プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
02 ≪│2017/03│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

自由からの逃走―(5)「○○のために」は「○○のせいで」の裏返し

2010/05/25(Tue) Category : 自律(自由と責任)への道
【自由からの逃走】

家庭も社会もサティアン化した共依存界。そこで行われていることは、人を操り人形にすること。しかも、(2)で見たように操られていることさえわかっていない…。そういうことがわかってくると、日本人がなぜそうなのか、という理由の一端が見えてきます。


★なぜ日本人は「個」となると脆いのか----------------------------

たとえば、
敵に捕まった日本兵は、なぜべらべらと軍事機密をしゃべるのか。
警察に捕まった企業犯罪の社員は、なぜ簡単に口を割るのか。

みんな自分がやったという罪の意識がないからですね。

これは、「○○のために」を「○○のせいで」に言い換えるとよくわかります。

「お国のために」→「国のせいで」
「会社のために」→「会社のせいで」

よーくわかりますね~。
表(サティアンの中)では忠誠を尽くす顔をして、腹の底では自分が犠牲者くらいに思っているのです(--;)。だから、自分が直接手を下した下手人なのに自分は悪くないと思っているのです。なぜなら、自分がやったことなのに、どこかやらされ感があるから。


自分の責任で生きていないというのは、これほどに情けないことなのです。

自分がロボットであることを自ら表明しているようなもの。それで一生を生きたとして、そこになんの“人生”(人としての生)があるのでしょう。

自分以外の「○○のために」と思ってやっていることが、いかに嘘っぱちかがわかることと思います。自分の人生であるのに、自分以外の何かのために生きる―そんな人生が楽しいはずがありません。不満たらたらの人生なのです。それだけではなく、無責任に他人に害を及ぼして社会全体を悪化させていくことなんですね。




★「○○のために」は「○○のせいで」に転化する--------------------

自由意志で生きることができないときに、その我慢の苦しさを自分に納得させるために人は大義名分を必要とします。それが「○○のために」という台詞なのです(それが意識に登っているか否かは問いませんが)。

「あなたのために」「子どものために」「親のために」「家族のために」「会社のために」「お国のために」…「神様のために」
―人は、それが耐え難い苦痛であればあるほど、その対価に大きなものを置くことによって自分を説得しようとします。


しかし、我慢してやってますから内心不満がたまっています。そのためうまく行かなかったときに、一挙にその不満が爆発してリバースし、攻撃に転化するのです。

「あなたのせいで」「子どものせいで」「親のせいで」「家族のせいで」「会社のせいで」「国のせいで」…「神様のせいで(神に○○したのに)」

こうしてみると、
「○○のために」というおためごかしの台詞は、実ははじめっから
「○○のせいで」という“捨て台詞”であったことがよくわかりますね。




★チャイルドは、あなた自身に対して怒っている---------------------

ちなみに、「家族のために」とどこかで思って働いている方。胸に手を当ててじっと自分に訊いてみてください。本当はこんな時間過ごしたくない。苦しい。いやだ。というチャイルドの声が聞こえてきませんか。

それを「みんなそうなんだ」「社会(会社)がこうだから仕方ないんだ」「我慢しているのはおまえだけじゃない。甘ったれるな」とIP(インナーペアレンツ)の言葉が打ち消していませんか。

しかし、蓄積された不満感情はいつも出所を待っています。そして、「お前たちのために頑張っているのに、その態度は何だ!」と、家族のせいにしてその怒りをはき出すことになるのです。

上記は一例ですが、「○○のために」の中にいろいろと言葉をいれて自分を振り返ってみてください。自分がどれだけ不本意な生を生きているかがわかると思います。そして、そうやって我慢していればいるほど、他人事(人の人生)にカッカ来ることになります。

それは実は、チャイルドがあなた自身に対して怒っているのです。




★共依存社会は無責任社会------------------------------------

さて、以前人の後をついて歩いたときに、あぁこりゃ楽だ、と思ったことがあります。人の背中を見ながら、その後をついていくというのは、常に前の人の動向を注意しなければならない半面、お任せできて楽ですね。仮に苦難の道に至れば、そのことについても先導者に文句を言っていればいいわけですから。

つまり、この押しつけは苦しい半面、諦めてしまえば「長いものに巻かれろ」で、ある意味楽なところがあるのです。
前項の事例で言えば、職場Aの女子社員は押しつけてくる上司に不満たらたらですが、速やかにやることにかけてはプライドを持っており、そこで生きています。ですから、その枠組みが崩れることもいやなのです。
また、職場Bの男子社員は、上司に言われたことをやっているのだからと、トラブっても良心の呵責もありません。

つまり、自分が所属している枠組みは崩そうとはせず、職場Aの女子社員は「上司のせいで」と文句を言い、職場Bの男子社員は「職場のために」やったことだからと自分の責任を感じることもなく生きているわけですね。

結局、押しつけられた役割はどこか責任を持てない。
一方で、役割以外の責任は免除されている。

つまり、共依存社会というのは、無責任社会なのです。
(その状況証拠は日本国中に現れていますね)

これは、親の支配下にありつつ親に文句を言い続けて生きていることや、親の支配を感じないままに手足として生きていることの焼き直しを社会でやっているようなものですね。




★「○○のために」と「○○のせいで」で生きていくことはできる----------

このように、家庭でも社会でも、そうしようと思えば「○○のために」か「○○のせいで」のどちらかで生きていくことができるのです。自分の責任を棚上げできる(ほんとはできませんが)、苦しいけれど楽―そういう状況に陥ってしまいます。

まして、共依存の強い人は、人(親)の思いや要求に“反応”して動くという生き癖がついていますから、何をするにせよしないにせよ、常に先に人ありきなのですね。ですから、先に人がいないと身動きできずに困り果ててしまうのです。

みんな一緒じゃないと不安。それに、
先に人がいないと困る。
先に人がいると苦しいけれどラク。
―これが、いざ自律に向かおうとして足踏みしてしまうもう一つの隠れた理由です。



(でも、チャイルドが出てきた人は、そのうちドカンと、チャイルドに怒られるんですけどね…^^)




<つづく>




関連記事
 
Comment4  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

私はハラッサーだったと自覚していますが、「誰かのせいで」とか「誰かのために」とは思った事がないような気がします。
離婚した夫とも様々な問題がありましたが、「夫のせいで」と思う事はほとんどありませんでした。その人を夫に選んだのは自分だからです。
親のことについも父を送り、認知症の母を介護している最中ですが、自分のためにしている事です。親孝行をしたいとかいう気持ちよりも、母が昔、歌ってくれた子守唄を思い出すと介護するのは当然だと思うからです。介護しなければ後悔するのをわかっています。
ただ娘に対しては、申し訳なく思っています。
それは、自分の承認欲求を満足させるためだったとわかるからです。つまり、良い母親がよい子を育てているという。
周囲からよい子だと言われることをとても誇りに思っていました。
こらがハラッサーの実態なのではないでしょうか。
娘はとても頑張ってよい子になってくれていました。
ホントによく私を支えてくれていました。
彼女がいてくれて私の人生が成り立っていたと思います。
だから、「誰かのため」でもなく「誰かのせい」でもなく
ただ私が自分の存在価値をよい子の母親としてのみ感じられたという依存によるものだったとわかります。
誰のせいでも、誰の為でもないのです。

でもこれが自分で作った人生脚本だということなのでしょうか

 

ありがとう

バブルを知らない者です。バブルによる悪影響とか、よくみかけていたのですが、バブル知らないんで想像が難しかった。でもこの記事と、kei さんのコメントで、何かが分かった気がしました。
組織についても、バブルについても、人の心理についても。

keiさんのように、飛び出して正解だった、と言う人が身近の大人にはあまりいなかったので、とてもほっとしました。

会社のために、同僚のために、何かのために、

苦しい気持ちを押し殺してでも笑い続けていろ、と言葉で態度で強要させる場所から縁を切って飛び出してきたので、本当にありがたかったです。

これからどうなるか分かりませんが、私はこれからもずっと、自分が進む道は自分で選んで歩いていたいです。

 

[共依存の強い人は、人(親)の思いや要求に“反応”して動くという生き癖がついていますから、]←まさに少し前までの自分、、、。周囲に振り回されて疲れていました、、、。生き抜くために身に付けた「反応」を「優しさ」と勘違いをして、、、、。職場などでも損するから優しさを表に出さないようにやり過ごそう、とかずいぶん長い間試行錯誤をしていた気がします。実家でも社会でも、「相手の顔色を見て反応すること」が「優しさや女らしさ」だと言外に教わっていましたしね。私のOL時代は、職場のお酌なんて典型的でした。「あの子は気が利く」とかなんとか。ヘドが出るわ、と思いながらもそれなりにやるしかない、という。だって私の世代って「嫁に行く」のを目標に育てられていて、「腰掛OL」「お嫁さん候補」とかが多勢でしたからね。(バブル終了辺り)

男女問わずとも、そうやって「気づき、反応する人」が「押しの強いずうずうしい人」にいいように使われていた、、、、。だから特に男性は、ずうずうしいフリをしないと損、もしくはずうずうしい奴の下でキメ細やかなサービスを提供して誰かにくっついて出世をするような仕組みになりがち?
押さえつけ、出し抜き、、太鼓持ちをする、というなんとも世知辛いビジネススタイルが生まれたのでしょうかね、、、。
そうすると上に媚びるのがうまいモラハラジャイアン的な存在が同期を押さえて出世しやすいのか?そんな変な人が「あの人は出世候補!」などとともてはやされたりするという、、、。私の大嫌いな会社組織の姿。
会社デビューして一年程で燃え尽きて、しばらく「ほぼ引きこもり」だった時期があったのですが、そんな世界、嫌になって当然だったんだな、、、と思います。家も嫌だったので、再びガンガン働き、金を溜めて国を出た、、、。当時は周囲に叩かれまくった行動でしたがうーん。正解正解。

共依存社会って、「ここにいれば安全だよ」「ここから出たら孤独だよ」「世間は怖いんだよ」と幻想を刷り込みますよね。ことプライベートのつながりでは、イザ「抜けます」と言うと絶対に逃さない、みたいになるし、、、。こ、こわ~と思っていたんですけど、そういうカラクリかぁ、、、(^^;)

 

言い訳100個

大義名分=言い訳100個
と表現している私です。
行動したいのにやらない自分には言い訳が100個くらいつくんです。
そしてその言い訳の中にはもれなく「○○のために(今は)我慢」っていうのがいっぱいあります。
「見返りは求めない」つもりでいるし、
○○自体もそれを望んでないだろうに、勝手に巻き込んでいることになるんですよね~。
無意識に「○○のせいで」と感じていて
チャイルドに怒られて「やっちまったらしい」となるパターンが多いかも。
人にくっついて歩いていた(時には違和感を感じながら)時は、どこに連れていかれるのかわからなくて苦しかったけど、簡単だったんですね^_^;

失敗を怖がりすぎて、石橋叩きすぎ…って感じます。
失敗してもいいのよ~と言い聞かせてます。

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
わが子を守るために
記事
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード