、頭の中で捜しに出かけてみました。すぐに、小学生のころの私が浮かびました。夜寝る前に、ベッドの上に座ってお祈りしている私。
「幸せになれますように。
いい子になりますように。
我慢できる強い子になれますように。」
思わず涙が溢れ、抱きしめました。
「もういいよ。そんなことしなくても大丈夫だよ。必ず幸せになれるよ。」
それでもその子は私に気付かず、全身をコチコチにしてお祈りしています。
(イメージというよりは実在の私です)
親に叱られても自分が悪いと心から思えない自分が不安で怖かった。
どうしたらいいのか分からなかった。
反省できない私はおかしいんだ、いい子にならなくちゃ。
私は甘やかされてきたから我慢が足りないんだ。
・・・でも、どうしようもなくて、怖かった。
お行儀よくしてお祈りしないから、神様に届かないんだ。
すぐに気が散ってしまうから叶わないんだ。
そう思って、ベッドの上で正座して、一生懸命手を合わせていました。
泣きながら祈った日もあったと思います。
最近聞いた歌の一部が頭の中で流れました。
♪もっともっと頑張らなくちゃ でも僕の心は息切れしてた
「時には立ち止まり 疲れたその羽を
休めなさい 休めなさい
君はまた 飛び立つのだから」
【aqua timez 「ハチミツ」】
私たちは、そんな親じゃなかったなあ。そんなホッとできるような思い出、私にはないなあと思うと、何とも言えない気持ちになって涙が出ます。
『完璧じゃなくていいよ』『カッコ良くなくていいよ』
そんなホッとするような優しい言葉を、私がかけてあげなくちゃ。
苦しかった小さな私を思い出し、涙が溢れてきます。
「貴方が悪かったんじゃない。責めないで。苦しまないで。親のいうことがきけなくたって、悪くなかったんだよ。そのままで良かったんだよ。でも、誰にも受け止めてもらえなくて、苦しいね。つらいね。言うこときかないと、許されなかったもんね。居場所がないよね。」
こんな苦しい思いに、よく耐えてきたなあと思います。
そして、幸せになりたいと、その方法さえ分かればと、希望を捨てずにいてくれた私に、頑張ってくれてありがとうと思いました。』
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子は、あなたが自分自身を責めることを望んではいません。
あなたが自分を責めている間、子はなおもまたあなたを背負い続けることになるからです。
あなたが自分を責めて喜ぶのはIPだけ。
子どもは悲しみます。
子を自分から解放したいのであれば、
あなたがIPにかまけず、自分で自分のICを背負う決意をすることです。
あなたがICと向き合う決意をし、その決意が行動という形で子に見えたとき、子ははじめて安心して、あなたを背からおろすことができるのです。
どうか、自分を責めないでください。
あなたは、その環境の中で精一杯頑張ってきただけなのです。
あなたに責められるいわれはどこにもありません。
自分を責めるのではなく、自分を許しましょう。
そして、自分を支えてきてくれたICの労をねぎらい、「ありがとう」を言いましょう。
家族の再生は、
あなたが自分を責めることからではなく、
あなたが自分(IC)に「ありがとう」を言うことから始まるのです。
小さい私へ―
よく頑張ってきたね
ほんとに、よく 頑張ってきたね
辛かったね。泣きたかったね。哀しかったね。
でも、ポーカーフェイスで、素知らぬ顔でやってきたね。
ここまで私を支えてくれて、ありがとう。
心から、ありがとう。
もう、頑張らなくていいんだよ。
自分を責めなくていいんだよ。
大人になった私が見守ってあげる。
だから、もう一人で抱え込む必要はないんだよ。
ゆっくりお休み。
今はただ、見守られてゆっくりお休み。
何者にも縛られない気持ちのいい朝が待っている。
だから、今はゆっくりお休み。
ありがとう