「ハラッサー」と「モンスター」と「クレーマー」の違い
1,同じ所を自己完結的に同じ回転速度で回り続ける人
2,接する人を吸引しつつ回り続ける人
3,飢餓感がますます深くなって回転が加速し、吸引力が増大していく人
いずれも、感情を封印している人ですね。
生物はすべて感情を持っていますから感情で生きているのですが、唯一人間だけが、感情を封印するという芸当をやってのけます。感情=自分自身ですから 、それを封印するということは、気持ちを表現するために生まれてきたというそもそもの使命を放棄することになり宇宙の摂理に反するわけです。
そして、自分から乖離し、IPの操り人形となって上記のように同じ所をグルグルと“動く”だけの時間を過ごして、せっかくこの世に顕現できたわずかな期間の生を空しく終わることになります。
●ハラッサー-------------------------------------------------
一方で、その人自身はその動いている間の何十年かを、感情を見ないようにし続けなければなりません。これはとても大変なことです。自分一人では自分から逃げ続けることはできませんので、自分に関わるすべての人を巻き込み道具にします。このとき人を道具にするやり方を「ハラスメント」と呼び、人(命)を道具にする人を「ハラッサー」と呼んでいるわけです。
詳しくは下記をご参照ください。
・ハラッサーとは-その定義と特徴
さて、封印された感情は衝動となりますが、特に怒りの衝動は出口を求めて身近な人(家族や職場の人)に向かいます。ハラッサーというと、言葉の暴力(モラハラ)や身体的暴力(DV)を振るうハラッサーを思い浮かべることが多いのですが、それは、この衝動吐き出しの部分に注目して見ているわけです。
現象として外から見えやすいのでモラハラ、セクハラ、パワハラ(アカハラ、ドクハラ)などと分類もどんどん出てきますね。ハラスメントとは、このように一定の職域や関係性の中で起こっていた衝動の吐き出しのことなんですね。
この時の被害者は配偶者や部下、生徒、患者など1対1で直接関係する直接対象者です。
●モンスター-------------------------------------------------
これに対して、モンスターペアレントに代表される“モンスター”は、相手がわが子とかかわる先生など間接的対象者になります。ただそれは、上記のハラッサーより厄介という意味ではありません。「怒り」という感情は、自分に正当性があり、自分が優位に立てるところでなければはき出せませんから、上記のハラッサーは、自分が直接対象者よりも優位にある(親→子、夫→妻、教授→学生、上司→部下)ために、いろいろな(正当な)理屈をつけてハラスメントをしやすかったというだけのことです。
しかし、上記で受け皿になった人、あるいははけ口を持たない人は苦しくてたまりませんから、常にはけ口を探しています。すべからく感情というものは、自分が守られているという「場」でしか出てきませんから、自分が攻撃されない場を得るとこらえきれずに衝動的に出てきます。
そこで、たとえば吐き出し先を持たない主婦は子どもの親という立場を利用して学校に牙をむいて「モンスターペアレント」となり、家が危険基地で親から追い詰められている子どもは学校が疑似安全基地となって衝動を止められず「モンスターチルドレン」となり、病人となってようやくわがままを言える立場になった患者は「モンスターペイシェント」となって医者や病院に牙をむくわけです。
つまり、モンスターとは直接かかわる「人」に怒りをはき出すのではなく、怒りをはき出す「場」を得てそこで衝動をはき出している人と言えるでしょう。
「窮鼠猫をかむ」という言葉がありますが、こうしてみると、ハラッサーやハラスメント社会に追い詰められた人々がモンスター化して社会にかみつき返していると言えるかもしれません。
・モンスターペアレントへの対処法
●クレーマー-------------------------------------------------
クレーマーというのは、モノやサービスを材料(きっかけ)にして、怒りをはき出そうとする人のことです。ですから、対象は、そのモノやサービスを提供している企業ということになります。
最近、「団塊モンスター」なる言葉が登場してきました。これまでのクレーマーとの違いは、次の点。
1,商品知識に詳しく、言っていることは真っ当
2,上司に話をしたがる
3,指導したがる
4,話が数時間に及ぶ
つまり、これまでのクレーマーは怒りをぶつけるための衝動型が多かったのに比して、団塊クレーマーは「自分を認めて欲しい」という「承認欲求」から話のきっかけを求めてきているということです。
この背景には、会社人間(役割ロボット)として心で生きてこなかったため妻とつながることもできず、地域社会からも煙たがられている団塊世代の実体があります。私が訪問したある新興住宅地の団塊世代の離婚率は80%ということでした。
団塊世代の第一陣が退職してから3年。3年も、孤立無援で陸の孤島にいれば、誰かと話したいという“飢え”は手段を選ばなくなっていくでしょう。つまり、団塊モンスターとは、ストローク飢餓からゲームを仕掛けている人々なのです。
・「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
こうしてみると、競争社会日本は、誰もがお互いを認め合う余裕もなく、大人から子どもまでもが「僕を認めて」「私を認めて」と怒りを抱えつつ孤独に彷徨う、なんだか餓鬼亡者のような国になってしまいましたね。
・「笑顔の国」から「怒りの国」へ
・効率至上主義が生んだ背骨なき「怒りの国」
モノやサービスで心の飢えを満たすことはできません。
スピードや効率は心を亡くしていくだけです。
自分たちが心の極貧国にいるという実体に気づきましょう。
そして、心の豊かさを取り戻すためにどうすればいいのかを一人一人が行動に移していきましょう。