夫婦再生物語-(16)人生第二章-新たなるスタート
■コンティニウム(連続)--------------------------------------
わずか1ヶ月ほどの旅路
とても不思議な不思議な旅路でした。
一度蓋が開くと、次から次へとドミノ倒しのように気づきが起こりました。
一つの気づきが起こると、次の気づきを促すようなアクシデントやシンクロの連続。
自分の成長が関係する人々の成長を促し、そこから自分の成長につながるフィードバックが返され、それによってまた次に歩が進む―そのような進行もありました。
また、妻の波長としっかりチューニングされたせいでしょうか、“思い”のシンクロがあるようになりました。
私は理屈は信じません。
元来が体験しなければ納得しない性質です。
シンクロ体験は以前からありましたが、今回のように次々と蓋が開く体験をすると、自分が成長するための布石が実にうまく配置されているものだとつくづく思いました。それも、かかわる人と相互に成長していく形で。
■素直さが運命を乗り越える鍵--------------------------------
そして、なにより、その展開を早めたのは、素直に行動したことだったと思います。Tさんにソウルリーディングをしていただいて私にもたらされたメッセージを素直に受け取り、すぐに行動に移しました。その行動が、次々と扉を開いていったのだと思います。
かつての私は、「意固地」と「思考(IP)」に行動を阻まれていました。いわゆる素直に行動できないというやつです。けれど、人の話を聴いて行動したり、サインに気づいて行動を変えたりしたときに事態が好転する体験も積み重ねていました。
そういう体験が重なってくると、外からフィードバックされるもの(人、出来事、アクシデント(偶発事故)など)は、“全て”何らかのメッセージであると捉えるようになりました。ですから、スピリチュアルなリーディングをもメッセージと捉えることができるようになったのです。
そのメッセージを受け取るのも受け取らないのも本人次第です。
また、そのメッセージを敵意ととるのか、批判ととるのか、警告と取るのか、はたまた愛ととるのか―これも本人次第です。
ただ、自分と出逢う人や出来事などのメッセージは、その人が行動すべきタイミングできています。苦しいのは、メッセージを受信して行動したがっている身体(からだ)と、それをさせまいとする思考(IP)が闘うからでしょう。
生まれたときからあなたを守ってきたのは身体。
身体を信じることです。
人の個性は千差万別ですが、素直さだけは本来誰にも与えられていたものなのです。そして、その素直さだけが運命を超える力を与えるようです。
メッセージを受信できる身体。
そのメッセージを元に行動する素直さ。
この二つは、万人に与えられています。
つまり、誰もが運命を乗り越えられる力を持っていると言うことです。
その意味で、神様はとても公平だと思います。
■無意識の依存-------------------------------------------
この1ヶ月ほどの間に、
滝を登る鯉だった私が川となり、
川の中流だったはずが海へと至り、
そして、あのリーディングメッセージで“予言”されていたとおり、
私は泣いて、泣いて、泣いて、
ICとともにファンタージェンの命の泉に辿りつきました。
そして、皆様への感謝のメッセージを書いていた日、ふと心友Sのことが思い浮かびました。そのとき、12年を経てはじめて二人のことがわかったのです。それが、前項で書いた記事でした。
そうか、私は彼に怒っていたんだ―それも初めてわかりました。
それがわかったとき、そうか、私は彼に依存していたんだ、ということもわかりました。
すると、私が彼に深く受け止められていたこともわかったのです。
ですから、彼に深く感謝し、そして手放すことができたのでした。
面白いですね。
彼に対する怒りを自覚するまで、私は彼に対する悲しみはあっても怒りはないと思っていましたし、実際そうでした。また、その悲しみさえも遠い過去のことでした。が、書いてみると怒りの言葉が出てきたのです。その言葉が出てきて初めて、あ、俺は怒ってたんだとわかったのです(書くって凄いですね)。
そして、それがわかった瞬間に、同時に、あ、俺は彼に依存していたとわかったのです。なぜなら、依存していなければ、自分ではない他人(彼)の人生に怒る必要はないからです。
実際、怒りに気づかない間は、「見事な生き様を見せてくれた心友」として彼の生き方を尊敬していました。つまり、気づかない間は、私と彼の関係は相互に“自律”した関係でした(正確には、自律した関係と思っていたのです)。
まぁ、ことさらに癒着があるわけでもなく、社会人となって以降頻繁に手紙をやりとりするわけでもなく、ただお互いの存在は認識している―そういう関係でしたから、一般的に言えば、お互いにそれぞれが自律しているといえばそうでした。
でも、怒りに気づいた瞬間に、依存していたとわかったのです。ということは受け止めてもらっていたと言うことで、そのことも深くわかり、それが感謝につながっていったのでした。
■ICとの完全なる和解--------------------------------------
この気づきは、私の中のいろいろなものをブレイクしていきました。
その過程で、「照れ」「プライド」という壁をもブレイクしました。
その壁こそが私とICを隔てていたベルリンの壁でした。その壁も崩壊し、
私は、ついに妻の腕の中で子どものように心を解放して泣いたのです。
私が子どものままに泣く姿
それは、私がIC(ひでし君)をありのままに表現している姿です。
私が、IC(ひでし君)と一体化した姿です。
この時、私はひでし君と完全に和解したのでしょう。
まだまだ隠されている感情(IC)があるのだろうと思います。
でも、それがいつ出てきても、そのとき、その感情のままに表現できる。
それが一体化したということなのだろうと思います。
つまり、感情を出し尽くさなければ自律できないのではなく、「意固地」「思考(IP)」「照れ」「プライド」といった自ら築き上げてきた壁をぶち壊して、ICがいつ出てきても直結できる自分になること―それが自律なのだと思いました。
私とIC(ひでし君)は、しっかりとつながりました。
もはやひでし君は何かにしがみつく必要はなくなりました。
だから、いろんなものが手を離れていく感じがしたのだと思います。
それは、キラキラとした光の粉になって空へ立ち上っていくイメージでした。
■“予言”のとらえ方----------------------------------------
私は、この体験をした後で、Tさんよりもたらされていたメッセージ((14)で掲載したものです)の的確さに驚きました。
『内なる自分との完全な和解』があり、その後、
『完全に手放した古きものが 光へと還るのを
あなたは 小さき子と手を繋いで見届けるのだ』
―まさにこれだ!!
そのままのことが私に起こった!
私が、最後の最後に体験したのは、『古きものが 光へと還る』光景だったのです。“予言”されていたとおりのことがこの身に起こった―これもまた、凄い体験でした。“予言”というのは、あるんですね…。
これも、素直に行動していない人にとっては起こりえない話。起こらなければ、その予言は嘘になる。そして、ますますそんなものは信じないというスタンプを手に入れる―そういうことなのでしょう。素直に行動していけば、人は誰もが辿りつくべきところに辿りつくのだと思います。
■家族の変化---------------------------------------------
今、私は遠慮なく妻を、娘を、息子を抱きしめています。
ようやく、家族に対しても遠慮のない自分が出てき始めました。
数日前、息子が素直に「おかあさん」と言っている声が聞こえました。妻は密かに喜んでいました(^^)。
また、私が風呂に入っているときに、妻が娘にふと言っている声が聞こえました。
「今、ママが夢に描いた家族になってるみたい。やさしい旦那さんがいる家族」
そして、娘に話しをしたときのこと、不意に涙をポロポロとこぼし始めたのです。後で訊くと、「あぁもうすべて肩の荷を下ろしていいんだな、って思って」と言いました。娘もまた、家族全員のことを、そして外でも…いろいろと背負っていたのです。
■人生第二章の幕開け-------------------------------------
人生50年…中尾英司個人の旅路は終わりました。
「人生五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり ひとたびこの世に生を受け 滅せぬもののあるべきか」―織田信長が好んで舞ったと言われる幸若の舞。若かりし頃、妻から信長といわれたこともある私は、確かに死んだのです。
『川が海へと変わるとき そこはもう川ではなく海だ
あなたの死は それを意味している』
この言葉の意味が、今よくわかります。
いろんなものを手放したとき、光とともにそれまでの私は天国へと還ったのでしょう。
映画「ホームレス中学生」を見てふと感じたこと。それは、
彼は亡きお母さんに出逢うために、一人ホームレスで頑張るという過酷な現実を選んだんだなぁと言うこと。
映画「おくりびと」を見てふと感じたこと。それは、
主人公は見ぬ父親に出逢うために、納棺師になったんだなぁ、ということ。
いずれも、降って湧いたようなアクシデントでしたが、それは彼らにとって天が与えてくれたチャンスだったのです。天はこのような形でチャンスを与えるんだなぁとも思いました。
与えてくれたチャンスとは、出逢いを通じて自分のICを救い出すことでした。
そして、ICに出逢ったときに、その旅は終わるのです。
みんな、大泣きしたいICに出逢いたいのです。
ふと思いました。
私は、自分のICに出逢うためにカウンセラーという仕事を選んだのだろうなぁ、と。そして、ICに出逢うための旅が、長い長い自分探しの旅が、今確かに終わったのです。
一人旅の人生であった第一章は起承転結を経て終幕し、
これから妻とともに、第二章-家族の旅路が始まります。
今私の望みは、妻とともに二人の子どもが輝くように解放してあげること―それしかありません。
■「主体は自分」を手放すな-----------------------------------
今、私は幸せです。
人は、あれがないからこれがないからと足りないものを数え上げたり、
妻や親や世間や社会が変わらないから、と変わらないものに理由を押しつけたり、
所詮、親も含めて自分以外の者は自分のことをわかるはずがない、と、不可能なことを責めたり、
そのようにして自分が不幸である説得材料はいくらでも見つけることができます。何しろ、森羅万象の全てが材料になり得ますから。
が、違うことがよくわかりました。
“外”は関係なかったのです。
結局、自分以外のものに理由を押しつけている間は、
自分が自分を救っていないのです。
結局、自分の人生。
誰を責めたところで、自分の人生の責任をとるのは自分以外にはません。
この責任のありかがどこにあるのかという意識の仕方が、その人の日々の生活を支配します。その人の人生をどこに導くのか―そのベクトルを決めるのは、その人の責任の持ち方、腹のくくり方だと思います。
今、生きている自分。
その主体は誰?
主体は自分
主体を自分以外の者に明け渡さないこと
―この意識を常にしっかりと持っておくことが大切だと思いました。
■「幸せ」は自分の内にある----------------------------------
そして、その人生の目標は、「幸せ」。
幸せってなんでしょうか。
他人と比較して相対的に感じるものでしょうか。
親や人に愛されているという条件があって成立するものでしょうか。
結局…
自分の心が、「幸せを感じることができる心」であれば、幸せなのだと思います。
逆に、「幸せを感じることができる心」でなければ、“外”がどのような条件であろうとも不幸せなのです(当たり前ですね^^;)。
つまり、自分が幸せかどうかという基準は、“外”にはなかったのです。
すべては、自分の心の内側にあったのです。
このことが、改めてよくわかりました。
■何に時間(人生)を使うのか---------------------------------
ブログは、これからのんびりとやっていこうと思います。
その時間を、カウンセリングを始めた妻のスーパーバイジングや家族を見守ることなどに使いたいと思います。尚、妻がカウンセリングを始めたとはいえ、まだお待ちの方もいらっしゃいますので新規受付は当面不可能な状況です。ご了承ください。
記事は講演などの予定ほか、ストック記事(「子育ての心理学」など中断したままですもんね --;)などをぼちぼち掲載していこうと思います。私はツイッター(Twitter)をしていませんので、つぶやき代わりの短い記事になるかもしれません。あるいは、学生時代に書いた映画などの感想をアップしていくかもしれません。
それから、IPとICの闘い、皆さんそれぞれされていると思います。そして、それをブログに書かれている方もいらっしゃると思います。もし私の過去記事の中に同じようなテーマの記事を見つけたら、よろしければどんどんトラックバックしてください。
IPに妨害されたこと、ICが出てきたこと、いろいろな人の体験を読めば読むほど、闘い方もわかり、また「許可」が広がっていくと思うのです。もしさしつかえなければ、よろしくお願いいたします(承認制ですので、反映までに時間がかかりますので予めご了承ください)。
尚、コメント、トラックバックともに、特定の思想や政党の主張に関するものは削除させていただきます。既にこのブログでも書いているとおり、「所有」という概念が根底にある主義主張は全て同じ穴の狢です。狢同士が闘わされていること自体が罠だということに気づいてほしいと思います。そのお先棒を担ぐわけにはいきませんので、削除させていただきます。
すべからく、人間同士が争うようにし向けているのが思考(IP)の罠なのです。闘うことで愛を得られないことがわかった今、残る自分の人生の時間を議論に費やす気はありません。
2005年5月から始めたブログも5年経ちます。
2010年3月時の読者は次のとおり。
ユニークアクセス40658、トータルアクセス159109
1回40%、100回以上25%、50回以上20%
このように熱心にお読みいただいた皆様に支えられて参りました。
本当にありがとうございました。
また、心機一転。
夫婦揃って、ゆっくりとスタートさせていただきます。
現世において輪廻転生したようなもの。
生まれたばかりでおぼつかない足取りです。
至らぬ点多々あると思いますので、ご了承ください。
【竹内まりや 「人生の扉」】