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「沈まぬ太陽」に見る自律への魂の成長の物語

2010/03/08(Mon) Category : 映画
「お父さんは怒ったことがないよね。なぜ怒らないの」
子にそう聞かれたと妻が恩地に言うシーンがあった(「沈まぬ太陽」)。

人としての尊厳を傷つけられて湧く感情―それが怒りだから、生きていて怒りが湧かないということはあり得ない。でも実際にそういう人がいる。私の接した事例でも、恩地と似たようなケースがあった。

映画では、後半恩地が怒りをあらわにする場面がある。怒りがないとはどういうことか。そして、恩地はどのようにして怒りを取り戻したのか。この映画がよい素材になると思ったので、ちょっと映画をお借りしてケーススタディしてみよう。



■親を支えなければならない子の心模様---------------------------

恩地は戦争未亡人である母によって女手一つで育てられた。
恐らく小さい頃からしっかり者でなければならなかっただろう。このように母子家庭の場合、男の子はおかあさんのパートナーとしての父親役、女の子はおかあさんの母親役(お母さんの愚痴聞き役など)をする場合がある。【①】

このように親のことをおもんばかる一方で、親に心配や負担をかけたくないので、親が喜ぶことは話しても本当に聴いてほしい思いは自分の中にしまい込む。こうして、寂しさ、悲しさ、辛さ、悔しさ、妬ましさ、うらやましさ、等々の感情は心のコップの中に溜まり続けていくことになる。【②】
(親が子に愚痴を言っていなかったとしても、子はこのように親を支えているのです)

感情を隠すということは本当の自分がそこにいないということだから、本当の自分を認めてもらっていない孤独や空しさ、心許なさ―つまり、存在不安がつきまとうようになる。【③】

そして、そこにどのような事情があっても、親に自分の存在を丸ごと認めてもらえないことへの怒りが出てくるのだが、誰にぶつけてよいかわからない状況なので、その怒りは自覚されない。【④】

その一方で、子どもは母を楽にさせたいという思いから、たとえば進学をあきらめて早く就職したり、あるいは大学→大企業とレールの上を頑張り続けたりすることになる。いずれにせよ、自分の気持ちなどかまっているヒマはなく、次々に急かされる人生を走らされることになるのだ。

とても苦しい。
しかも、それを苦しいと感じることもできない苦しさだ。



■共依存の対象を求める人生脚本-------------------------------

あるがままの自分が認められていない場合、何らかの役割をすることで人は自分を認知してもらおうとする。その役割は家族の中で学ぶ。

【①】の状況の場合、子は親を背負うことで自分の存在を感じるようになる。すると、(根っこには存在不安があるから)自分の存在を確認するために、常に何かを背負おうとするようになる。“これ”を背負っているから自分は存在価値がある―そういう“これ”が欲しいのだ。仮に背負うものがなければ刺青でもいい。自分は背中に背負っているものがある―それが生きる支えになるのだ。

また、このような親との関係からできあがる人生脚本は、「親のために自分が支えになって生きる」という脚本だ。「親と自分の関係」が「人と自分の関係」にスライドするから、外にあっては「人のために生きる」ということになる。

すると、自分が支えるべき対象、背負うべき対象を無意識に探すようになる。
自分が背負うべきものがなければ空しくて生きられない。つまり、背負うべきものがなければ人生もない。このように対象なくして自分も存在しないというところまでいった場合、その対象と自分の関係を共依存という(その対象が、人であれ、モノであれ、概念であれ)。



■代償行為としての「活動」------------------------------------

恩地にとって組合を背負うことは、人のためという脚本に沿い、自分の存在価値を証明するものであったから力が入ったことと思う。

そこには仲間がいて自分の居場所がある。これで、【②】が癒される。しかし、存在不安が強い場合は自分が中心でなければ認められたことにはならない。だから、委員長まで上りつめる。これで【③】が癒される。

しかも、会社との交渉で大義はこちらにある。つまり、存分に相手を責めてよい立場にある。それもまた、自分の中に潜む怒りをはき出すチャンスを与えてくれた。これで【④】をはき出すことができる。

こうして恩地は、組合「活動」という形でIC(インナーチャイルド)の思いを発散させていった。(ここでの「活動」は、時間の構造化の概念で使っています)

(但し、上記はすべて代償行為なので、②③④ともにそれらの感情と正面から自覚的に向き合わなければ、それらの感情は解消しません)



■なぜ、恩地は会社を辞めなかったのか--------------------------

さて、社長と労組委員長。関係が浅かろうはずはない。父親を知らぬ恩地にとっては、最初の代理父親だったのかもしれない。恩地は社長(会社)に向かって(親にぶつけられなかった)気持ちをぶつけた。

が、気持ちで生きていない会社にとって、気持ちをぶつけてくる恩地は“敵”だ。気持ちを封印することで成立しているハラスメント界は、気持ちを持っている人間を徹底して排除する。そこに気持ち(人間)が“在る”だけで脅威なのだ。なぜなら、封印している感情が共振して動き出そうとするからである。だから、徹底して遠くへ遠くへと追いやる。

恩地は代理父親に裏切られ、その後も転々流転。
なぜそこまで疎まれても会社を辞めなかったのか?
渡辺謙も松雪泰子も、それがわからなかったという。

その大本は、人生脚本だ。
自分の夢ではなく母親の夢を背負って、巨人という『自分をディスカウントし続ける組織に居続けた』清原のように、恩地もまた母親の望んだレールを降りるわけにはいかなかったのかもしれない。
清原和博―心優しき少年の物語

恩地の母親も一緒に暮らしていた。
その苦労して生きてきた母親に認めてもらうためには、自分も背負うべき苦労が必要だったのである。

(親がハラッサーで子を受け止めない場合、子は親と似たタイプのハラッサーを見つけては近づき、やがて議論を挑んでは疎まれ…ということを繰り返してハラスメント界を彷徨い続けることはよくあるパターンです)



■孤独に追い込まれたときがチャンス-----------------------------

つまり、“子ども”を十分に体験できなかった人がいつまでも子どものままであるように、恩地もまた「母の子」として生きていた。父親を知らないために、ジョンレノンがそうだったように、どのように父親になってよいかわからなかった。
その上、恩地がマイホームパパになることは人生脚本に背くことだったし、何より救われていない恩地のICがわが子達に嫉妬しただろう。

だから、子供たちから見ると、娘が「わがまま」と指摘したように、恩地は大きな子どもであって父親ではなかったはずである。こうして、子供たちから見放されていく。

さらに、海外に飛ばされていた恩地は、母の死に目にさえも会えなかった。忙しく突っ走って、自分と向き合うこともないままに、いきなり自分が背負っていた根本を失ったのである。自分が歩んできた苦難の人生のシナリオの土台がなくなったのだ。

何かを背負わなければ自分の存在価値を見出せない生。
しかし、組合も、家族も、母親も失い、恩地は、背負うものが何もない状況に初めて立たされた。それは、自分という「存在の危機」だった。

地球の果てに追い詰められてただ一人、もはや逃げ場なし。
ここに【③】の存在不安が襲いかかってくる。
自分から逃げ続けてきた人間が、いきなり自分の内面と直面化させられたのだ。恩地が一時精神に異常を来したのも無理はなかった。

それは、アルコール依存の人がお酒を断ったときに襲われる禁断症状と全く同じだった。依存症を断ち切るときのやり方は、アルコール依存を断ち切るときのやり方と同じだ。独房に閉じこめるしかない。そこで苦しみ抜くからこそ、自分と向き合う決意ができ、そして自律への道が開けるのである。
一人取り残されるとき

一人取り残されるとき、人はピンチと思うが、実は自分が生まれ直すための最大のチャンスなのだ。「危機」は、「チャンス」なのである。

恩地にとっては、アフリカ(ナイロビ)が、背骨を持った新たな自分が生まれる「サナギ」の地となったのだ。



■行為に現れる“人間の証明”----------------------------------

恩地は、自分の気持ちと格闘した。だから、日本に戻ってきたとき既に背骨ができていただろう。ジャンボ機墜落の時に会社に対して何かを仕掛ける(代償行為をする)のではなく、ご遺族の「心」に向き合うことを選んだのが、その証拠である。

アフリカの大地を実体験した渡辺謙は、その体験から来る直感で次のように言っている。
『前の恩地だったら、会社を糾弾したり闘う姿勢を見せたと思うんです。そうではなく彼はもっと深いところに身を置こうと思った。それは、アフリカで勝ち得た根源的な何かが彼をそうさせたと思ったんです』

しかし、信頼できる人に認めてもらって初めて自分の背骨を確認できるものだ。その後、会社建て直しのためにやってきた国見会長という第二の父親代理に認められ、恩地は完全に人としての自負を持った。

人としての自負を持ったからこそ、結婚話での相手の失礼な態度に「怒る」ことができたのである。あの場面は、恩地が「人間」となったことの証明であった。

そして、今や自律した人間となった夫に対して、初めて妻の方から手をさしのべる。それは、妻が夫を大きな子どもではなく、初めてパートナーとして認めた行為だったと思う。



■「孤独」は福音--------------------------------------------

この物語は、恩地という人間を通した魂の成長の物語だと思った。
読まれて感じられたとおり、現代は殆どすべての人間が共依存の関係からこの世にスタートする。最初から自律した人間など殆どいない。存在不安がない人などいない(不安意識がなくても)。そして、代償行為だらけの人生を歩む。

私と妻も同じ。共依存のスタートだった(こんなことを理解できるまでは、そう思ってはいないけれどね --;)。そして、代償行為の人生を送ってきた。その中で子を苦しめ、自分を振り返り、親から離脱して自律へと向かい、ようやくパートナーとしての夫婦へと向かっていったのである。

映画を見て感じたのは、皆同じような経過をたどるんだなぁ、ということ。
代償行為の無限ループから抜け出ることができるのは、唯一自分の不安の向き合った人だけ。向き合わなければどうなるか?それは、闇になっていくだけのことだ。


自分と向き合うことは周囲に人がいる限りできない。
だから、現在たった一人孤独に陥っている人。
あなたには、人生最大のチャンスが訪れているのです。

誰にでも来るチャンスではありません。
乗り越える力があるから来ているのです。
あなたの根源的な力(IC)を信じてください。

あなたが孤独になったとき、
あなたはICと出逢うことができるのです。







平原綾香 「孤独の向こう」






人が守るべきものを示した「沈まぬ太陽」


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自分の気持ちに向きあうこと

中尾さんのブログからの視点から、
沈まぬ太陽を見てみたくなりました。


生き方の①②③④があり、
現在進行形で親と居ます。

やはり自律に進んでいく
ことを選びますね。

人がいなくなって、とにかく
周りから音がなくなって、
漠然とした、でも強烈な
淋しさがあります。

ここで自分の気持ち、感情に
向きあうかどうかなんですね。

 

感謝

中尾さん家というタイトルにして、ブックマークしています。私もこちらのブログのお陰で自分の過去の気持ちに向き会う作業中です…がこれが辛い(涙)そんな中本日の記事に元気をもらいました。感謝ですm(__)m

 

「孤独」は福音・・・

昨年中尾先生のブログに出会って、ずっと読ませていただいています。先生のブログに沿って、自分の棚卸しをして自分を取り戻したい・・・と思って。しかしなかなか自分を振り返ることが出来ませんでした。9ヶ月も経ってやっと、私の”あの頃の気持ち”というものが少しずつ出始めてきたような気がします。そして昨日になって初めて、私が自分で思っている以上に、ものすごくたくさんで重い量の負の感情を心の中に貯めていることに初めて気がつきました。そのことに今まで気がついていませんでした。気がついたら、自分という存在の”不安定”さに、たくさんの涙が出ました。
私も母の心配ばかりしていました。物心ついたときから、不仲だった母と父の、それぞれに愚痴や自分が正当であるという話を私は聞かされていました。そして母が家を出て、離婚に至る。私の人生はブログの①②③④そのもの。子供の私にとっては厳しい人生だったと思います。
40にして今、孤独です。先生のブログにあるとおりにみごとに自分が追い込まれています。苦しいです。悲しいです。自分が自分の人生を歩いてないことに、たまらなく憤りを感じます。
でも、気がつきました。私を包み込んでいるものが”不安”や”不安定”だったということを。そしてそれは、私のものではなく過去の母や父のものであったことに気がつきました。そうしたら、自分の心の闇の深さにも気がつきました。やっと、いま、自分で自分を抱きしめることができそうです。”「孤独」は福音”、この言葉を信じて自ら自分の心のコップの中に飛び込んで吐き出してしまおうと思っています。中尾先生、ありがとうございます。
中尾先生の活動を心から応援しています。

 
    
 
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