自分を責めるのではなく、すべての自分を抱きしめよう
「ただ、抱きしめてあげてください」―私も、そう書いたことがある。
この時は、親権を奪われ子どもと引き離され、たまにしか子どもと会えなくなったお母さんに対してだった。
この逆に、子どもと引き離されたお父さんもいる。いずれの場合も、相手がハラッサー家庭だ。バックには、孫を何としても手に入れようとする存在不安の塊の母親(餓鬼)がいる。その母親にとって子どもは、孫を提供する種を吊ってくる釣り竿に過ぎない。釣った魚が自分に馴染まなければ、その魚が子を産んだ時点で放逐する。
相手がハラッサー家庭であることを知っているだけに、引き離された親の子に対する心配はあまりあるものがあるが、ほんの短い逢瀬であっても、わが子のありのままを抱きしめてあげることができれば、子どものハートの中に自律への種が蒔かれることになる。
支配されている時間がどんなに長くとも、ほんの一瞬の受け止められ体験が、やがて自分の鎧を内側からぶち破っていく。それほどに「生命力」というものは強くたくましい。
だから、大丈夫。
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でも、「わが子を抱きしめることができない親」もいる。子を抱きしめられない人は、次のうちいくつかの心模様があるのではないだろうか(まだ他にもあると思います)。いずれも無意識なので、意識できてはいませんが…。
1,親がしないことは禁止令―抱きしめてもらえなかったことが、「抱きしめてはいけない」(人と触れ合ってはいけない)という禁止令になっている。
2,親にされたことを人にする―親に抱きしめるということを拒絶されれば、その子は人を抱きしめることを拒絶するようになる。
3,親に抱きしめられるまで他の人に触らせない―まず一番に親に愛して欲しい。その望みが叶うまで、他の人から触れられたくもない。
4,人生脚本に則ってハラスメント界を渡ってきて人を信用できないので、触れ合うのが怖い。何より自分自身を信じていない。
5,自我侵食からの防衛―干渉、介入してくる親だったので、抱きしめられたい欲求よりも排除欲求の方が強くなっている。自分が触れられることに嫌悪感を持つ(いわば花粉症のようなアレルギー反応)。
6,「心のコップ」がパンパン―もはやこれ以上感情を受け止める余地がなくなると、情報感受器官である五感が鈍くなるように、入ってくる情報を遮断しようとする。皮膚は、そのすべてが情報キャッチセンサーだから、情報遮断のために触れ合うことをしなくなる。
7,ICの嫉妬―わが子を抱きしめようとすると、抱きしめてもらっていないICが嫉妬する。ただ一人取り残されることを拒絶する。
8,自分がされなかったことは、わからない。慣れてない。心構えがなくパニック。
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「ハグされたい」に書いたように、私もそうだった。
彼女と手をつなぐことさえ違和感があった。
だから、かつての私と今の私は「別人」なのです。
なんたって、「抱きしめる」などという、かつては口にすることさえなかった言葉を、こんなにも抵抗なく書いたり言ったりするようになっているのだから…(かつての私なら、嫌悪の目か冷めた目で見ていたでしょう ^^;)。
でも、ね。
人を抱きしめることができない間は、自分が自分を大事にしていないことに気がついたのです。
自分が自分を頑張らせるだけ頑張らせて、こき使うだけこき使って、我慢に我慢をさせて……。それでなおかつ、自分を変えようとさらに自分に鞭打って…。
【自分を抱きしめる】
あぁ、そうじゃない…。
それまでの自分は、その環境の中で生き延びるために必要であった自分。
その自分でなければ生き延びることができなかった。
そうやって自分を守ってきた。
だから、「よくやった!」と、その自分を褒めるのです。
その自分が、
病弱で弱々しい自分でも、
ボーッとして散漫な自分でも、
受け皿でパンパンになる自分でも、
思考グルグルで集中できない自分でも、
疑り深く嫉妬深く優越と劣等に振り回される自分でも、
腰痛、背の張り、肩こり、首のこり満載の自分でも、
やたら喧嘩っ早くトラブルメーカーの自分でも、
匂いや汚れや形や数字が気になる自分でも、
五感や記憶のない自分でも、
複雑怪奇な自分でも、
その自分が今まで自分を守ってくれたのです。
(どう守ったのかは、いろいろと事例があります)
だから、
その自分をイヤだ!と思うのではなく、
その自分を変えたい!と思うのでもなく、
まずは、
「よくここまで頑張ってきてくれたね、ありがとう」
と受け入れてください。
そうでなければ、浮かばれません。
ただ、懸命に生きてきたのです。
この環境の中を生きるために。
その懸命に生きてきた自分を、ただ責めて、変えたいと思うだけでは、引き下がれません。それに、「自分を責める」のが大好きなIPがすぐに荷担してきますから、ますます引き下がれなくなってしまいます。
自分は、何より自分に認めてもらいたいのです。
その頑張りを認めてもらうからこそ、引退の花道を歩いて去ることができるのです。
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では、どのようにすればこれまでの自分に快く花道を去ってもらい、新たな自分に引き継ぐことができるのか? 私がやってきた“正式な引継ぎ”の鉄則は『苦労を共有しストーリーを理解すること』です。
【引き継ぐとはどういうことか】
つまり、これまでの自分の人生(ストーリー)を振り返ること。そして、自分がどのように親のために生きてきたのかを理解し、その無意識の苦労を共有すること。その苦労を本当に今の自分が理解したとき、それまでの自分は報われるのです。
これまでの自分に、「ご苦労様」
そして、「ありがとう」と言いましょう。
これまでの自分の頑張りを十分に慰労してあげてください。
「よく頑張ったね」と抱きしめてあげてください。
頑張るばっかりで、優しくされたことはないはず…。
優しくされたいよね。誰だってそうさ。
優しくしてあげてください。
そうして、十分に自分に受け止めてもらったら、
これまでの自分は心おきなくこれからの自分にバトンを渡していくでしょう。
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このプロセスを経験すれば、
いろんな人の中にIC(インナーチャイルド)を見ることでしょう。
私は、ある老齢のお父さんに「抱きしめさせてください」と言って抱きしめたことがありました。そのことを別居しているご家族にお話ししたところ、「あのお父さんが…」と絶句されました。むしろ、殴られるのではないかと心配していたそうです。それほどの権力を持った頑固な方でした。
が、私が見たのは小さな男の子でした…。
身体は大人でも、あるいは老人でも、心は、優しくされたことのない、抱きしめられたことさえない、おびえてとがった子どもばかりなのです。
あなたが、自分を抱きしめることができれば、子どもを抱きしめることができます。そして、子どもを抱きしめることができれば、人を抱きしめることもできます。
人はみんな、ほんとは無邪気な子ども。
いろんな子どもがいます。
私は、すべての子どもが大好きです。
【Mr.Children「Sign」】
・さぁ、自分に向かって一歩踏み出そう!