DV加害者は変われるのか?(4)―「身体に聴け」
2006/04/03(Mon) Category : DV(ドメスティックバイオレンス)
DV加害者を変えるための4ポイント。
1、被害体験(ロールプレイ)
2、被害者の生の声
3、仲間との支えあい(ピアカウンセリング)
4、自分との直面化(半生の棚卸し)
4の事例。
子供を虐待してしまう母親。なぜ虐待するのか自分でも分からず苦しんでいた。が、この状況がそのままこのお母さんを現している。
自分で分からないままに行動しているということは、理解しないままに体得しているということである。歩き方をいちいち頭で理解した上で歩き始めるのではないのと同じだ。
だから、苦しみから抜けるためには、なぜそうしているのかを理解しなければならない。
そのためには、「身体に聴け」。
例えば、上の例で言えば、自分の人生の棚卸をする中で見えてくるものがあった。
それは自分が育った家独自のルールである。独自のものである限り、いずれ社会常識と照らしてどこかおかしいと思う部分が出てくるだろう。その時に反旗を翻されないように、たとえどんなことがあっても親のいうことが絶対であることを身体に覚えさせる。
つまり、ルールを押し付けようとする側が、真っ先に有無を言わさず身体に叩き込もうとするのは、上下の関係である。誰が上で誰が下か。上には絶対に逆らうことが出来ないことを身体に教えるためだ。
一旦身体が覚えてしまえば、理屈や感情がどんなに反発しようとも逆らうことが出来ない。理不尽な思いやわだかまった気持ちを抱えながらもそれに従うことになる。
これは、ルールを押し付けようとする人間が本能的にすることと言ってもいいかもしれない。本能だから、倫理の問題を超えている。家業を守るために必要なルール―いわば「家」のために「人」が犠牲になったのである。
ここで気がつかなければならないのは、生きることが目的で家業は手段だということ。ところが手段であるはずの家業を守ることが目的化し、そのために人が服従するという「目的と手段の逆転」現象が起きている。が、そのようなことに気づく人は残念ながらほとんどいない(社会にも会社にもこの逆転現象は蔓延している)。
そして時代は移り、そこで育った子供は母親となる。家業はなくルールの押し付けはもはや必要ない。しかし、上から言われたことには逆らわない「絶対服従」という姿勢が身にしみついている。
ということは、「絶対服従」という掟に縛られ続ける限り、今度は自分が支配者に立場が変わったときに、その掟に従い自動的に相手を支配するようになるということだ。
そして、支配に従わなければ、それだけで理由を問わず怒りがわいてくる。なぜ怒りがわくのか分からずお母さんは苦しまれていたが、身体に染み付いたこの掟がその怒りの根源なのである。性格や人格ではない。
このように支配と被支配の関係は同じルールの中で動いている。異なるのは、世代間連鎖の中で、その支配と被支配の立場が入れ替わるということだけなのだ。
この立場の入れ替わりは、その立場が入れ替わった瞬間に無意識のうちになされてしまう。というか、掟に従って自動的に支配者になってしまう。虐待を受けた方が、無自覚に子供を虐待する場合、このような掟に無意識に従っている場合がある。
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例えば、このようなことを解き明かしていく。それが腑に落ちたとき、その人は変化をし始める。
この段階では、信頼のおけるカウンセラーとの協働作業による心理分析が必要になってくる。留意しなければならないのは、心理学理論の枠組みを押し付けてくる心理学者。救いにならない。押し付けを感じたら逃げること。
以上、4つのことは時に応じていつも私がやっていることである。この組み合わせは効果があると思う。是非、行政の施策の中に取り入れていただきたい。
1、被害体験(ロールプレイ)
2、被害者の生の声
3、仲間との支えあい(ピアカウンセリング)
4、自分との直面化(半生の棚卸し)
4の事例。
子供を虐待してしまう母親。なぜ虐待するのか自分でも分からず苦しんでいた。が、この状況がそのままこのお母さんを現している。
自分で分からないままに行動しているということは、理解しないままに体得しているということである。歩き方をいちいち頭で理解した上で歩き始めるのではないのと同じだ。
だから、苦しみから抜けるためには、なぜそうしているのかを理解しなければならない。
そのためには、「身体に聴け」。
例えば、上の例で言えば、自分の人生の棚卸をする中で見えてくるものがあった。
それは自分が育った家独自のルールである。独自のものである限り、いずれ社会常識と照らしてどこかおかしいと思う部分が出てくるだろう。その時に反旗を翻されないように、たとえどんなことがあっても親のいうことが絶対であることを身体に覚えさせる。
つまり、ルールを押し付けようとする側が、真っ先に有無を言わさず身体に叩き込もうとするのは、上下の関係である。誰が上で誰が下か。上には絶対に逆らうことが出来ないことを身体に教えるためだ。
一旦身体が覚えてしまえば、理屈や感情がどんなに反発しようとも逆らうことが出来ない。理不尽な思いやわだかまった気持ちを抱えながらもそれに従うことになる。
これは、ルールを押し付けようとする人間が本能的にすることと言ってもいいかもしれない。本能だから、倫理の問題を超えている。家業を守るために必要なルール―いわば「家」のために「人」が犠牲になったのである。
ここで気がつかなければならないのは、生きることが目的で家業は手段だということ。ところが手段であるはずの家業を守ることが目的化し、そのために人が服従するという「目的と手段の逆転」現象が起きている。が、そのようなことに気づく人は残念ながらほとんどいない(社会にも会社にもこの逆転現象は蔓延している)。
そして時代は移り、そこで育った子供は母親となる。家業はなくルールの押し付けはもはや必要ない。しかし、上から言われたことには逆らわない「絶対服従」という姿勢が身にしみついている。
ということは、「絶対服従」という掟に縛られ続ける限り、今度は自分が支配者に立場が変わったときに、その掟に従い自動的に相手を支配するようになるということだ。
そして、支配に従わなければ、それだけで理由を問わず怒りがわいてくる。なぜ怒りがわくのか分からずお母さんは苦しまれていたが、身体に染み付いたこの掟がその怒りの根源なのである。性格や人格ではない。
このように支配と被支配の関係は同じルールの中で動いている。異なるのは、世代間連鎖の中で、その支配と被支配の立場が入れ替わるということだけなのだ。
この立場の入れ替わりは、その立場が入れ替わった瞬間に無意識のうちになされてしまう。というか、掟に従って自動的に支配者になってしまう。虐待を受けた方が、無自覚に子供を虐待する場合、このような掟に無意識に従っている場合がある。
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例えば、このようなことを解き明かしていく。それが腑に落ちたとき、その人は変化をし始める。
この段階では、信頼のおけるカウンセラーとの協働作業による心理分析が必要になってくる。留意しなければならないのは、心理学理論の枠組みを押し付けてくる心理学者。救いにならない。押し付けを感じたら逃げること。
以上、4つのことは時に応じていつも私がやっていることである。この組み合わせは効果があると思う。是非、行政の施策の中に取り入れていただきたい。