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ネットという世の中を見る窓(ブラウザ)のあり方から思ったこと

2010/01/25(Mon) Category : 見方・考え方・価値観-パラダイム
Win7には当然のようにIE8がついてくるのだが、IE8で自分のブログを見て驚いた。ノートパソコン買い替えの記事―なんと、縦横のスクロールバーが勝手についている! なにこれ?

以前も横スクロールがついている記事があったとIE7を使っている妻から1度だけ聞かされたことがあったが、原因不明。今回は結構横スクロールがあって、これじゃあ記事読む気にならないなぁ…。ネットで調べると、そのようなバグがあるようですね(尚、どうしていいかわかりませんので、読みづらい方はごめんなさい)。


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OSやブラウザなど、土台となる仕組みは、あの重量力士達が存分にぶつかり合って暴れてもびくともしない土俵のように磐石でシンプルでなければならないと思う。シンプルだからこそ、その上で多彩なぶつかり合いができるし、多様なドラマを生み出すことができるのだ。

ブラウザから見る眺めは、どのブラウザから見ても同じでなければ、ネットの世界を見る透明な窓の役割を果たさない。Firefoxから見て正常であっても Internet Explorerから見てスクロールバーがついていれば、IEしかしらない人にとっては、その記事には最初から訳のわからないスクロールバーがついていることに等しい。コメント欄など枠からはみ出していた。

ブラウザという“窓”がゆがんでいるのだが、そのことを知らない人にとっては、そのゆがんだ窓を通して見た世界が“事実”だと思ってしまうのだ。


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このことは家庭環境についても言える。
親が子どもの土台である。
親という土俵がシンプルで磐石であれば、子どもはその上で存分に力を発揮することができる。そして、土俵の上で大いに遊びながら、体は土俵というもののあり方(Be)を身につけていく。土俵が世界であるから、そこで身につけるものは、ものの見方考え方感じ方―それらすべてである。そして、それらを身にまとったまま外に飛び出していくのだ。

その土俵が歪んでいるとしたらどうだろう。
たとえばFirefoxという土俵では普通に見えるコメント欄が、IEという土俵から見るとはみ出ている。コメント欄のあり方は同じでも、片方は土俵の中に収まり、片方は土俵からはみ出ている。つまり、子どものあり方は同じでも、片方の親から見れば“はみ出しもの”になってしまう。すると、その子は自己防衛のためにスクロールバーなどを勝手につけて窮屈に自主規制しなければならなくなる。そして、自分を見せるためにあっちへ行ったりこっちへ行ったり(スクロール)して、うろうろすることになる。

家庭という土俵で身につけたその処し方で世間に出ていくわけだから、生きにくいことこの上ない。IEというブラウザでネットの世界を見るように、IP(インナーペアレンツ)というフィルターを通して社会を見ることになるので(本人が気づいているにせよ、いないにせよ)大変なのだ。


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環境とは、このように知らない間に自分のあり方を規定しているものだ。そして、それに気づくことは、水槽にいる金魚に「あなたの周りには水があるんだよ」ということを気づかせることくらいに難しい。

理想の環境は、魚にとっての水や人にとっての空気―そこにあることを感じさせない。水質汚染や大気汚染で、それがそこにあることがわかるようになると、生きているプロセスのすべてにどんとのしかかってくる。

自己主張してくるOSやブラウザは、サービス過剰で重たい。まるで「お膳立て症候群」の親を見るようだ。


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私は、自分を取り巻く“環境”について気づいてもらうことをしているけれど、それは気づかなければ持たない、というその人のICの声が聞こえるからそうしているわけで、気づくだけで一挙に解消していく気持ちもあれば、返って浮き彫りになってくる気持ちもある。だから、気づいた後はその人の流れで変わっていくしかないし、それでいいと思う。

これまでの経験から言えることは、どんなことに対しても、ゆっくりと焦らずに、自分のペースで一歩一歩歩いていくしかないということ。愚痴りたい気持ちは大いに愚痴り、嘆きたい気持ちは存分に嘆き、羨望も恨みも憎しみも表現して、そうして歩きながら、少しづつフィルターの汚れを取り除いていって、曇りなき目で自分を見られるようになるといいな…。

ネットという世の中を見る窓(ブラウザ)のあり方から、いろいろと思考が浮遊してしまった。どのブラウザがいいよということではありません(念のため)。




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社会の縮図のようですね。

中尾先生、こんにちは。

記事を拝見してブラウザの状態が社会の縮図のように見えました。

わたしもMojila FireFoxを使っていますが、Internet Explorer(IE)の表示の癖に嫌気がさしてFireFoxに乗り換えたのが数年前ですが、嫁さんの長年のIE慣れと、WebサイトによってはIEでしか利用できないサービスなどが多く、やむなしにIEを消せずにおります。

で、ふと思ったのですが、Windowsパソコンを買ったら100%標準装備されているので利用者の数は断然IEが今でも多いと思います。

ところがそのIEは長い間、インターネットの世界の標準規格から外れたままです。
(この規格は、どんなOSやブラウザで表示しても同じように表示できるようにするための規格です。)
Web製作の仕事をしている時、これが悩みの種でした。
・Windowsでは表示できてもLinuxでは体裁が崩れる。
・W3Cの規格どおりに作ってもIEでは体裁が崩れる。
という様なことがよくありました。

しかし現在、市場を占めるのはIE。

なんだか
「世の中の標準と思われている事柄が、必ずしも正しかったり、良い訳ではない。」
と云う状態と似ていると思いました。

工業製品は、人が創るものだけに、創り手の設計思想が強く反映されるものだと思います。

わたしは、長く技術屋で関わっていたので、コンピュータや自動車からは特にその設計思想を感じやすいのですが、
「気軽で手軽で便利」ばかりを求めすぎて、本質を外しているものも多くあると思います。

ここ数年、おせっかいなコンピュータや自動車は益々増える傾向にありました。
先生の仰る"「お膳立て症候群」の親のよう"は絶妙ですね^^;)。

望んでも居ないのに「勝手にあれこれ」がじつに多いと思います。
コンピュータなら、メッセージ、ガイダンスがスパムメールのようにOSからソフトウエアから飛び出してきますし、
クルマも今や、安全を差し置いてドアが勝手に開いたり閉じたり、音も無く発進したり(電気系自動車)。

こういうものをメディアが祭り上げて、無意識にそれらの活字や映像を受け入れていくうちに、人間の「感」が鈍っていくんだろうなぁと云うことを常々感じています。

機械技術の進歩と、人間の進歩が乖離しつつあるように思っています。
そして、その乖離が酷くなった結果、「事故」に繋がっているようなことも多くあると思います。

単純な例ですが、ここ15年のパソコンの普及で、
「難しい漢字は読めるけど、単純な漢字でも書けない時がある」
人が相当増えたようにも思います。

これって機械は進歩ですが、人間は退化しているような気がします。

 
    
 
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