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神戸新聞の7日間―「思い」が人を生きる勇気へと導く

2010/01/17(Sun) Category : TV.本.漫画
「神戸新聞の7日間」を見た。
15年前の今朝5時46分、マグニチュード7の揺れが兵庫県南部を襲った。それから7日間の神戸新聞の動きを追ったものである。

家の下敷きとなって父親を亡くされた販売店の家族が、家族総出で新聞を配る…。路駐していた車の窓をいきなり叩かれ、窓を開けた男性。
「買わなくていいから読んでください!記者さん達が決死の思いで記事にしたこの新聞を読んでください!」
そう言って、新聞を手渡された。

苦難の壁を乗り越え、やっとの思いで形になった紙面。
薄いけれど思いの詰まった紙面。
目を通す内に涙で見えなくなる。
その場面で、その男性とともに涙があふれた。


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思いは隅々にまで伝わる。まるで集合的生命体のように。
そこには、困っている人たちに情報を伝えたい、絶望している人たちに希望をつなぎたい―そう言う思いが編集長から新聞配達の人たちにまで貫かれていた。

救出のさなかにカメラを向ける葛藤、被災者を被写体とする葛藤。
しかし、孤立化している人々は新聞を読んで他の地域のことも知る。生活情報を知る。事実を伝えなければならない―そういう葛藤と闘いながらの新聞作りだった。

やがて紙面は、人々の復興への動きを伝え始める。それがどれほど人々を勇気づけただろうと思う。希望が伝播していっただろうかと思う。神戸復興の原動力に神戸新聞の果たした役割は大きなものがあるだろう。それを支えた京都新聞の支援もあっぱれだった。


人の動きを人が感じ、その思いを紙面に伝える。
その伝える目的は何か?

それは、「希望」を伝えるため。
ここにこそ、真のジャーナリズムがあると感じた。

私も同じ。こうして記事を書くのは、希望を伝えたいから。
人には可能性があるから。


----------------------------------------------------
『制作過程でもっとも悩んだのは、この番組を放送することが、被災者の方々に、再び思い出したくない辛い記憶を思い出させることになるのでは…ということでした。けれど、神戸新聞のある方は、こうおっしゃいました。「辛い記憶を思い出させることもあるかもしれない、でも、震災の記憶は絶対に風化させてはいけない」その思いを信じて、ようやく放送の日を迎えようとしています。』
http://wwwz.fujitv.co.jp/kobe/staffcomment.html

プロデューサーの言葉である。

…今朝のテレビで、阪神大震災で次女を亡くされたお母さんが15年ぶりに修学旅行ビデオを見るドキュメントがあった。この15年間、ひたすら前を向き続け忘れようとした過去。

しかし、忘れてしまっては過去は救われない。
辛い過去と向き合ってこそ、はじめて自分が救われるのだ。
新たなスタートが切れてよかったなぁと思う。

焦る必要はない。
ゆっくりとでいい。
でも、向き合うことができる時期が来たら、逃げずに向き合うことが大切だ―自分を真に救うために。



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今朝の新聞に倒壊した民家の前に張り紙をした当時小学校2年生の女の子のことが書かれていた。

学生と支援物資を持って神戸に向かう大学教授の父についていくことになった小2の女の子は、自分にできることがないか考えた。そして、避難所の体育館の様子を見て、「地震でつらい目にあったお友達をぎゅっと抱きしめてあげたいな」と思った。その思いを言葉にした。

『地しんでお家(うち)をなくしたお友だち しばらくの間 わたしの家に来て下さい。京都市立葵(あおい)小学校2年 大石彩未』

上記は、「こんな小さな女の子が何とかして困った人を助けたいと思っている」と心を打たれた箕浦太一郎さんが撮った写真だ。箕浦さん同様に、この貼り紙を見て勇気づけられた人もいただろう。


社会が崩壊したとき、街が死んでしまったとき、
その瓦礫の中に残されたものは、ただ人々の思いである。

社会システムや組織が自分を守ってくれるのではない。
人々の思いやりが、崩れ落ちそうになる自分を守ってくれる。

神戸新聞の人々が、小2の女の子が、示したもの。
それは、ただ率直な「思い」だけが人を生きる勇気へと導いていくと言うことだ。


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マイミクの方が、その日広島青年会議所メンバーからの支援物資を積んで、「救援物資運搬中」とかいたトラックを走らせた。

『目的地は長田地区です。目を覆いたくなるような惨状と、鼻を突き刺すよな焦げた匂い。直線ですすめば、すぐの距離を、迂回して迂回してすすみます。メイン道路は片付いていましたが、路地に入るとそのはまだ地震直後の様相でした』

彼と仲間は、ドラム缶を改造した大型コンロで炭をおこし、金網をのせて焼き肉・焼き魚・焼き牡蠣を焼き続けた。疲れを全く感じない。長打の列を作る被災者の方も、誰一人として割り込んだり、文句を言う人はいない。

数時間して隣にいたメンバーが「お前 なにを 言いよるんや!」と言う声が聞こ、ふとわれに返ったとき、口をついて出てきた言葉が
「ありがとうございます」 「頑張ってくださいね。本当にありがとう」

学校を出るときも子ども達が手を振って「ありがとう!気をつけてね~」と声をかけてくれ、その時も子ども達に「ありがとうな!」。

彼は帰路、なぜ「ありがとう」と言ったんだろうと考えます。
そして、こう書かれています。

『食事を手渡しながら、多くの方々からの感謝の言葉をいただきました。私がお渡ししたのは「食事」ですが、そのお返しに「感謝」という気持ちをたくさん、沢山いただきました。 
そのことに「ありがとう」と言葉が出たのだと思います。
その感謝の気持ちをいただいたことで、疲れを感じずに、笑顔で動き続けることができたのかと思います。』




----------------------------------------------------
社会が崩壊したときに、人々は社会システムに埋もれて見えなかったものが見えた。慌ただしい中で身過ごしてきた大切なものに気づいた。

それは、生きる上で何より大切なものは「思い」であるということ。
思いを率直に伝え合うこと。
思いで行動すること。

思いの行動には感謝が返ってくること。
感謝は人のエネルギーを相互に高めていくこと。
生きる原動力であること。

そして、それができるようになるために 
現実に目を背けないこと。
過去に目を背けないこと。

自分に感謝を。
そして、自分の思いを大切に。






【PS】
マイミクの方より、神戸で歌い継がれている歌をご紹介いただきました。小学校の先生臼井真さんが被災後2週間の間に作り、神戸中に広がっていきました。今や台湾、イラン、アルジェリアなど海外でも歌われているそうです。
Cooley High Harmony



【 Cooley High Harmony 「しあわせ運べるように」】


『亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう』

…そう、
亡くなった人の分まで自分が背負い込むのではなく
自分を大切に
生きていきましょう








【追記】







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■皇太子殿下が賜られたお言葉要旨 震災15年追悼式典-追悼15周年の番組をみていて考えたこと

こんにちは。昨日は、震災15年追悼式典が行われました。震災でなくなられた方々の、ご冥福をお祈りさせていただきます。昨日は皇太子殿下が賜った有難いお言葉などを頭の中で反芻しながら、いくつかの追悼番組を見ていました。いくつかの番組をみて、私としては一番感動したのが一昨日放映された「神戸新聞の7日間」でした。これを見て、地方新聞の重要さを改めて再認識されました。最近、アメリカでは地方新聞が次々と廃業しています。日本もすぐにとはならなくても、廃業に追い込まれるところも出てくると思います。地方新聞の存続は難しいですが、何か方法を考え、市民も参加すればできないことはないと思います。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。

 

満月の夕(ゆうべ)

夫の転勤で、当時、西宮の社宅に住んでいました。
明け方、2才を少し過ぎた長男が「喉が乾いた」と目を覚ましたので、起きあがって布団に座り、枕元にあったお茶を飲ませていました。
その時突然、ドン!と突き上がり、あとはトランポリンの上に座っている状態で、息子を掛け布団の下に入れ、ただただ収まるのを待っていました。
幸い活断層からはずれていたので、建物には大した被害はありませんでしたが、数分毎の弱い余震と、1日に数回の大きな余震に、気が休まるときはありませんでした。
1日に三回、ご飯を炊きおにぎりを作り、避難用のリュックに詰めました。昼には朝作ったおにぎりを、夜には昼作ったおにぎりを…冷たくカチカチになったおにぎりを、食べました。
あの“冷たさ”は、今でもカラダの記憶として残っています。
ああいう極限の時、いちばん欲しいのは“ぬくもり”でした。温かい食べ物、暖かい部屋、温かいお風呂、人の温かい気持ち。そんなぬくもり達が…とても欲しかったし、それらが得られたときは本当に嬉しかったです。


15年目の今日の月は
細い細い、三日月でした。
15年前の今日は…満月でした。
被災から3週間後、被災地を慰問ライブをしてくれていたソウル・フラワー・モノノケ・サミットが…
被災者の方が呟いた「満月が恐い…」という言葉を聞いて作った歌…
『満月の夕(ゆうべ)』。
やりきれないけど、チカラが湧いてくる…そんな歌です。

解き放て いのちで笑え
満月の夕

 
    
 
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