理屈の世界から、気持ちの世界へと脱藩しよう!
娘がバイトから帰ってからなので、夜10時からお祝い。メッセージいただいた皆様ありがとうございました。
家族がハッピバースデーを歌ってくれると、自分では淡々としていたつもりなのが勝手に顔がにんまりしている(^^)。やっぱり嬉しいんだねぇ。年は関係ないね、と改めて思った次第。
「暖かい家族に囲まれて幸せです!」と言いました。みんなも笑顔で嬉しそう。ささやかなひとときでした。ありがとう。
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昨年の日記を見ると次のように書いてあった。
『私はいつも、周辺人であり、外様であり、脱藩している自由人(フリーマン)だった。どこにも所属していなかったからこそ、組織と闘うことができたのだ。龍馬が「初の日本人」になれたのは、“国(藩)”を捨てたからである』
『ハラスメント界を脱藩したからこそ、私は「人間」に戻れたとも言える』
『私が所属するのは「地球」だ。私は、「気持ちを大事にする“人間”」として生きていきたい。』
【51歳の感謝】
「龍馬伝」(NHK)を見ていると、「考えるな、感じろ」「自分の胸に聞け」的な言葉が出てくる。特に今の時代に、とても大切なメッセージだなぁと思う。
その龍馬が1867年に亡くなって100年も経たないうちに私が生まれているわけだから、まっこと社会は流動的だと感じる。一人の人間が一生を送る100年足らずの間に、社会体制は幕藩→帝国→官僚とかくもめまぐるしく転変するのだから。
その都度、社会体制が望む価値に人々は殺到する。
殺到している間は大衆が支持しているわけだから、まさにその体制が磐石のように感じて、その価値の中での優劣を競い合ってムダに人生を過ごす。
しかし、その価値観が行き着くところまで行き着くと息苦しくなり、その体制は崩壊して別の体制が現れる。人類はこの繰り返しを延々とやってきたのだろうなと思う。
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私が生まれてからのわずか50年間でも、例えば教育一つとっても次のようにそのあり方は大きく異なる。
・先生を育てる社会
・教育大国ジパンでの生涯
比較して読まれれば、これが同じ国なのかと思うことだろう。でも、わずか60数年前まで我が国は北朝鮮と同じだったのだ。
この2つの社会は、下記のように価値が対照的だ。
人を育てる社会 vs 人を使う社会
支え合う社会 vs 金でサービスを買う社会
認め合う社会 vs 差別する社会(比較・優劣・勝ち組負け組)
開かれた社会 vs 閉じた社会
フラットな社会 vs 階層社会・格差社会
非所有の社会 vs 所有の社会(私有or共有、私産or共産)
与える社会 vs 奪う社会
多様な価値 vs 唯一金の価値
感情・感性重視 vs 知識・理屈重視
自分の気持ち vs 地位・名誉・権威・権力・思想・信条・宗教・主義
自主的な社会 vs 強制と監視と管理の社会
地域経済 vs 国際経済
自律社会 vs 共依存社会
共生社会 vs 競争社会
笑顔社会 vs 怒り社会
自給 vs 輸出入&国際分業
自足 vs 飢餓&飽食
愛情 vs 支配と服従
寛容 vs ゼロトレランス(不寛容)
肯定のストローク vs ディスカウント
Be vs Do
人に尊厳がある社会 vs 人が道具になる社会
全的に生きられる社会vs パーツとして生きる社会
わずか50年前
左の社会は、リアルなものとして、まだそこにあった
そして、わずか50年後、
右の社会は、リアルなものとして、今ここにある
しかし、右の価値は既に臨界点に達し、崩壊し始めている。右の価値にしがみついている人々は既得権益を守ろうとしてあがくだろうが、崩壊は止められるものではない。おそらく50年後、「あぁこんな非人間的な時代もあったんだね」と、生徒達は教科書で学んでいるに違いない。
ただ、旧来の価値観で育った人々が生き方を変えることは難しいから、いずれ2つの社会が分離していくのだろう。たとえば、地域が左の価値を取り戻していき、都会は右の価値で突き進むという具合に。
いずれにせよ、人を大切にしない旧来の価値は自然の摂理に反しているので崩壊に向かっている。でもそれが見えない人々は、ますます極端に向かうだろう。その人々を止めることはできない。
気づいた人から離脱して欲しい。
その人達が新しい時代の担い手となる。
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今苦しまれている方々は、この右の価値の中で苦しまれているとも言える。
この50年の間に圧倒的に覆い尽くしてきた右の価値の中で、自分一人だけがおかしいのではないかと感じている人も多いと思う。
あなたがおかしいのではない。
あなたの周りがおかしいのだ。
時代の価値に飲み込まれた人々の中で、人間性を保っているからこそ孤独なのだ。感情を切り捨てよという社会の中で、感情を大切にしようとしているから苦しいのだ。
感情を切り捨てている人から見ると、気持ちを言うだけで「わがまま」だ。
役割ロボットとして生きている人から見ると、“人間”を保っているあなたは妬ましく恨めしい。自分は我慢して体制に合わせて生きているのに、それをしない人はにっくき存在であり敵なのだ。だからいじめようとする。
枠にはめ込み鋳型成形しようとする社会にあって、枠にはまらない人を、社会は秩序維持のために徹底して弾圧しようとする。
小学生の頃、全校からいじめに遭い、それどころか他校にまでその名が知れ渡った人もいる。まるで指名手配犯だ。生き地獄の日々、毎日自殺することを考えていたという。
これもその方が「人間」を保ち続けていたからだ。
人間であり続けるあなたに対する強烈な嫉妬なのである。
あなたが反抗しなかったのは、あなたが弱いからではない。
人間はカニを叩きつぶせることを知っているからだ。
真に強いのは、みんなに遠ざけられ、いじめられ、孤独で寂しくて弱々しくて、自信がなくて泣いているあなたなのである。
四面楚歌、人間性を失わせる圧力の中で「人間」であることを保ち続けてここまで生きてきた、自分の本当のパワーに気づこう。今苦しまれている方々―みなさんは、本当にパワーを持っている人々なのです。
そのパワーを取り戻すために、私はこのブログで、ハラスメント界に囚われないためのものの見方や考え方を書いている。あとやることは、気持ちで生きることだ。
ブルースリーも言っている。
「Don't Think. Feel!」
江戸というタイタニックが沈むとき、龍馬は船(体制)にしがみつかず、小舟で一人こぎ出したからこそ自由に動くことができた。新たな龍馬達が求められている時代―
さぁ、ルールや理屈の世界から、気持ちの世界へと、龍馬のように脱藩しよう!