自由からの逃走―(6)大義名分が人を滅ぼす
前項で、『自由意志で生きることができないときに、その我慢の苦しさを自分に納得させるために人は大義名分を必要とします』と書きました。これは、思いがあってもその思いで生きられず、自分の外側の何かに従って生きざるを得ない苦しさを誤魔化すための大義名分でした。
しかし、今やそもそもどのように生きていいのかわからないという人も増えています。“思いがあって苦しい”のではなく、そもそも“思いがなくて苦しい”のです。自分の心を封印して生きようとする人々は、どのようになるでしょうか。
★心を亡くして義(形、理屈)で生きる悲劇~「仮面の家」--------------
自分に背骨がなく空っぽの場合に、人は次のような行動をとります。
・思想、信条、信仰、主義、イデオロギーなどを自分の背骨(鎧)とする
・モデルを見つけ、そのモデルと同化しようとする
・世間が認める大義に従うことで、自分の存在を認知させようとする
「心」が「形」を創っていくのですが、心を亡くしているので外から鋳型成形しなければ、自分という存在も人生の形もできてこないのです。その悲劇の事例の一つが「仮面の家」でしたね。
男性像、父親像をもたないりょう先生は、「人生劇場」や「巨人の星」というテレビの中にモデルを見つけ、それに自分を同化させていこうとします。
(中には、生活スタイルから着る物までうり二つにしてしまうという病的なケースもありますが、そこまで行くともはや“病気”と言っていいかもしれません)
しかし、どんなにモデルに似せたところで、それは自分が苦労して身につけたものではなく借り物であって、自信とはなりません。自分が自分以外の者になろうとするので、ただ苦しいだけなのです。
そして、いずれ男性及び父親として対峙しなければならない息子は、りょう先生にとって潜在的な脅威であることに変わりはありません。そこで、息子が自分に刃向かってこないように、自分が息子を叩きつぶすことができる大義名分を予め手に入れようとするのです。この場合の大義名分とは、自分が相手をやっつけるための理屈(許可)であり、自分が安心を得るためのものですね。
この大義名分を(無意識に)探すために、書物などを読みあさることはよくあることです。それは太宰の小説の中にありました。
『義のために、わが子を犠牲にするということは、人類が始まって、すぐその直後に起こった』―これだ!人類の歴史とともにあるなら誰もが認めるスタンダードだ―これで息子を犠牲にすることができる…。
【「仮面の家」の裁判員できますか? 第4部-2、借りてきた「男性モデル」と「父親モデル」】
でましたね。「○○のために」
しかも、その○○は、ずばり「義」そのものです。
あらゆる「義」がそこには入ってきます。それらの「義」は所詮人間が作った理屈(鹿児島には「義(理屈)を言うな」という言葉があります)。その人間が作った理屈よりも命が軽いという本末転倒。しかし、りょう先生はそれにすがりました。
こうしてりょう先生は、自信のない自分を鎧の中に隠し、武器を手にして人生を何とか乗り切っていこうとします。が、「心」を求める子どもは「おまえは裸の王様だ!」とその偽善を見破り、心をさらけ出させようとします。しかし、心亡く生きてしまっているりょう先生に見せられる心はなく(ほんとうは誰でもあるんですが)、追い詰められたりょう夫妻は、自分達が苦しい思いをして人生をかけて築き上げてきた鎧を守るために、ついに息子を殺害したのです。
この息子殺害の許可は、実は『義のために、わが子を犠牲にする』という文章に出逢ったとき、つまり、息子が誕生したときに既におりていたのです。
<つづく>
大義名分
*心で生きられない人は自分を守るために、あっちにもこっちにも義(形、理屈)を必要とします。ご参考までに、少し見てみましょう。
●自分が変化に対応しなくてよいための大義名分---------
『対外的には「生涯平教員」という大義名分を掲げました。これは、自分を支える枠(甲羅)の一つです。と同時に、自分が変化に対応しなくてすむための大義名分にもなっています』
『「生涯平教員」という大義名分を掲げることによって、将来人をマネジメントする立場になることを前もって回避しているわけです』
【「仮面の家」の裁判員できますか? 第3部-2、「感情を出すな」という禁止令】
●怒りをはき出すための大義名分------------------------
『吐き出したい感情のうち大きなものは、ディスカウントされたことへの怒りだ。その怒りは親に向けられるべきものだが、意識化されないことも多い。
やがて、怒りは出口を求めて抑え込もうとする自分をも飲み込み始める。
そして、怒りを吐き出すための大義名分を得るための理論武装をし始める。理論武装ができようができまいが、「心のコップ」が臨界に達したとき人はたまった感情に突き動かされて行動してしまう』
【生きづらい人(2)-ダメを目指す人生脚本】
『本当に「正義」ならば穏やかに言えばいい。真っ当なことであれば、穏やかに言っても十分に相手には通じる。「正しいことを言うときは穏やかに言いなさい」-昔の人はそう教えたものだ。
が、「正義」だと思った瞬間に「キレる」-何のことはない、それは怒りを吐き出す正当性を自分が得たと感じるから、ここぞとばかりに怒るのである。最近の大人げない「キレる大人」は、圧倒的にこのパターンが多いのではないかと思う』
【さらば!キレる大人(1)-定年退職後、突然キレだした理由】
『このような承認欲求を持つ人は、あるがままの自分を親に認めてもらっていないことへの「怒り」も必ず持っている。その怒りを躾などの大義名分を得て子どもに吐き出すのである』
【「秋葉原通り魔 弟の告白」(前編)より-(3)怒れる絶対君主】
『大義を得たとき、それは怒ってよいという「許可」を与えられることになるので、自分の中の怒りは、大手を振ってここぞとばかりに出てくることになる。だから、情け容赦もなく大爆発をするのだ』
【渋谷夫殺害事件-(14)怒りに飲まれている人】
●相手を殺すための大義名分---------------------------
『人は背中に“正義”を背負うとき、敵を抹殺することに何の痛みも感じません。怒りという個人的な感情は、正義を背負うと力を得て暴走するのです。
この口論事件は、亜澄さんを殺してしまうことに“大義”を与えたのではないかと思います』
【短大生遺体切断事件の家族心理学(10)-大義を得た勇貴】
『大義を得た者は得てして「万死に値する」理由を相手の中に見つけて、相手を殺戮しようとします。もとより、楯突いてくる者を消すことが目的ですから理由はどうでもよいのです』
【短大生遺体切断事件の家族心理学(11)-殺す側の論理】
『「家」を守る道具となって、「人」(亜澄さん)を殺した勇貴容疑者。
「国」を守る道具となって、「人」を殺す兵隊。
実は、同じなんです。
大義がわかりにくければ猟奇殺人にされ、
大義があれば正義になるのです』
【短大生遺体切断事件の家族心理学(Last)】
●物を売るための大義名分-----------------------------
『なぜそんなに農薬漬けにするのか=見栄えのいい米を作るという大義名分のもと、流通段階で利益を確保するためです』
【耕さない田んぼという“生命循環系”から恵みを届ける岩澤信夫さん】
●人の目をそらせるための大義名分----------------------
『サラリーマン諸氏は体験的にお分かりのことと思うが、達成できない目標や反対できない大義名分を掲げて、“現実”にとって有効ではない対策を実行することは“日常的”に見られることである。当然それらの対策は失敗に終わるのだが、やっている最中はやっていることがアリバイとなって、面倒な根本原因、本質的原因の改革に立ち向かわなくてすむ』
【教育行政のなぜ?(1)~「ゆとり教育」失敗の本質的理由】
●権力を存分に行使するための大義名分------------------
『彼は、俺を徹底して揺さぶることを組織に公言し、承認を得ていたのだ。これで、なにをやろうとも教育という大義名分で守られるわけだ。なにかが起こった場合、それを承認した組織も同罪だ。彼は、自分の安全を確保した上で、実に好き放題のことをしたわけだ。これは、教育の名を借りた一方的な暴力ではないか。』
【丹波ナチュラルスクール暴行事件】
『上司は部下の教育のためという大義名分で自他をごまかしますが、毎回必ずチェックが入り、修正させられるとどうなるでしょうか』
【職場のパワハラ上司8タイプ】
●現象が、大義名分となった事例---------------------------
『いろいろな意味で象徴的なのは、97年の山一証券の廃業。次のような影響を与えました。 (略)会社のリストラに大義名分を与えました
→「痛みを伴う構造改革」等と称して、大手を振って解雇できるようになりました。リストラを発表すると株価が上がるくらいでした。』
【時代に翻弄されるカイシャイン】
…他にもありますが、挙げきれませんので「大義」「正義」などで検索してみてください。