IP(インナーペアレンツ)の罠-自分が自分に仕掛けるダブルバインド
2010/02/20(Sat) Category : 自律(自由と責任)への道
【IPとの闘い方】7
さて、不意を突かれてあわてふためかないように予め知っておくとよいこと。それはIPが罠を仕掛け逆襲してくるということです。以前も下記のように触れたことがあります。
『このように一人で闘わなければならない苦しさを感じているときに、IPが逆襲を仕掛けてきます。IPを呼び込むのは、愛されていないものに共通する「存在不安」です。もう一人はイヤだという気持ちが湧き上がってくるのです。
IPは、親との関係で形成された「人生脚本」を利用します。そして、ゲームを仕掛けさせ、「やっぱり自分はダメなんだ」と元の木阿弥にさせようとするのです。』
【「第二の誕生」の仕方】
大雑把に分ければ、無意識のうちに自分に罠を仕掛けて追い込んでいくパターンと、自分の思いで行動してうまくいったときに強烈に引き戻すパターンの2つがあります。まずは、自分に仕掛ける罠から…。
★自分が自分に仕掛けるダブルバインド------------------------
人が追い込まれたとき、パニックになったとき、とっさにする行動は「プログラム化された行動」です。同じように、じっくり考える余裕などないので、自動的に「慣れ親しんだ思考パターン」をとってしまいます。
(よくある自動思考のパターンはこちらをどうぞ)
ICと向き合うからと一人になろうとした場合、IPの完全主義が自分をそそのかして徹底して孤独に追い込んでしまったりします。
たとえば、
自分と向き合うための場所や環境を整え、
向き合うためにはこういう事をしなければとやるべきことをピックアップし、
いついつまでにやり遂げようとスケジュールを決め…
あぁ、疲れますね…(^^;)。
このように、何をするにしても、気持ちのままにではなく、思考(IP)主体で行動しようとするのです。そして、思考(IP)主体で行動するということは、将来的に自分を責めることになる布石を既に打っているということです。
というのも、
1,環境を整えたんだから、そこから逃げてはならない
(逃げることを禁ずる:第三次禁止令)
2,自分と向き合うためにすることだから決めたことをしなければならない
(“自分のため”だから異議申し立てを禁ずる:第二次禁止令)
3,人それぞれですが、様々な理屈をつけて“期限”を設けます
(その期限までに自律できなければ落伍者という罰が待っているので、その間に自律を成し遂げる“命令”に背くことはできません:第一次禁止令)
はい、このように自分と向き合う準備段階で、自分を追い込むダブルバインドの構造を自ら創り上げているのです。自分が自分にダブルバインドを仕掛けているのだから、こりゃ苦しい(--;)。
苦しいから結局挫折します。
同時に「やっぱり私はどこまで行っても孤独だ」という事実を手に入れます。
こうして、「やっぱり私はダメなんだ」とIPが自分を責め、“人とつながるな”という人生脚本を強化していくのです。
結局、自分と向き合うという行動さえもが、IPの完全主義→自分に無理をさせて計画破綻→自分を責める事実(スタンプ)集め→人生脚本の強化というサイクルの中で完結させられてしまうのです。
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ところで、ダブルバインドとは人をロボットのように操るやり方。
人を気持ちではなく、強制的に決まったレールの上を歩かせるための手法です。つまり、気持ちと向き合うというゴール(目的)に向かうプロセスが、気持ちを無視しているのですね。
『愛を伝えるには、その過程そのものが愛にあふれていなければならない。目的達成のためには、その手段が目的に応じたものでなければ達成できないことは私も経験からわかっている。なぜなら、プロセスそのものが結果だからだ。』
【「THIS IS IT」!!!!】
生き方を変えると言うことは、これまで馴染んできた自分の生きる方法論自体を変えると言うことです。自律したから生き方が変わるのではなく、生き方を変える行動をした結果、“変わった”ということなのです。
変えようと“思っている”内は、変わりません。
ともかく、これまでのパターンと違う“行動をする”内に、それが“身につく”のです。
たとえば、私が会社を辞め妻がパートに出始めたとき、私が夕食を作るようになりましたが、最初の半年間は「自分が家にいるのだから自分が作るのが当たり前」という“理由”を自分に言い聞かせていました。
しかし、それでは持たなくなって(?)、次の半年から1年ほどは、「自分が食べたいものを作る。余分に家族のものを作っているだけ。自分が食べたいのだから、自分が作るのは当たり前」という理屈を心のどこかに持っていました(笑)。
要は、このような理屈がないと、自分が夕食を作っているということに身体が納得していなかったんですね。ここでわかることは、理屈を言う人は納得しない生き方をしている人だと言うことです。気持ちのままに生きていれば、理屈はいりませんからね。
結局、なんの理屈もいらずに適当に作れるようになったのは夕食作りを始めて2年後のことでした。つまり、日常の生活パターンを変え、新たなことが身体に馴染んで習慣になっていくまでに少なくとも2年はかかると言うことです。
罠を仕掛け自己洗脳を繰り返す「思考」があなたを変えることはありません。むしろ、あなたを変えないように機能しています。唯一、行動だけが、あなたを変えていくのです。
さて、不意を突かれてあわてふためかないように予め知っておくとよいこと。それはIPが罠を仕掛け逆襲してくるということです。以前も下記のように触れたことがあります。
『このように一人で闘わなければならない苦しさを感じているときに、IPが逆襲を仕掛けてきます。IPを呼び込むのは、愛されていないものに共通する「存在不安」です。もう一人はイヤだという気持ちが湧き上がってくるのです。
IPは、親との関係で形成された「人生脚本」を利用します。そして、ゲームを仕掛けさせ、「やっぱり自分はダメなんだ」と元の木阿弥にさせようとするのです。』
【「第二の誕生」の仕方】
大雑把に分ければ、無意識のうちに自分に罠を仕掛けて追い込んでいくパターンと、自分の思いで行動してうまくいったときに強烈に引き戻すパターンの2つがあります。まずは、自分に仕掛ける罠から…。
★自分が自分に仕掛けるダブルバインド------------------------
人が追い込まれたとき、パニックになったとき、とっさにする行動は「プログラム化された行動」です。同じように、じっくり考える余裕などないので、自動的に「慣れ親しんだ思考パターン」をとってしまいます。
(よくある自動思考のパターンはこちらをどうぞ)
ICと向き合うからと一人になろうとした場合、IPの完全主義が自分をそそのかして徹底して孤独に追い込んでしまったりします。
たとえば、
自分と向き合うための場所や環境を整え、
向き合うためにはこういう事をしなければとやるべきことをピックアップし、
いついつまでにやり遂げようとスケジュールを決め…
あぁ、疲れますね…(^^;)。
このように、何をするにしても、気持ちのままにではなく、思考(IP)主体で行動しようとするのです。そして、思考(IP)主体で行動するということは、将来的に自分を責めることになる布石を既に打っているということです。
というのも、
1,環境を整えたんだから、そこから逃げてはならない
(逃げることを禁ずる:第三次禁止令)
2,自分と向き合うためにすることだから決めたことをしなければならない
(“自分のため”だから異議申し立てを禁ずる:第二次禁止令)
3,人それぞれですが、様々な理屈をつけて“期限”を設けます
(その期限までに自律できなければ落伍者という罰が待っているので、その間に自律を成し遂げる“命令”に背くことはできません:第一次禁止令)
はい、このように自分と向き合う準備段階で、自分を追い込むダブルバインドの構造を自ら創り上げているのです。自分が自分にダブルバインドを仕掛けているのだから、こりゃ苦しい(--;)。
苦しいから結局挫折します。
同時に「やっぱり私はどこまで行っても孤独だ」という事実を手に入れます。
こうして、「やっぱり私はダメなんだ」とIPが自分を責め、“人とつながるな”という人生脚本を強化していくのです。
結局、自分と向き合うという行動さえもが、IPの完全主義→自分に無理をさせて計画破綻→自分を責める事実(スタンプ)集め→人生脚本の強化というサイクルの中で完結させられてしまうのです。
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ところで、ダブルバインドとは人をロボットのように操るやり方。
人を気持ちではなく、強制的に決まったレールの上を歩かせるための手法です。つまり、気持ちと向き合うというゴール(目的)に向かうプロセスが、気持ちを無視しているのですね。
『愛を伝えるには、その過程そのものが愛にあふれていなければならない。目的達成のためには、その手段が目的に応じたものでなければ達成できないことは私も経験からわかっている。なぜなら、プロセスそのものが結果だからだ。』
【「THIS IS IT」!!!!】
生き方を変えると言うことは、これまで馴染んできた自分の生きる方法論自体を変えると言うことです。自律したから生き方が変わるのではなく、生き方を変える行動をした結果、“変わった”ということなのです。
変えようと“思っている”内は、変わりません。
ともかく、これまでのパターンと違う“行動をする”内に、それが“身につく”のです。
たとえば、私が会社を辞め妻がパートに出始めたとき、私が夕食を作るようになりましたが、最初の半年間は「自分が家にいるのだから自分が作るのが当たり前」という“理由”を自分に言い聞かせていました。
しかし、それでは持たなくなって(?)、次の半年から1年ほどは、「自分が食べたいものを作る。余分に家族のものを作っているだけ。自分が食べたいのだから、自分が作るのは当たり前」という理屈を心のどこかに持っていました(笑)。
要は、このような理屈がないと、自分が夕食を作っているということに身体が納得していなかったんですね。ここでわかることは、理屈を言う人は納得しない生き方をしている人だと言うことです。気持ちのままに生きていれば、理屈はいりませんからね。
結局、なんの理屈もいらずに適当に作れるようになったのは夕食作りを始めて2年後のことでした。つまり、日常の生活パターンを変え、新たなことが身体に馴染んで習慣になっていくまでに少なくとも2年はかかると言うことです。
罠を仕掛け自己洗脳を繰り返す「思考」があなたを変えることはありません。むしろ、あなたを変えないように機能しています。唯一、行動だけが、あなたを変えていくのです。