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自由からの逃走―(3)操り人形は責任をとらない(とれない)

2010/05/23(Sun) Category : 自律(自由と責任)への道
【自由からの逃走】

人は、親の(無意識の)意向に応える人生脚本を作るため、親がピュアであればあるがままの脚本を作り、そうでなければ親のエゴに影響された脚本を作ってしまうという基本構造がわかりました。

結局、戦争により存在不安を抱えた第一世代(まぁ60代後半以上でしょうか)を支えるため、親の受け皿(道具)となることが世代間連鎖していて、受け皿体質が日本中に広がっているわけですね。ですから、家を出た後もそこにはハラスメント界(共依存界)が広がっているわけです。


★操り人形は責任をとらない-----------------------------------

とある職場Aは「女性社員の躾がなっていない」と悪名高き職場でした。確かに、朝「おはようございます」もなく、帰りも黙って帰る。机の引き出しはなんとあけっぱなし。ゴミ箱は溢れている。職場の内も外も片付けられていないおもちゃ箱のように雑然としていて、そこはまるで反抗期の子どもと親の会話のようなトゲトゲした言葉が飛び交っている職場でした。

一方で、指示を受けた仕事はアッという間に片付けてしまい、その手際のよさも驚嘆ものでした。このアンバランスはいったい何なのか。

わかったことは、職場Aの女性は躾されていないどころか、実によく躾けられていたということです。その職場では、上司に言われたことをすぐやることが求められているのであり、整理整頓などしても何ら評価されないことを知っています。むしろ、そういうことをやっていれば、「言われたことはやったのか」と嫌みを言われるだけです。そう、求められていないことをやった場合、評価されないどころかクレームさえくるのです。

「考えるな。言われたことだけを速やかにやれ」―それがこの職場の上司の姿勢であり、彼女たちはこの職場の在り方に特化したプロなのでした。

つまり、この職場では、言われたことだけをやり、言われていないことはやらない“手”としてのみ、存在を許されていたわけです。だから、言われていないことは一切放置―というよりも、やってはいけないという「禁止令」の中にいました。

自分たちが人として扱われていない、道具としてディスカウントされている―その怒りがトゲトゲした言葉であり、責任放棄だったのです。




★操り人形は責任をとれない-----------------------------------

とある職場B。赴任して間もなく、そこにいた青年の言動に驚いたことがありました。自分で起こしたトラブルなのに悪びれもせず、まるで他人事のようにしゃべっているのです。あまりに呆気にとられて、「それはおまえが言うことじゃないだろう」という言葉さえ出てきませんでした。何かの回路が脳から欠落している…そういう印象を受けました。

そこでは他にも、責任感を持って仕事をしていれば起こり得ないようなミスやトラブルが頻発していました。その背景にいたのは、人を自分の意のままに動かそうとする課長でした。


(職場A,Bともに、家庭でもよく見られますよね --;)
(このように育った人々が、今親になっているわけです。こうして連鎖していくわけで、あっという間にハラスメント界が広がることがわかると思います)


職場Aの社員は、責任をとらなくなっています。言われたことだけやって、後は知らない、という姿勢ですね。
職場Bの青年は、もはや責任をとれなくなっています。責任という言葉の意味さえわからないのではないでしょうか。

このように、人は操り人形になると、自分のやっていることの責任をとらなく(とれなく)なってしまうのです。そして、人間のロボット化が進んでいくんですね。

自由=責任ということです。責任をとらない(とれない)人は、本質的に自由を怖がります(たとえば、職場Aの社員も職場Bの青年も、自由裁量でやらせようとすると逃げました)。

つまり、操り人形になってしまうと、自由な自律界が怖くなってしまうのです。





<つづく>





*下記に操り人形に関して幾つか記事を挙げてありますのでご参考まで
「PLUTO」~ゼペットじいさんも操り人形






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久し振りに中尾さんに会い(読み)たくなって、こちらに訪問しています。
自分を見直したいという気持ちがあって、記事を拝読していたら、お腹がぐーと鳴りました…。

今、ひょんなことがきっかけで問題を抱えている方と交流を持っており、IPちゃんが大好きなネタなので、少し不安があるみたいです。

この件で、気付いたことがいくつかありました。
「私が助けなくちゃ」と、思い付きもしてない!
相手が苦しい状況だからと言って、自分が楽しいことをしていることに罪悪感がない!

もしそういう使命感のようなものが自分に生まれてしまったら、私は身を引こうと思っています。
気付けるといいなぁ、もう出てるのに、気付いていないだけかな…。という、なんだか着慣れない服を着ている時のような感覚があります。

でも、お腹のぐーで脱力しました。
ごはん食べてきます(^^)

 

確かに。
自由を肯定された時は基本的に責任感が強く
逆に強制された時は無責任でした。

 

自由=義務と責任

私は親に自由に育てられました。
というかそう言われて育ちました。
そして『自由には義務と責任が伴う』と教えられました。

でも…私は自由が怖かった。

義務と責任を負うくらいなら、不自由でいたいとさえ無意識に思っていました。

義務や責任が具体的にどういうものかわからず、恐ろしいことに思えたからです。

失敗すれば貶され
どうすればいいかわからなくても貶され
上手くいっても
上手にできても
調子にのらないよう、嫌みがついてきました

そしてなんだかんだと失敗の責任は両親がとってくれて
義務も両親がお膳立てしてくれたなかでこなしていました

『自分で考えろ』

その結果はどうあれ嫌みや貶されることが頭をよぎり
考えることはいかに傷つかずに済むかでした。


今もまだ自由が怖いです。
義務や責任をとれる自信もありません。

でもやっぱり自由になりたい…

自分だけの人生を行きたいともがいています。

 
    
 
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