プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
02 ≪│2017/03│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

「龍馬伝」~龍馬と弥太郎と半平太

2010/05/28(Fri) Category : TV.本.漫画
【自由からの逃走】―(5)(6)の番外編

<「龍馬伝」第21回「故郷の友よ」を見て>

目的のためには手段を選ばぬ武市半平太にはいろいろ思うところがあるのだが、妻富との別れの場面には泣いた。最近は、IC(インナーチャイルド)と直結しているせいか、グッとくると涙だけではなく、子どものように嗚咽までが出てきそうになる。

横で見ていた娘が気づいたようだが、番組が終わるまでは放っておいてくれた。見終わった後、「パパ泣いてる~」という娘の声で妻がきて頭を撫でる。そのうち、娘までが「よしよし」と頭を撫でてくれた(笑)。

まー、50歳を越えてもよしよしされると癒されるもんです。
年齢無関係。どの人の中にも、チャイルドはいる。
優しくされ癒されると、人にも優しくできるようになります。
男だろうが、大人だろうが、子どもに戻るときは戻ればいいと思います。



★半平太--------------------------------------------------

ところで半平太。
(詳しい人物像は知らないので、テレビで見た範囲での印象ですが…)

そんなにも山内容堂に認められたかったか。
上士―白札郷士―郷士という階級制度の中で、名誉白人という呼称と同じくらいにいやらしい白札郷士という身分の半平太。

仮に、山内容堂を父親(戸主)、上士を父親に無条件に認められている長男(跡取り)、郷士は「後は野となれ山となれ」と見捨てられて、悔しい思いをしながらも家を出ると腹をくくっている三男としよう。すると、白札郷士は、条件付きで認めてもらっている分家された次男というところだろうか。

三男は家を飛び出ていくが、次男は半端に認められているだけに、そして当人は実力が長男よりもあると思っているだけに、何とか父親に無条件に認めてもらいたくて仕方がない。遠くからお城(本家)を眺める半平太の姿。いろいろな思いが去来しているだろうが、望みは、父親(山内容堂)に認めてもらいたいことだけなのだなぁ…という印象を持った。



★龍馬----------------------------------------------------

郷士出身の坂本龍馬は、身分制度(封建制度)に悔しい思いと怒りを持つ。制度を変えるためには、家(藩)を飛び出て国(幕府)に働きかけなければならないと脱藩する。

ここが、制度を前提とした上で、その中で認められようと動いた半平太との違いだ。枠を壊そうとする龍馬と枠を維持しようとする半平太―そこに両者の決定的な違いがあったが、それには出自も大きく影響していただろうと思う。



★弥太郎--------------------------------------------------

岩崎弥太郎は地下浪人である。地下浪人とは、郷士の株を売ってしまっていわば侍でなくなってしまった者。弥太郎の父親の代から浪人(身分なき者)になり下がっている。上記の家族に見立てれば、勘当されていた四男(ロストワン)?

「上士にあらずんば人に非ず」という傲慢な風土の中では、地下浪人は犬畜生のごとき扱いであっただろう。 だから、次男のように父親に認められたいという望みも、三男のように身分制度をぶち壊したいという動機もわかない。既にそういう社会的枠組から外れているわけだから、枠に沿うも、枠に反抗するも、枠自体を壊すもないのである。

既に枠がないところに置かれている。つまり自由自在。
それは同時に保障は何もないということ。
だから、「食うこと」=稼ぐこと―これがすべてだ。



★思いで生きた龍馬と弥太郎----------------------------------

半平太は親に認めてもらいたい―そのことに全力を使った。
龍馬は国の体制を変えたい―そのことに全力を使った。
弥太郎は何とか金を得たい―そのことに全力を使った。

それぞれが、我が身の切実なニーズから自分の道を進んだ。
そして、
龍馬は身分制国家を民主国家にする道を開き、
弥太郎は米経済を金経済に変えていく道を開いた。

誰のためでもなく自分の思いで生き切った二人に悔いはないだろう。



★認めてもらいたかった半平太----------------------------------

半平太は?
自分の思いで生きたか?

「大殿のために」と言い続けた半平太。
尊皇攘夷という大義名分を掲げた半平太。

「○○のために」と言い続けたことも、大義名分を掲げたことも、いずれも自由意志ではなく我慢して生きていることの証明だ。
【自由からの逃走―(5)「○○のために」は「○○のせいで」の裏返し】


結局は、自分が認めてもらいたかった。
この時代で言えば、「名」を挙げたかった。
「名」を挙げるために、自分自身を道具にした(心を亡くした)。
自分を道具にするからこそ、人を道具にすることができた。
心を亡くしたからこそ、殺人もできたのである。

そして、以蔵を使って要人の暗殺にも成功していったとき、半平太は何でもできるという全能感をも持ったのではないだろうか。

さらに、世に名を認めてもらうために親をも利用したのではないだろうか。
それが親も望むこと―という前提の上に。

もし容堂という人物が敵方にいれば半平太は殺していたかもしれない。
彼は、容堂という個性に認められたかったのではない。“大殿”という藩の最高権威に認められたかったのではないだろうか。


結局、【大義名分が人を滅ぼす】に書いたとおり、りょう先生が義のために息子を殺したように、半平太も義のためにその義に反するものを殺害し、最後は義のために果てた。が、そう書くとかっこよいが、その実、疑似親子の確執の中で半平太は散ったのだと思う。りょう先生が父親を求め続けていたように…。





★認めてくれる人は目の前にいる--------------------------------

半平太が捕まる直前、妻に初めて本音を話す。
妻と二人の穏やかな旅の夢を語る半平太。

ようやく、ようやく本音を話すことができたか…
そして、妻はようやく夫の本心を聴くことができたか…

半平太、あんたは自分を認めてくれ、と“外”に望まなくとも、
目の前にいたじゃないか。
自分を最もよく知り、そして愛してくれる人が。

「それでええがです」と、
すべてを受け止めてくれる人が。



そう、富さんが言うように、龍馬や弥太郎のようになる必要はない。
みな、置かれた環境が異なるだけ。
後は因果の法則で生きていくだけ。
その経緯のすべてが個性。
誰も、自分以外の人間にはなれないし、なる必要もないのだ。



その自分を丸ごとを受け止めてくれる妻、富さんの前で、
はじめて半平太は、その素直な思いを口に出すことができた…。

何を背負ってきたのか
なぜ背負ってしまったのか
でも、それ以外の生き方はできなかった…

ああ、すべてを下ろすことができたんだ…。



すべてを下ろした後に残る思い。
それは、
『寂しい思いをさせてしもうた。申し訳なかったの』
―一人ぼっちで自分を支え続けてくれた富さんへの思い。

すべてが変化していく中で、その思いだけが真実。

そして、
『私はいっぺんも寂しい思いはしたことないですき』
―富さんは許してくれたね。
よかったね。



親に向かい続け、そのために代償行為をし続けて人まで殺し、
しかし、今、夢が覚めた。

目が覚めたら、目の前にハッキリと人が見えたね。
そこには、富さんが笑顔で待っていた。

ずっと、ずっと。
待っていた。

彼女は、あなたの目が覚めるのを
ただ傍にいて、ずっとずっと待っていた。

あなたの孤独も、寂しさも、辛さも、わけもって
だから、あなたはここまで来ることができた

あなたを支えたのは、「義」(理屈)ではなく、富さんだったんだよ…



富さんが言う。
『私に本当のおまさんを見せてつかあさい。
これからはおまんと二人で過ごすやすよ。』

これからだね。
本当の人生が始まるのは。

ようやく、誰の物でもない自分の人生が、
二人の旅が、これから始まる…



『夏が終わる前に桂浜に行こう』

…もう、半平太がこう言い始めたときからぐぅーっとこみ上げてしまった。
あとは、一言一言、こらえることができなかった。
涙が後から後からあふれた。
嗚咽が漏れそうだった。


これほどに共鳴したのは、私もまた半平太と同じだったということ。
私の中のチャイルドが大泣きしていた。









★人に求めず、自分を信じる------------------------------------

三者三様。
それそれが自分の決めたゴールに向かって邁進した。

ゴールをどのように設定するのか、人それぞれである。
また、ゴールの設定の仕方によって、同じ現実でも受け止め方は変わる。
それを災難ととるのかチャンスととるのか、心構えさえ変わってくる。

最近感じるのは、宇宙の法則に則った生き方が最も幸せだということだ。
セーラ元妃が金を要求したスキャンダルが24日報じられたが、恐らく買い物依存症に陥っているのだろう。求めても求めても足りない。どんなに莫大なお金があっても、心の空洞は埋められないことを彼女は世界に証明している。

大義で動いて人に認められても、
世の中を動かしても、
心を埋めることはできない。



「人に認められたい」は、「親に認められたい」の裏返し。
「人のために」は、「親のために」の裏返し。

しかし、
どんなに努力しても、常に人の評価が気にかかる
どんなに成果を上げても、人の言葉で打ち砕かれる
仮に評価され褒められても、自らが殺した心が晴れることはない
どこまでいっても、空しい世界

それは、人の評価にすがっているから
人の評価に左右される人生だから

だから、人に評価されようと無茶をし、
自分を認めない人を攻撃したり、排除したりする


親がこうでありさえすれば、私は救われるのに。
相手がこうでありさえすれば、私は救われるのに。

私も妻も、親に対してもお互いにも、心の問題をレクチャーしようとしたり、考え方や言葉遣いや言い方など、指摘したりされたりしてきた。相手に足りない部分を互いに責め合ってきた。

でも、
相手がそうできないのは、出自が関係していることがわかってきた。
相手がそうしてしまうのも、トラウマなど本人が大したことないと思ったり、忘れているような過去が関係していることがわかってきた。

そういう衝動は理性ではどうにもならないこともわかってきた。
頭でわかっても、体は行動できないのだ。
それは一生かかっても解消されないこともあるだろう。
それもその人生。



だから、相手に求めることはできない。
自分が自分で精一杯であるように、相手は相手で精一杯。

「相手に、自分のことを分かれというのはエゴにしか過ぎない」
ある時、妻が独りごちたように言った言葉。

自分の経緯(個性)を自分と同じようにわかる人間はいない。
妻と私も、互いを知り尽くしているはずもない。
だが、信頼で結ばれている。
なぜなら、自分が自分を信じるしかないことをお互いが知っているから。


自分を認めてくれと、互いが相手に求めている内は諍いが絶えなかった。
が、今は穏やかな日々が訪れている。
なぜなら、人に求めている限り苦しみが続くと知っているから。

それは、互いを諦めたということではない。
自分のことは自分が受け止めるという境地にともに立ったということ。
相手に求めず、ただ見ているだけということができるようになったから。





人(親)に認めてもらうために生きるのではなく、
人(親)のために生きるのでもなく、

ただ、自分が自分を認めればよい
誰に認めてもらう必要もない。
自分が自分を許せばよい。


そもそも、人生に評価などない。

そこには、命があるだけ。




一人ぼっちにしてしまった償いもあるのか、あれをしようこれをしようと言う半平太に富さんは言った。
『どこにも行かんと ここで二人で過ごしたいがです』

何もしなくていい (Not to do)
ただ“あるがままに”居てくれればいい (Let it be)

富さんは、あなたが何もしなくても、あなたの存在がそこにあるだけでいい、と言ってくれた。

中身(経緯や気持ちや考えなど含めた個性)をわかるわからないを越えた言葉。
中がどうあれ、あなたの丸ごとすべてを受け止めた言葉。

半平太は、捕まる直前に、自分が最もほしかった言葉をもらった。

人生をかけて追い求めていたその言葉は、ずっとずっと
すぐ傍にあったのです。







関連記事
 
Comment4  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

富さんは・・・

先生と同じシーンをを見て、私は富さんをイネイブラーだと感じました。
日本人女性らしい夫に従順な妻。
それは結局、夫にとって都合のいい、甘えたい時に甘えられる母親代わりに過ぎない気がします。
これが龍馬の姉の乙女だったら、素直に生きようとしない半平太に何を言ったでしょうか。
乙女がしょっちゅう婚家とケンカして実家へ戻ってくる原因は、そこにかも知れませんね。
乙女や龍馬が育った坂本家の家風にこそ、見習うべき何かがあるように思っています。

 

(詳しい人物像は知らないので、テレビで見た範囲での印象ですが…)

じゃあ他の分析も単なる妄想ですか?

ニュースになった他の事件の分析も読みましたが、
報道されはじめの段階であくまでも想像でしかない事を
事実の様に書いたあげく、
あなたが言及した加害者の発言が後から嘘であったことが
ニュースで報道されてもあなたの
分析はそのまんまでしたよね。

これが妄想じゃなくて、何なんでしょうか。

確かに中尾さんおおっしゃる通り、子供をゴミ箱にする親は
実際にいるんです。
口で言っていることは正論なのに、
その正論を利用して吐き出している感情は
子供には全く関係のない自分の抱えてきた問題であることは実際によくあることなんです。
正論であるが故に何かがおかしいと思いながらも
反論できない子供、
あくまでも自分は間違っていないとおかしさを微塵も
自覚しない親という関係はあるんです。

もしくは矛盾していても、それを指摘されても絶対に認めない、自覚のない親もいるんです。
私に言わせれば「あんたのその態度で子供は病んでるんだ
ろうに・・・」と思うことも本当に多々あるんです。

そして、多くのカウンセラーがその事実を知らず、
それ故に問題が全く見えていないということもありえます。
体系化された通り一遍の知識だけでクライアントを見ていた
としても、別に職業カウンセラーとして間違いではないですからね。

その意味で中尾さんの存在は貴重だとは思いますが、
やはりこの物言いは危険ではないでしょうか?

誰もわかってくれなかった事をわかってくれる人がいる、
私がおかしいわけではなかったという事を知ることが
多くの人にとって救いになっているのはわかります。

自分が何に囚われているのかを知ることで成長する足がかりにもなるでしょう。

それにしても実際にあった事件・人物について
(詳しい人物像は知らないので、テレビで見た範囲での印象ですが…)
などと言いながら分析を公開する姿勢はやはり
メリットと同等のデメリットを引き寄せている気がしてなりません。

あなたが引き受けられる危険ではなく、
これを読んだ人が誤解をする危険です。

 


今日また…
インナーペアレンツの
残党の存在を知り

四苦八苦して
この「×××!!」と言い出しきって

なんとか…
「自分」に戻ってこれて

何をしたらいいか
ちょっと分からなくなってて
つい考えちゃって

…でもこの記事を読んだら
笑顔になれました
ありがとうございます(^ω^*)


この間
朝早い母のため
お弁当を作ってあげたら
昼間号泣したらしいです

数年前では
有り得ない姿でした

病気してバイトを休めば怒る
よく話を聞かないで怒る
頑張っても頑張ってもあら探しをして怒る…
まさに鬼ババアという人だったので(笑)
もちろん大ッ嫌いでした。


今は…
驚くほど、みんなが穏やかです。

私は母に触れるのが怖かった。おぞましかった。殺されそうだと思うほどでした
でも、最近は家を出る前に握手をするのが日課です(笑)
母の手は小さくて
ああ、この人は、まだYちゃんなんだ…そう思わされます。
母もまた、愛されなかった子どもだったのです。

私は誰でもなく私として
母は誰でもなく母として
「あるがまま」へ
生まれ変わり…
そして、龍馬のように
自らの志にむけて
歩いています。

私たちの人生は
まだ始まったばかりですね。

 

先生はいいな~
よしよしってしてくれる人が居て(^.^)

あたしもすごーーーーーーーく
してもらいたいです。。。

でも無理な現状で無理な事思うのも
勿体無いですね!
他にやらなきゃいけないことあるし!

ただ“あるがままに”居てくれればいい 

このように思ってくれる人に出会えるようにd(^0^)b

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード