自由からの逃走―(1)存在不安と役割喪失不安
第二の誕生とは、ブラックホール(共依存界、ハラスメント界)からオンギャーと生まれ出ることが出来たということ。だから、とてもおめでたいのです。でも、赤ちゃんが生まれた直後はまだ母体とつながっていますよね。そう、へその緒です。
このへその緒を切って、「呼吸の仕方」という生きる上での根本メカニズムを変えて初めて“外”の世界で生きていくことができます。つまり、大気の中で生きるときは、羊水の中にいたときの生きる方法論をすべて捨てて抜本的に切り替えなければなりません。
この切り替える瞬間は呼吸も止まって、死ぬのではないかと、とても怖い思いをするのではないでしょうか。そして時に産婆さんがピシッと叩いて刺激を与えて「オンギャー」と初呼吸(初発声)ということもあるわけですね。
第二の誕生後も、この時と同じ恐怖が待っていることがあります。
★独り立ちするときに襲う二つの不安-----------------------------
図を見てください。第二の誕生をしたということは、ブラックホール(共依存界、ハラスメント界)から抜け出せたと言うことでとてもおめでたいのです。が、まだ赤いへその緒がくっついていますね…。

生まれたのにへその緒がついたままだと赤ちゃんは死んでしまいますよね。第二の誕生後も同じく、へその緒がついたままだとまたブラックホールに引き戻されて本当の自分は死んでしまいます。(上図左)
ですから、生まれた後はへその緒を切らなければなりません。(上図右)
つまり、共依存界とのしがらみを断ち切っていくということですね。
そのしがらみをつないでいるのが、ICの親への思いでありIPです。
それからもう一つ、へその緒を切って何にもつながらず一人になってしまうことへの不安なのです。
この不安には2種類あるように思います。
一つは、親から認めてもらっていないという存在不安。
もう一つは、自分の役割が無くなってしまうという役割喪失不安。
存在不安とは、自分は愛されない存在なのではないかという、自分の存在についての根源的な不安です。つまり、あるがままの自分(Be)に自信がなく心許ない状態です。
そのため、何かの役割を果たす(Do)ことで自分を認めてもらおうとします。たとえば親の受け皿になっている人は、受け皿をすることが自分の存在価値の証明になると錯覚するのです。その役割を失うことは、自分の存在価値を失うようで怖い―それが、役割喪失不安です。
★役割(Do)がなければ存在(Be)もない?------------------------
共依存界にいる人は、まず自分のことより親(人)のこと。
自分の思いで行動してよい、自分で判断してよいという側面は“禁止”され、親(人)のことを気遣え、言うとおりにしろという側面は“強化”されて育っています。
そして、ヒーロー(頑張り役)、プリンセス(お人形役)、スケープゴート(生け贄役)、ピエロ(楽しませ役)、プラケーター(なだめ役)、ロストワン(見捨てられ役)などの“役割”で生きるようになります(そのどれもが親の受け皿です)。そして、友人、夫婦、職場関係などでもその役割で生きていこうとするわけです。つまり誰もが、AC(アダルトチルドレン)なのです。
その生き方が苦しくなったとき、あるいは心や体の病を通じてその生き方がおかしいことに気づいたとき、人は自律を目指すわけですね。
そして、人を道具にする共依存界から、何をするも自分次第という自由な世界との境界に到達します。さぁ、夢にまで見た自由な大地がそこに広がっています。
ところが、いざそこまでくると…
一歩を踏み出すのが怖いのです。
なぜでしょうか。
共依存界から抜け出るわけですから当然役割はなくなって、そこから先はすべて自分次第。何者にも縛られないバラ色の世界……実は、それが怖いのです。そこには次のような理由があります。
・自分の気持ちで判断したり行動することが禁止されている(IP)
・自分が何をしたいのかわからない(ICとつながりきれていない)
・だから、自分(Be)に自信がない(存在不安)
・その上、役割(Do)もなくなると根こそぎ自分がいなくなる(役割喪失不安)
それまで役割を果たす(Do)ことで存在(Be)していたため、役割がなくなるということは自分の存在がなくなるような恐怖を感じるのではないでしょうか。
*ご参考:どー(Do)していいのか分からない親へ
★不安に駆られて陥る罠--------------------------------------
そして、この心の奥底にある二つの不安が、自分を何かにつなぎ止めようとして、突き動かしてしまうことがあるのです。例えば次のように。
・精神科医やカウンセラーとの関係を継続するために、同じところをグルグル回ったり、あるいは症状を無意識に悪化させたりする
・自分が見守られているかどうかを確認するためのゲームを仕掛ける
・自分がなんらかの負債を負うことで関係を保とうとする
・相手を責めることでしがらみを作ろうとする
・新たな依存対象(人、モノ、行為、組織)を探したり、作ったりする
・新たな依存対象と同じ世界に所属しようとする
…いずれもハラスメント界で身についた方法論ですね(--;)。
人が追い詰められたとき、咄嗟に出てくるのは身についてしまった方法論(生き癖)なのです。
それに絡め取られているからハラスメント界から抜けられなかったのですが、いざそこから抜け出られるぞという段になって、寂しさから逃れるために、身についた方法論によって新たな依存を作ろうとしてしまう―これは、よくあることなのです。
結局、共依存界から抜けようとした自分自身が、今度は自ら新たな共依存界を作ってしまうことになるのです。こうして、共依存界は瞬く間に世界を覆ってしまったのでしょう。
★チャンスを生かすも殺すもあなたの勇気-------------------------
冒頭で、『「呼吸の仕方」という生きる上での根本メカニズムを変えて初めて“外”の世界で生きていくことができます』と書きました。自律するとは、共依存界(ハラスメント界)で身についた方法論をすべて捨て去るということです。
第二の誕生を成し遂げたということは、IPは弱くなっており、ICとつながったからこそあるがままの自分(Be)でいられるようになり、だから役割(Do)は不要のまっさらな自分に戻ったということ。もはや何も怖がることはないのに、何の方法論も持たないその裸の自分が怖いんですね。
しかし私たちは皆、死ぬかもしれないという恐怖を乗り越えて、生きる上での根本メカニズムを変えるという人生上最大の“体験”を生まれたときにしています。この体験が人生のスタートラインに組み込まれていることに宇宙のメカニズムの福音を感じます。もう既にあなたは“やったことがある”のです。だから、やろうと思えばできるのです。すべての人に平等に生き直しのチャンスは与えられているのだなぁと思います。
でも、そのチャンスが訪れる人、気づく人は、そう多くはないのかもしれません。そして、チャンスが訪れたときに、それを生かせるかどうか―それは偏にあなたの勇気にかかっています。
★共に歩く仲間---------------------------------------------
どの赤ちゃんも何の武器も役割も持たず裸で無防備で生まれてきますね。でも、生きていけますよね。それは、見守る親がいるから。
第二の誕生後も同じ。まっさらな自分に戻り、その上、前項で書いたように、自分が自分を見守る親になることができるのです。
人は生きるためのすべてを持って、この世に生まれてきているのだなぁと思います。
でも、一人で何もかもやるのは大変?それに寂しい?
『人は常に人生の踊り場を生きている』を振り返ってください。
独り立ちしたときに、あなたはともに自律に向かって歩いていく“仲間”になるのです。あなたが一人になるのを怖がって依存しようとしている限り仲間にはなれないのです。
不安に駆られて戻ろうとする共依存界は、あの映画「マトリックス」の繭。本質的に孤独な世界です。
勇気を持って繭を開けた世界は、仲間とともに助け合う共生の世界です。
いつでも仲間になれるのですから行動を急ぐ必要も焦る必要もありません。
必要なのは、ただ決意です。
『君は気づくでしょうか?
その鍵はもう
君の手の平の上に』
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-936.html
<つづく>
【自由からの逃走】
(1)存在不安と役割喪失不安
(2)人のせいにする心理
(3)操り人形は責任をとらない(とれない)
(4)サティアン化する社会
(5)「○○のために」は「○○のせいで」の裏返し
(6)大義名分が人を滅ぼす
(番外)龍馬と弥太郎と半平太
(7)あなたを縛る「あなたのためだから」
(8)自分のせいにする心理:自己卑下&自己否定
(9)自分のせいにする心理:責めを負う
(10)へその緒を切る(世代間連鎖を断つ)のは、あなた