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自分に対しては「したいこと」、人に対しては「できること」をする

2010/02/18(Thu) Category : 自律(自由と責任)への道
IPとの闘い方】5

今回は人との関わりにおける心構えについて。

★「人の目」にではなく、「自分のしたいこと」に意識を向ける-----------

生きていく上で「してはいけない」ことはあっても
「~~せなアカン」ことはないんや。

そんなこと誰も決めてない。
自分以外はね

要は
「したい」か
「したくない」か。

「してはいけない」ってのも人を殺してはいけないとか本当に数は少ない
「人に迷惑をかけない」っていうのも自分が気にしてる以上に相手は迷惑だなんて感じていないときが多い。

「できない」っていうのも本当の意味では存在しないんだ
最初からできるわけなんかないから
「できる」にたどりつくまでの道が必ずある

「やりたい」と思ってやり続けるか
途中で別の道へ進むか
ただそれだけ


「せなアカン」
「迷惑」
「できない」

全部
諦めたいだけ。

やりたいのに
諦めたいとか変

本当はやりたくないわけじゃないのに
それを拒もうとする自分がいる

自分の道を歩くんだ
感じたままに 


本当に最近はいつにも増して
いろんなことを経験を通して
実体験できている

少しずつ
少しずつ

自分の道に帰ってきた





★人に対しては「できること」をする-------------------------------

わたしがマラソンとか駅伝の選手だとして
要はどうすればその人が走り続けられるかってこと。

横から絶えず「ああしろ」「こうしろ」「あっちへ行け」って
指導しつづけることはトレーニングなんだ

それは決められたコースを走ること。

わたしは
わたしの人生は

自分しか進めない
自分だけの道

ゴールも
ペースも
自分で判断して進んでいるつもり。 

ありがたいのは
たまの水分補給と

エール

それだけ。


反対に
人に対してできることもそれぐらいやろうなって
ずっと思ってきた

それこそ子どものころから。はっきり覚えてないけど中学か高校のときにはもうそういう考えやったんじゃないかな

走っているのが自分じゃない以上
自分にできることは限られている。

それが限られているっていう上で
自分にできることをする

とっても
シンプル






自分に対しては「したいこと」
人に対しては「できること」をする
―とってもシンプルですね。

しかし、これを(意識的・無意識的に)取り違えている人が多いのです。

自分に対しては「(いやだけれど)できそうなこと」
人に対しては「自分がされたいこと」をする
―このように逆転している人が多いのではないでしょうか。

言い換えると、
自分に対してはIPの命令に従って行動し、
相手に対してはIC(衝動)の自己投影で行動するということです。

IPと衝動に動かされていますね。これだと、
自分は自分に不満を抱え、
さらに相手をコントロールしようとして不満を抱えます。
不満だらけの嘆きと怒りの人生―ヤレヤレですね…(--;)。


このように逆転した人々がうごめいているのがハラスメント界です。
互いに相手をコントロールしようとして権謀術数を身につけ、そこで勝ち組負け組どちらになろうとも自由はなく、心が安心しない永遠に孤独な世界―その世界がいかに自分が自分として生きられない世界かがわかると思います。

一見、複雑怪奇に見えますが、稚技に等しい世界です。
今やこの世界が社会全体に広がり、その世界で生き延びていくためのノウハウ本全盛で、それらのものを身につけなければ社会で生きてはいけないように思いこまされていますが、それが幻想であることがわかると思います。

自分に対しては「したいこと」、
人に対しては「できること」をする

―この心構えを持つだけでも、ハラスメント界から離脱していくことができるでしょう。

シンプルな世界に生きましょう。








KOKIA 「私にできること」










【参考】5つの自分を見分けよう-自分を動かしているのは誰?




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他人に対して、心をこめて、「自分のされたいこと」、をしようとしてました
それが世界に対する祈りみたいなものでした
けどそのわりに?、おなかに溜まっていくのは黒くて汚くみみっちい不満とうらみ、怒りばっかでした
わたしはハラッサー回路で動いてたんですね
あんなに嫌な目にあったはずだったのに

自分には「したいこと」、人には「できること」
シンプルなのに、驚くほどインパクトが強いフレーズです

 

受け止められたい、受け止めたい

自分のやりたいこと…。
私は周りの目が気になって気になって、自分のやりたいことを疎かにしてきました。私は両親に、有りのままの私を受け止めて欲しかったのです。
中学一年のときでした。
私は文化祭の合唱コンクールで、ピアノ伴奏を任せられました。それは、自らが望んだことではありません。
私は音楽が好きで、趣味としてピアノを習っていたので、それほど実力はありませんでした。クラスには、私の他にピアノを習っている生徒が何人もいて、私よりも実力があるにも関わらず、彼等(彼女等)は私に伴奏を押し付けました。
世間体を気にする私は、断ることができませんでした。その瞬間から、私にとって楽しいはずの音楽が、一瞬にして地獄へと変わりました。何で断らなかったんだと、自分で自分を呪いました。このことを母に話すと、「 決まっちゃんだからしょうがないね。練習するしかないでしょ」と、しれっとした態度で言われてしまいました。私はただ、クラスメイトに伴奏を押し付けられてしまった理不尽に対する怒りと、断ることが出来なかった自分自身に対する、浅はかな気持ちを受け止めてほしくて、母に話したのに。決まってしまったら、練習有るのみなのは、百も承知です。私は、そんな言葉が欲しかったのではありません。
その後私は、コンクールに向けて、ほぼ毎日練習しました。練習を続ける私を、両親は労うことも褒めることも、一切しませんでした。音楽の先生は、学年一難しい曲だとおっしゃいました。担任教師も、音楽教師もクラスメイトも、果たして私に伴奏が務まるのかと、穏やかではありません。私は悪戦苦闘し、特に前奏が上手く弾けずに、本番では前奏無しで演奏することになり、とても悔しい思いをしました。コンクール本番では、何とか間違えずに弾くことができました。そのことを母に話しましたが、「あらそう。」と何とも素っ気ない態度で、褒めることも、労うこともしてくれませんでした。
コンクールからしばらくたったある日、私はクラスメイトから「もっと上手な人が良かった」と陰口を叩かれ、心が怒りとショックに塗れましたが、この思いを、両親に打ち明けることはできませんでした。「どうせ受け止めてなどもらえない」と、諦めていたからです。両親も教師もクラスメイトも、私を労う者は、誰一人としていませんでした。結局は、現在の私自身が、中学一年の私を労る以外に方法はありません。
ですが、中々上手く出来ずに苦戦しています。私の気持ちは、未だに外に向いています。脳内現実を生きている状態です。

 

素敵なフレーズですね

自分に対しては、=したいこと=
人に対しては、=出来ること=
とてもすっきりした力強いフレーズなので、きちんと心にしみこんでそれから頭にも言葉として残りそうです(^^)

先日の求めない姿勢であることの、お話もおもしろかったです。いつもさまざまな視点からの発見をシェアして下さり、ありがとうございます。

 
    
 
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