「捨」の章:モノに宿る餓鬼というもののけ(物の怪)
断=世代間連鎖を断つ。必要ならば親兄弟との縁を断つ。
捨=親から与えられたモノを捨てる。洗脳された自分が買ったものを捨てる。
離=親への執着を手放し、ハラスメント界から離れる。
の「捨」の章です。
■「捨」---------------------------------------------------
モノとココロの関係は枚挙にいとまがないので、いずれ詳しく書いていきたいが幾つか挙げておこう。
1,ゴミ箱のような部屋
部屋は心を表しているから、自分が大切にされていないこと、自分が人(親)のはけ口となって受け皿として生きていること、自分の気持ちの吐き出し先がないことなどを示している。
2,ゴミが積まれた部屋
ゴミは袋に入っているのだが、それがうずたかく積み上がっていて寝るほどのスペースしかないような場合、その部屋がその人の安全基地(子宮)になっていることが考えられる。
3,モノで埋まった部屋
心の空洞を投影してしまう“空間”がいやなので、空間をモノで埋める。隙間がなければ、自分の心も充実していると自己洗脳できる。
さらに、書類など雪崩現象が起きそうな積み上げ方をしておくのは、常に頭のどこかで注意し続けることによって、意識を心の内側に向けなくてすむため。これも存在不安から逃げ続けるための一方法である。
4,展示会場のような部屋
幼少期から現在までの思い出の品が雑然と、あるいは整然と置いてある。引き出しなど閉じきっていなくて、あちこちから過去が顔をのぞかせていて、ドアを開けた瞬間に過去が一望できるような感じ。と言っても賑やかではなく、過去の墓碑銘のような静謐。
気持ちで生きていないため「今」が希薄であり、その希薄な今が積み重なった過去を確かなものにするために過去の展示をしている感じ。孤独、不安、心許なさを見たくなく、何かに自分をつなぎ止めておきたい心理が伺われる。
5,家具が摩天楼のような部屋
大きくしっかりとした家具、背の高い家具に取り囲まれている。時には、テレビが高い位置にあって、テレビに見下ろされているということも。親(家具)が常に見下ろし、自分は服従の位置にいる。無意識に親(IP)に強く支配されている人に多い。看守つき監獄のようなもので心(IC)は警戒して出てこない。
が、存在不安があるため、背骨の代行のような家具を手放すこともなかなか出来ないが、手放して部屋が広くなると、心も解放されてくる。
6,親から贈られたモノがたくさんある部屋
カーテン、カーペット、ベッドなど生活の枠組みとなるモノ。
家具、電化製品、車、自転車、電話など生活のベースとなるモノ。
調理器具、食器、化粧台、衣類、靴など日常的に使わざるを得ないモノ。
化粧品や芳香剤などのアメニティーグッズ。
絵画やカレンダーや観葉植物など。
野菜や健康食品など、口に入れるモノ。
…そのすべてが五感を通じて“親”を意識させるので、上記と同じく感情(IC)が出てこない。部屋にいると身体がだるくなったり重くなったり、眠ってばかりいたり、頭痛・肩こりがひどくなったり、イライラしたり…いろいろな心身症状に悩まされる。モノを捨てていくことで心身症状がなくなっていくことがある。
(尚、自分が買ったモノであっても親が資金を出していれば、これまでの体験からいえば支配力は同じです)
7,洗脳された自分が買ったもの
自分の感性と思いこんでいても、それが親から植え付けられている“偽装感性”の場合がある。だから、自分で買ったモノであっても、“偽装感性”(親)に囲まれているわけで、自分が自分の感情(IC)の檻となっている。
これも気になったら一度捨ててみて、自分の気持ちの変化を観察してみると良い。これまで選ばなかったものなどにチャレンジしてみるのも良い。意外な感情が出てきて、知らなかった自分に気づくかも。
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こうしてみると、モノが増えるというのは自分が「存在不安」を見ないためと、親(およびIP)が子の支配を継続するためと言うことがわかってくるだろう(親が支配を継続するのも存在不安を見たくないからだから、結局、「存在不安」に行き着くのだが)。
つまり、存在不安とIPが形になったものが、「モノ」である。
モノには気(エネルギー)が宿っている。
「物の気(物の怪)」とはよく言ったものだ。
そこに宿っている気は、自分を閉じこめようとするブラックホール(餓鬼)の気だ。そういえば、鬼のことを「もの」と呼ぶことがあるね。
モノ(鬼)には、餓鬼という物の怪が宿っているのかもしれない。
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*部屋にモノがなくなれば、モノに縛られていた心は自由になって動き始める。このように、捨てるということは、IPの力を弱めICが出てくる効果があるが、一方で、自分の心の空洞と向き合うことになる。それはとても大変なことだ。だから、自分のペースで行うといい。
*尚、自然は人を侵食しない。自分を守り保つ上で、いかに自然物に囲まれて過ごすことが大切かがよくわかると思う。そういう意味で都会は、最も自分を見失う場所と言っていいかもしれない。
*でも、モノが悪いといっているわけではない。すべては自分の表現としてある。気持ちの表現として心から楽しんで作り出せるといいですね。豊かな心の表現としてのモノが押しつけではなく流通し合っていけば、とても素敵な社会になると思います。
<「離」の章:親への執着を手放しハラスメント界から離れる時、生きる意味が見えてくる に続く>